未熟な果実が甘いわけ 01
ついさっきまで、学校帰りに電車に乗ろうとしていて電車のホームに立ってたことまでは覚えてる。
行儀が悪いと思いつつ、大好きなグループの今日発売したばかりの新曲の情報を歩きスマホをしながら確認していた。
『今度の新曲は恋に落ちるをテーマにした曲でー』
スマホの情報を見ながらもホームの端に到着し、数人が立っている様子を目の端で確認して誰も立っていない電車のドア口に佇んだ。
電車がまいります、というアナウンスが頭の上で聞こえ、それすらろくに耳に届かないくらい、私はスマホの情報に夢中だった。
ドンと背中に激しくぶつかられたような衝撃を感触を感じた時には気づけば体がふわりと宙に浮いていて。
ゆっくりと近づいてくる電車のライトが目の前まで迫ってきていたわけで。
あ、私、死んだー
そう思って目をギュッと瞑った次の瞬間、ドサリと体が何処に叩きつけられた。
「痛っ」
無意識に声が漏れ、ぶつけたお尻をさすりつつ気配を感じて視線をあげれば、目の前には人のような、人じゃないような不思議なものがいるのを見つけた。
角が生えて、口からは大きな歯が生えて、目は血走って、まるで鬼、みたい。
え?何?どういうことなの??
思いもしない展開に頭がついていかない。
瞬間、その鬼様な生物の大きな爪が、いつの間にか首筋に当てられていた。
つい一瞬前まで死ぬかもと思って、またもう一度死ぬかもって状況に冷や汗がでるしかない。
どう考えても今顔をギリギリで覗き込んでるこの化け物の生暖かい息の感触は本物で泣きたくなった。
首に当たる冷たい刃物のような感触にぞわりと鳥肌が立つ。
顔面蒼白で、体は張り付いたように固まったまま視線だけその化け物に向ける。
化け物は荒い息を繰り返しながら、目を細めると首に当てられた爪がが私の首にぐっと沈むのを感じた。
私、また死んじゃうんだぁ。
じんわりぼやけ始めた風景。
と、一瞬にして、風が怒涛のように吹きあれた。
まるでそこだけ台風にでもあったかのように、目を開けるのさえ辛くて思わずぎゅっと目を瞑る。
髪を天に攫うように巻き上げた風が収まり、耳に聞こえる平穏を感じてそっと目を開ける。
目の前に先程の化け物はいなくて代わりに見えたのは月明かりにゆっくりと靡く銀色の髪だった。
「殺」と入った白い羽織の背中越しに、先程の化け物が、断末魔を上げながらゆっくりと崩れて行くのが見える。
『私、助かったの・・・?』
状況がよく掴めないまま、その場に座り込んだまま動けずに呆然としていた。
と、その私を助けてくれたであろう人が、此方を向いた。
「チッ、手応えのねェ・・」
ぶつぶつと何やら呟きながらこちらに近づいてくる。
「お前、大丈夫かァ?」
しゃがんで私の様子を探るように見つめる紫の眼。
大きく傷の入った顔が私を見つめた瞬間、何故だかどきりと胸が高鳴った。
彼は私の中で今まで出会ったことのない人種だと思った。
鋭い眼光も、刀をもつたくましい腕も、しゃがみこんだ鍛えられた体も。
高校や町中にもこんな危なげな人はいない。
私を探る様に見つめていたその眼がすっと細くなる。
疑惑の目を向けられているのは明らかだった。
鋭い眼光に、両腕で自身の体を抱きしめ視線を落としかけた。
次の瞬間、先ほどの化け物が居たあたりが、かすかに揺れた。
「!危ねェ!」
目の前の彼は私を庇うように、覆いかぶさってきた。
同時に彼と思い切り頭をぶつけた。
「痛っ!」
涙目になりながら、今日何度目の痛いなのかと頭をさする。
次の瞬間、宙を切る刃物のようなものが彼の後ろをかすめ、私は冷や汗をかく。
『危なかった・・彼が助けてくれなければ、私死んでた』
ぞっとするような未来を想像しながら、目の前の彼は体制を立て直すように立ち上がった。
「・・・てめぇ本当に人間かァ?」
「え?に、人間ですよ!」
訝しげな視線を向けられ、見透かされるような視線にいたたまれなくなる。
一体何が起こっているのか全く分からない。
瞬間、私の頭をガシリと掴むと強引に顔向かされ、覗き込まれる。
整った顔と顔に大きく入る傷。
それに真剣な表情に、鼓動が早くなる。
恐怖するはずなのに、目の前の彼の視線に頬が熱くなるのはどういうことなの。
「不死川、そっちどうだった?」
頭を掴まれたまま強引に声がする方を向けば、これは正統派イケメンというに相応しい男性がひょっこりと顔をだした。
「・・なんで、その子の頭掴んでんだよ」
「こいつ、鬼かもしれねェ」
一層掴まれた掌に力が入り、痛む頭に顔をしかめながら「不死川」さんと再度視線が合う。
こんな状況でも彼にと視線が合うと胸が高鳴ってしまうのはどういうことだろう。
『恋に落ちるをテーマにした曲でー』
不意にスマホで見た最後の情報が浮かんできて、心の中で首を振る。
いやいやいや。それこそ吊橋効果ってやつだよね。
初対面で顔を押さえつけられてる人に胸が高鳴るなんて。
「・・なんか、お前、派手に変わった格好だな」
イケメンもなんだか不思議そうな顔で私を見つめてる。
「お前、どっから来やがったァ?」
再度ギョロリと睨みつけてくる三白眼に、背中に冷や汗が走る。
え?なになに?私疑われてるの!?
