隣のクラスの好きな人
「準備室のドア、開けっ放しにしとけよー。」
理科室から生徒は全員出ていき、最後に出た先生が、日直で片付けをしている荒北に声をかけて出て行った。
「んで、オレひとりで片付けなんだよっ。」
もうひとりの日直は、次の授業の資料を取りに向かっているから仕方がない。きっと向こうも文句を言っているだろう。
「だいたい、日直に仕事させ過ぎなんだヨ!あーダリィ。」
次に理科室を使うクラスはないのか、生徒は誰も入ってこない。
「ちっ、面倒くせェし、次サボるかァ。」
3階角教室で、窓から見える場所は裏庭という、サボるにはひとも来ない静かでうってつけの場所だった。
「ってか、片付け終わんねェーし!アアアッ!マジかよ!」
開けっ放しの理科室の窓から、強風が舞い込み、机に纏めていたプリントが散らばった。イライラしながら、それを急いで拾い集め、準備室へと持って入った。すると理科室の入り口から、ガタンと音と共に、痛いという声が荒北に聞こえた。なんだと思い、顔を出し覗くと、女子生徒がすっ転んでいる。
「大丈夫かァ?」
「うん、いたたたぁ…。」
「どうやったら、んなとこで転ぶんだヨ。」
「余所見してて、距離感間違えた。」
顔を上げた女子生徒は、荒北に気が付いた。
「あれ、荒北くん?そんな所で何してるの?」
「アァ?あ、名前チャンか。日直の仕事ォ。」
名前は、隣のクラスで新開の隣の席の子だ。新開がいつも名前と呼ぶので、苗字は知らない、事になっている。もちろん荒北は、苗字を知っているが、前から少しいいなと思っていたので、新開が名前で呼んでいる事をいい事に、荒北もどさくさに紛れ名前で呼んでいる。
「次の授業、始まっちゃうよ?」
「ソウダネ。でも片付け終わんねェからさァ。」
「あ、サボるんだ?」
「ハッ、分かってんじゃナァイ。名前チャンは?何してんだ?」
「そうだ、荒北くんたちの前に私のクラス使ってて。プリント置いてきちゃったから取りにきたの。」
「え、マジ?オレ全部まとめちゃったよ。こっちにあるヨ。探そっかァ?」
「大丈夫、自分で見つけられるから。」
名前は、準備室へと入り、積まれたプリントをパラパラと名前の部分を確認していく。そして、それは直ぐに見つかった。
「あった。良かったぁ。」
「オー、すぐ見つかって良かったネ。」
「うん。わっ、もうチャイムなりそう!邪魔しちゃってごめんね。」
「転ぶなヨー。」
準備室から出ようとしたその時、またかなりの強い風が吹いた。そして、その風の勢いで準備室のドアが勢いよく閉まった。
「びっ…くりしたぁ。」
「ア…。」
「荒北くん?どうしたの?大丈夫?」
荒北は閉まったドアを見つめている。その時、チャイムが鳴った。
「あっ、チャイム鳴っちゃった!じゃぁね。」
名前は、準備室を出ようとドアノブの手を掛けようとしたが、掛けられなかった。
「ない…。」
名前は、ポツリと言った。そう、ないのだ。ドアノブが。外れてしまって、今はないのだ。
「あれ?どうやって、えっ?」
名前は、ドアを押したりしたが勿論びくともしない。
「荒北くん?これ、どうやって開くの?」
「ウン、開かないね。」
「え?」
「壊れてっから、開けっ放しにしてたんだケドォ。」
「閉まっちゃったよ?」
「風強かったよなァ。」
「えー!どうしよう!」
急にあたふたし出した名前を可愛いなと荒北は呑気に思っている。それもそうだ。もともと荒北はサボるつもりでいたし、そのうち誰か来て開けるだろう位にしか思っていない。けれども名前は違った。サボるつもりもなかったし、まさか閉じ込められるとも思っていなかったのだ。
「大丈夫だって。この時間は誰も使わねーみてェだけど、その次はどっかのクラスが来るだろ。」
「そ、そうかなぁ。」
「名前チャンは、サボる事になっちまうけど。」
「サボり…そっか。私初めて。」
「え、マジで?」
「うん。」
「その見た目で?」
名前は、見た目はどちらかと言うとキレイめのギャルだ。髪は少し明るめに染め、毛先は緩く巻かれている。化粧は殆どしてないが、元々睫毛が多く、これも自然に上向きにカールされている。そのせいか、目元はぱっちりだ。
「あのね、見た目で人を判断しないの。」
「エー、でもギャルじゃん。」
「ギャルじゃない。髪は染めてるけど、これパーマとか巻いてるわけじゃなくて、癖っ毛なの。髪が伸びると毛先だけこうやって巻かれちゃうの。化粧だって、みんながしてる1/10位しかしてません。」
「そうなのォ?」
「そうなの。福富くんなんて金髪じゃない。でも真面目でしょ?それと同じです。」
「そっかァ。ごめんネ。」
「うん、いいよ。」
荒北が素直に謝ると、名前はにこりと笑った。とりあえず、立ちっぱなしも足が疲れるだろうからと、荒北は準備室にひとつあるイスを名前に渡し、荒北は床に座った。
「ねぇ、私も床に座っててもいい?」
「イイけど。」
「床に座る事って殆どないから。」
「アー、まあ、普通はイスあるもんな。」
真ん中にイスを挟んで、二人床に腰を下ろした。それからは、共通の話題である新開の話や自転車部の話などをして過ごした。
「アチィな。」
