ぷつり、血の玉




 どうした、虫でも捕まえたのか、と己の手の内を覗き込むパルヴィンに尋ねると、パルヴィンはなんともいえない困ったような顔をして、違いますと答えた。

「ダリューン様は、私をいったいなんだと思っているのですか」

 開け放した露台から、ひゅうと夜風が吹いて、パルヴィンの髪がそよいだ。ダリューンは笑い、パルヴィンの傍らに座る。手の平の中に、金色の耳環が一組、転がっていた。ほう、とダリューンは目を見張る。パルヴィンは最近、装飾品の収集に凝っているらしく、市場に降りては指輪や首飾りの露店を冷かしているのだという。
 アルフリードと手持ちの装身具を見せ合ったり、互いに手作りの装飾品を交換し合ったりしている。先日、これはゾット族に独特の文様なのだ、と革紐を複雑に編んだものを手首に巻いていたのを思い出す。

「耳環か?」
「そうです、綺麗でしょう」

 確かに、パルヴィンが普段好んでつけるような安物とは趣を異にする。見事な金物の耳環である。

「そうだな。それは、どうしたんだ」
「頂いたのです。ですが、私は耳環の穴を耳朶に空けていないので、どうしようかと思って」
「空ければいいだろう」

 何の気なしに言うと、パルヴィンの顔が一瞬ひきつった。ぎぎぎ、とぎこちない動作でパルヴィンはダリューンを見上げる。

「だって……耳朶に穴、ですよ?」

 想像してしまったのか、パルヴィンの顔は青ざめる。ぶるりと肩を震わせたパルヴィンに、ダリューンは思わず笑った。ぱっとパルヴィンの頬に朱がさした。言い訳がましく、言葉を続ける。

「耳朶に穴って、なんでそんな変なところに穴を空けるんでしょう」
「腹に矢が刺さるのも厭わぬくせに、耳に針が刺さるのは怖いのか?」

 パルヴィンはダリューンの面白がるような物言いに頬を膨らませた。

「矢を自ら腹に刺すわけではないでしょう」
「それもそうか。ああ、ならば、おれが空けてやろう」

 ダリューンは家人を呼び寄せ、縫い針と氷と酒を用意するよう言いつけた。振り向くと、パルヴィンが呆然とした顔でダリューンをじっと見つめている。

「ご、ご冗談を」
「冗談なものか。そら、そっちを向け」


 縫い針を灯りの火であぶる。しゅう、と細く白い煙を上げた縫い針を見たパルヴィンは反射的に両耳を手でおおった。その姿を見ると、どうしても、子供のようにいじめたくなる。

「耳を冷やすか? いや、無くても大丈夫か?」
「冷やします! 氷ください!」
「しかし、氷室の氷が今年は不足気味でな」
「ダリューンさまぁ……!」

 半ば泣き声をあげるパルヴィンに、ダリューンは耐えきれず噴き出す。矢が刺さろうが、指がもげかけようが、泣き言一つ言わないくせに、耳朶に小さな穴ひとつ空けるのが怖いというのは、なんだかおかしくて可愛かった。

「冗談だ」

 パルヴィンはダリューンの手の内の縫い針と、己の手の内の耳環を何度か見比べる。

「あ、ダリューン様が縫い針を持っていらっしゃるの、なんだか面白いですね」
「……そうか。冷やさず空けるか。どこだ? 眉間か?」
「申し訳ありません、冗談です」

 緊張のとけた笑みを漏らすパルヴィンに、ダリューンも笑って傍らに座り、氷を差し出す。受け取ったパルヴィンはそれを耳朶にあてた。再び緊張の色を見せる瞳が、おずおずとダリューンを真正面から見た。ぎょっとして身を引く。そういえば、こう向き合うのは、久しぶりのことかもしれない。