本当ただの女子高生だから勘弁してほしい。
というかここはどこなの?
さっきまで駅にいたはずなんだけど。
「あの・・・助けて貰ったことは、遅くなりましたがありがとうございます・・。私、キメツ高校前の駅に行きたいのですが・・」
どちらでしょう?という前に、気づけば不死川さんに地面に押し付けられていた。
ぐいと頬に土の感触を感じ、体重をかけられて身体中がとても痛い。
「え?何ぃ!?」
「訳のわかんねェ事言ってるし、格好も変だし、一旦お館様に報告だァ」
そういうとあれよあれよと言う間に私は縄で縛られた。
そのままひょいと米俵でも担ぐように不死川さんに担がれる。
「やっ!ちょっと!スカートの中見えちゃうからっ!」
「殺されるかもしれねぇのに、随分と余裕だなァ?」
そういって一瞬、宙に浮いたかと思うとすごい速さで景色が目まぐるしく流れていく。
絶叫系の乗り物が苦手な私は目を瞑って歯を食いしばり耐えるしかなかった。
しばらくそうしていると突然動きが止まったかと思えば、ぽいと投げ捨てるように地面に降ろされた。
尻餅をついたものの縛られた体では上手くバランスが取れなくてその場に倒れ込む。
「いったいっ!」
「お館様の前だぞ。黙れェ」
そういって不死川さんは怖い顔のまま私の顔をまた地面に押し付けた。
全く状況が飲み込めないまま、私はされるがままにされるしかない。
「実弥、大丈夫だよ。その子を離してやっておくれ」
「・・・・御意」
頭の上から押しつけられる感覚がなくなったところで、私は顔を恐る恐る顔を上げる。
縛られたままで自由の利かない体を芋虫みたいに捻った。
あたりを見回せば連れてこられたのは、とても立派なお屋敷のお庭のようだった。
目の前にはとても優しそうに微笑む男性と、顔が瓜二つな女の子が2人並んで座っている。
気づけば不死川さんも、さっきのイケメンも、跪いて頭を下げていた。
「初めまして。君の名前を聞いてもいいかな?」
「苗字 名前です・・」
「先程、実弥からの報告で聞いたけど、不思議なことを言っていたんだって?」
初めて会ったはずなのに、心揺らすようなこの男性の不思議な声色。
初めて会ったはずなのにどうしてだか信じてしまいたくなってしまう。
優しそうなこの人なら話を信じてくれるかもしれない。
藁にもすがる思いで、私は今まで身に起きた事を伝えた。
「うーん、初めて聞いた話だね」
産屋敷様はそう言って、困ったように眉を下げた。
「ごめんね。君が言うように違う場所から来たのだとしても、現状何も力になってあげられそうにない」
「そう、ですか」
なんとなく予想はしていた。
がっかりした気持ちもあったけどそれより私の話を嘘ではなくしっかりと聴いてくださった産屋敷様には感謝しかない。
「とりあえず、しばらくは行くところにも困るだろう。実弥、名前の面倒を見てやってくれるかい」
え?どういうこと?私、この不死川さんと一緒に住む訳?え?私まだ女子高生なんですけど?男性と2人で?