「そうだね、エアコン付いてないし…。少し窓開ける?」
高い位置にひとつだけ小さな窓がある。名前は、窓へと手を伸ばし、鍵を開けようと背伸びをしたがあと少し届かない。するとすぐ後ろから荒北の手が伸び、あっさりと鍵を開け、窓を少し開けた。名前は、棚と荒北に挟まれた状態で動けずにいる。
「名前チャン、ちっせーな。」
「小さくないよ、女子の中では普通だよ。荒北くんは大きいから。」
首を動かした名前からいい匂いがした。なんの匂いだと、荒北は名前の頭に鼻を近付けた。
「わっ、なに?どうしたの?」
「アー、なんか名前チャンから匂いが…。」
「え、汗臭い?やだ、嗅がないで。」
「違う、なんかすげーいい匂いすんだけどォ。」
戸惑う名前を無視し、耳の後ろや首元までスンスンと荒北は匂いを嗅いでいる。
「あら、荒北、くん、あの…。」
「わっワリィ!」
「うん。」
荒北は慌てて後ろに下がった。気持ち悪がられたと荒北は焦るが、名前は、顔と耳を真っ赤にしながら驚いたけど全然平気と明るい声で言った。
「な、なんか、香水とかつけてんの?」
「ううん。何も。なんか苦手で。」
「でも、すっげーイイ匂いしたよ。」
「あはは、なんだろ。なんか、うん、照れるね。」
名前は平常心を装うとするが、顔の熱さがなかなか逃げてはくれない。
「窓、開けたけど、まだ暑いね。」
手で顔をパタパタと扇ぎながら、名前は床へと座った。荒北はそんな名前を見て、少しだけ考えた。あの甘い匂いは、たまに嗅いだ事がある。それは、東堂のファンであったり、新開のファンであったり。そう、誰かに好意を持っている時に嗅ぐ匂いに似ている。でも、いまここにいるのは、名前の他には荒北しかいない。先程とは違い、名前のすぐ横に腰を下ろした。チラリと名前を見れば、さらに顔を赤くし、とうとう体育座りをしている膝の間に顔を埋めてしまった。
「名前チャン、暑くねェの?」
「うん。」
「顔あげた方が涼しいヨ。」
「無理。」
「なんでェ?」
「荒北くん、なんでそこに座ってるの?」
肩がぶつかりそうな距離に座る荒北。
「うーん、もう少し名前チャンの匂い嗅ぎてェっつーかァ?」
「なにそれ、なんか変態っぽいよ。」
「ハッ、確かになァ。…嫌?」
名前は何も答えない。嫌ではなく、ただただ恥ずかしいだけだ。だが、いつまでもこんな状態では、自分の気持ちが荒北にバレてしまうのではないかと焦る。今まで、ひた隠しにしてきたこの気持ちは、まだ知られたくはない。ふと、名前は新開の言葉を思い出した。
「靖友は、感が良いんだよ。本人は、匂うって言ってるけどな。」
唯一、名前が荒北に好意を持っている事を知る新開は、こっそりと部活での荒北の話などをしてくれていた。
「名前チャン、手、繋いでもいい?」
「…なんで?荒北くんって、キャラ違くない?」
「え、オレってどんなキャラなんだヨ。」
「ツンデレ。ツンが9.5でデレが0.5だって新開くん言ってた。」
「ハァ?なんだ、そりゃ。」
「あと、感がいいって。匂いでわかる人だって。」
荒北は何も言わない。
「荒北くん、もう分かってるんでしょ?匂いとか感とか全然分からない私でも、今のこの状況がヤバい事分かるよ。」
「ヤバいってェ?」
名前は顔を上げて相変わらず赤い顔のまま、荒北を見た。荒北は、そのまま名前に引き寄せられるように、唇を重ねた。暫くして顔を離した荒北は、名前を見て驚いた。今にも泣きそうな顔をしている。
「あ、名前チャン、あの…。」
「大丈夫、うん、あれ、だよね。雰囲気に流されたっていう、ね。ごめん、私が変な事言ったから。」
名前は、立ち上がりドアの前に立った。そうだ、逃げる場所はなかった。
「あ、はは。そっか、ドア…。」
荒北はドアの前に立ったままの名前の手をうしろから握った。それでも名前は、動かない。
「名前チャン、アー、えっとォ、オレは謝んねェよ。先に言えば良かったんだけど。順番間違えたのはワリィ。もう気付いてっと思うけど、オレ名前チャンの事結構前から好き、だったんだよネ。」
「え、あ……え?」
「エッ?」
「え?」
「気付かなかったァ?」
「え?」
「オレ携帯持ってるし、名前チャン相手に閉じ込められてなけりゃ、さっさと誰か呼んで開けてもらってるっつーの。」
「携帯…携帯持ってるの?」
「ウン。」
「私だから?」
「ソォ。だからァ、まあ確かに雰囲気に流された感はあるけどォ、オレは好きな子とキス出来て、嬉しいっつーかァ…。」
とうとう荒北は恥ずかしくなり声が小さくなってしまった。それを誤魔化すかの様に、空いている片手で頭をガシガシと掻いている。
「なんだ、そうなんだ。なんだぁ…。誰でも良かったのかと…思った。」
「バッカ!ちっげーから!それは、マジでちげェ。」
「うん。ごめん。うわっ、なんかすっごく恥ずかしくなってきた。」
「なぁ、名前チャンは?オレの事どう思ってんの?」
「え?」
荒北はうしろを向いたままの名前を荒北の方へと向かせた。
「オレ、また名前チャンにチューしてェんだけど?」
顔を近付けて荒北はニッと笑った。
「好き。」
「誰を?」
「荒北くんを、好き。」
真っ赤な顔でそう言った名前に、荒北はまたキスをした。
2020.11.12