「驚きました」

 ぽつり、とパルヴィンは言った。ダリューンは首を傾げる。

「何がだ」
「耳環、反対されるかと」
「耳朶に穴を空けることをか」
「はい」
「何故」
「なぜ、って……」

 パルヴィンは眉を情けなく下げた。まあ、普段が普段だからな、とダリューンは自省する。どうしようもなく世間知らずで、危なっかしかったパルヴィンの印象が強烈過ぎて、いまだに何くれと干渉してしまう。仲間にもほとほと呆れられているので自分でも何とかしたいのだが、長年染みついた習慣にも似て、なかなかおぼつかない。
 背丈もそれなりに伸び、体つきもしっかりしているというのに、ダリューンの中でパルヴィンはまだ短槍に振り回され、厳しい父についてまわり、いつも眠たげに眼をこすっていた、小さくてひ弱い子供のままである。
 実を言えば、最初は、耳環などまだ早いのではないか、と思ったのだが、パルヴィンと同じ年頃で耳環をしていない娘の方が珍しい。アルフリードでさえ耳朶にきらめく青い石の耳環をしている。それに、パルヴィンが槍と主のこと以外に興味を持ったのだから、歓迎せねばと思い直した。

「よし、そろそろ良いだろう。ほら、耳を見せてみろ」

 冷えて赤くなったパルヴィンの耳朶に触れる。縫い針を手にするとパルヴィンの体がじりじりと後ずさるので、ダリューンは溜息をついた。

「動くと余計あぶないだろう」

 ダリューンは、脚でパルヴィンの体を固定する。胡坐の内にいれるようにすると、パルヴィンはもがいた。

「あ、あの、ちょっと、まだ、心の準備というものが……」
「腐っても武人が腑抜けたことを言うな。覚悟をきめろ」

 そういう物言いにパルヴィンが弱いのは知っている。そう言われた途端、パルヴィンの体はぴくんと震えて硬直した。面白いくらいに想定通りの反応に、ダリューンは笑ってしまう。


 馬鹿がつくほど正直で、糞がつくほど真面目なパルヴィンを、ダリューンは心から可愛らしいと思う。ナルサスやギーヴに言わせれば、面白味のないと一蹴されそうだが、自分が武一辺倒のせいか、駆け引きや腹の探り合いとは無縁なパルヴィンが好ましかった。
 まあ、最近は今まで真面目だった反動か、ギーヴと悪戯ばかりして周囲を困らせているようではあるが。

「分かりました。ダリューン様、一思いに、さあ!」

 腹をくくったようで、パルヴィンはきゅうと目を閉じると大きく息を吐いた。それでも、唇は血の気を失い噛み締められ、瞼は不安げに震えている。ダリューンはパルヴィンの肩に触れた。ひくん、と大げさに腕の中の体が震える。ふと、何もここまで抱きすくめるようにする必要はないのでは、と思ったが、パルヴィンの手が指の関節が白くなるまでダリューンの上着を握りしめているのを見て、どうこう言うのはやめた。

「ほら、少し力を抜け」

 子供をあやすようにパルヴィンの背をなでる。パルヴィンは、すう、はあ、と大きく呼吸すると、さあ早くやってくれと言わんばかりに二、三度浅く頷いた。
 ひんやりとして赤くなった耳朶の真ん中に針の先を当てる。パルヴィンの息がやや乱れた。ふー、ふー、と長く細い息が、色を失った唇から漏れている。ダリューンは細い縫い針を持つ手に、わずかに力を入れた。
 ぶつん、と小さな、肉を貫く感触。慣れたものとはいえ、気分のいいものではないな、と一人思う。パルヴィンの息が一瞬詰まった。う、と小さくうめき声を漏らす。

「痛かったか」

 そう、問う。パルヴィンは放心したような双眸をダリューンに向けると、痙攣のように首を横に振った。

「そうか。良かったな。何事もやってみるものだろう」

 言うと、また痙攣のように無言で首を縦に振った。

「……おい、大丈夫か」
「だ、だいじょうぶ、です。……びっくりはしましたけど」
「よし。ほら、耳環をつけてやる。もう一度見せてみろ」

 耳朶に空けた穴に、ぷくりと血玉が浮いていて、もう耳飾りを付けているようだった。血を拭い、傷口を酒で洗ってやる。傍らの盆に入れていた耳環を手に取る。見事な品だった。アルフリードに貰ったのなら、せいぜい真鍮細工だろうと思っていたが、どうやら金製品のようだ。そういうものに疎いダリューンでさえ、手に取ると高価なものであることが分かった。小さいながらも、牙をむいた見事な黄金の豹である。
 女物の耳飾りにしては勇ましすぎる意匠だ。耳につけてやりながら、ダリューンは首を傾げた。嫌な予感も、した。そしてその予感がほぼ当たっていることも確信した。


 膝の上でパルヴィンの体を反転し、もう一方の耳に針をあてる。

「パルヴィン、一つ聞くが、この耳環、誰にもらった」
「え、ギーヴですけれど、もっ――――!?」

 ぶつん、とやや乱暴に針先がパルヴィンの耳朶を貫く。飛び上がりかけたパルヴィンの体を羽交い絞めにして拘束する。

「え、え、えっ? なに、いたい? えっ?」
「こんっ、の、阿呆がっ!」

 ダリューンの怒声にパルヴィンは、ひい、と小さな悲鳴をあげた。痛みのせいか、急に叱り飛ばされたせいか、パルヴィンの目が潤んでダリューンを見上げる。そう憐れっぽい顔をされても――――いや、やはり、ダリューンの怒りもやや精彩を欠いた。

「男からほいほい耳環を受け取り、喜んで耳朶に穴を空ける奴があるか!」

 パルヴィンは、反射的に背筋を伸ばして姿勢を正す。ただし、まだダリューンの膝と腕の中で、まるで緊迫感はない。おろおろ、と迷いがちに口を開く。

「でも、ギーヴがくれると。貰ったけれど、趣味ではないから私にくれると言ったのです。に、似合うだろうと言われて、それで……」
「で、ギーヴはそれを誰に貰ったのだ?」
「どこかの御婦人だそうで」
「そんなものを受け取るな!」

 あまりの鈍感さにさすがのダリューンも気が遠くなる。そんな、因縁やら怨念やら曰くやらがついてまわりそうなものを平気で受け取って身に着けようとする気がしれない。

「そもそも、異性から装身具を受け取るということはだなぁ……、その、あれだ、……とにかく!」

 勢いでそこまで言ってしまったが、そういうことを説明するのは自分には重荷だと考え直す。あとでナルサスか――少々癪だし不安もあるが――ギーヴにでも解説させよう。

「それを付けるのはやめておけ」

 ダリューンが言うと、パルヴィンはほんのわずかに眉尻を下げた。

「でも、これ、すごく気に入っているんです。豹の耳環なんて、格好いいじゃないですか」
「考えてもみろ、そんな珍しい耳環をおまえがしているのを“どこかの御婦人”に見られでもしたら、刺されても文句は言えんぞ」

 ああ、とパルヴィンは呻いた。それでも惜しそうにダリューンの手の内の耳環を見つめているので、ダリューンは溜息まじりにそれを耳につけてやる。

「穴がふさがるといけないから、今日はそれをしていろ。明日、おれが耳環を買ってやるから」

 パルヴィンの目が、くるりと丸くなった。驚きと喜色を満面に浮かべて、パルヴィンはダリューンを見上げる。

「本当ですか!」
「おれがおまえに嘘をついたことがあるか」
「たくさんあります」
「……今回は、嘘ではない」

 どうしてパルヴィンはこう、おれに恰好をつけさせてくれないのだろう、とひとりごちるも、ギーヴに耳環をもらうより嬉しそうににこにこと笑うパルヴィンを見て、まあいいかと苦笑した。