ハテナが頭にたくさん浮かんでいるうちに不死川さんが「御意」と返事をしてしまった。
産屋敷様たちが居なくなると、解散というように不死川さんが立ち上がり、私を縛っていた縄をほどいてくれる。
縄で縛られるなんて人生で体験すると思わなかった。
結構痛いし、思ったより動けないんだな。
無駄にふんふんうなずいていると、不死川さんはさっさと歩き出した。
「とりあえず行くぞォ」
「あ、えっと私、お世話になっていいんですか?」
少し間があって、面倒くさそうに不死川さんはため息をついた。
「きっとテメェの小さい頭じゃわかってねぇだろうから教えてやる。お世話じゃねェ。テメェの事を、見張るって事だァ」
ずいずいと指を指されながら、顔を近づけてくる不死川さんに少しカチンとしつつも、負けじとぐいと顔を近づけた。
「意味がわかりません!」
「ハァ、これだからガキはよォ。お館様はテメェの事、信用なんざ一切してないからな!?だから見張りも兼ねて俺の屋敷で様子を見ろってこったァ」
「・・・」
確かに急に現れた異世界の住人をすぐに受け入れろって方が無理かもしれない。
でもこんな状況でも外に放り出されず、面倒見てくれるというのはとてもありがたい。
「そうなんですね!不死川さん、よろしくお願いします!」
「お前本当にわかってんのかァ・・・?変な動きしたら叩っ斬ってやるからなァ。覚悟しとけェ」
そういって歩いて行ってしまう不死川さんを慌てて追いかけた。
連れて行かれた屋敷はこれまた古いながら立派なお家だった。
お手伝いさんなのか、屋敷に着くと黒子の様な服装をした人が数人で迎えてくれた。
「風柱様・・その子は?」
「しばらく見張ることになっ「苗字 名前です!よろしくお願いします!」
思わず不死川さんの言葉を遮って元気よく挨拶をしてしまった。
勢いよく下げた頭をあげれば、黒子みたいな人達は震えてるし、不死川さんもまた一段と青筋を立てているし。
イライラしたように不死川さんは家に上がると、振り返りざまに吐き捨てるようにつぶやいた。
「・・・後藤ォ。お前、こいつの面倒みとけェ」
「は、はいぃ」
1番近いところにいた黒子の人が勢いよく返事をしてくれた。
そこからその後藤さんに呼ばれて後をついて行く。
不死川さんは忙しいらしく自室に行ってしまったのかいなくなってしまった。
後藤さんは歩きながら私の状況を聞いて、驚きながらも今いるこの世界のことを一つ一つ丁寧に教えてくれた。
鬼の存在、鬼殺隊、柱とは・・・。
色んなことを聞いたけど、やっぱり私の頭にはハテナが浮かんでいるし、後藤さんもそれを察したのかゆっくりわかっていけばいいと言ってくれた。
「お前、度胸あるなぁ。あの風柱様に全然物怖じしてない感じが」
屋敷の中を色々と案内してくれながら、後藤さんは目元だけが見える服で私の方をじっとりと見つめる。
「不死川さん、怖いんですか?」
「え?怖いもなにも怖いだろ?」
「優しいですよ。私のこと、とりあえず面倒みるって言ってくれましたよ?」
「やさしっ!?・・・そんなこというのお前が初めてだわ」
「何かあればすぐ叩き斬るともいわれましたが」
「・・えぇ・・・そんなこと言われて怖くねぇの?」
うーんと私は考え込む。
確かに鬼を切ってくれた時の刀振りは本物だったし、戦いなんて知らない私なんて本当に何かあれば一瞬で命奪われると思う。
私を見張るっていう言葉も本当だろう。
何か怪しい動きがあれば、私の首は先日の鬼のように紙切れのように飛ぶのだ。
それがわかっていても何故か、心が平穏なのは自分の元の世界できっと1度死んでしまったせいかもしれない。
一度死んでしまった魂が、もう一度生きるチャンスを与えられただけでありがたいじゃないの。
だからもし、仮に本当に不死川さんが私のことを切ることになっても、それはそれで仕方ないのかなって思っている。
この世界にとって私はきっと異物であるからだ。
今こうやってここに存在していることの方がよっぽどおかしいことのはずなのだ。
「・・怖くはないですね。部活の先輩のほうがもっと怖かったです」
「え?何?ぶかつ??」
まだまだこの世界とズレている常識を整えるために私は後藤さんとずっと話が尽きなかった。
そこから、いろんなことをすり合わせた結果、私は何もできないって結論に至った後藤さんに、掃除洗濯家事等々やるように言いつけられた。
いわゆる雑用である。
しかも、着ていた制服は目立つから着替えるように言われた。
着やすそうな後藤さんと同じ服がいいとごねたのに、あれは隊服で私には着せられないらしく、着物を着るように言いつけられた。
着物なんて着たことないから、女性の隠の人に手伝ってもらって着るだけでも必死だった。
あーでもないこーでもないと、やっと形になったころにはだいぶ時間が経っていた。
とりあえず、初日お世話になった後藤さんと女性の隠さんにはたくさんお礼を述べつつ、鞄に入っていたみるきぃを渡しておいた。
手にしたみるきぃにめちゃくちゃ不安そうな顔をしていた二人だったけど、口に含んだみるきぃに感動していた。
やはり母の味は強いらしい。
結局あの後、不死川さんには会えなかった。
後藤さん曰く、鬼は主に夜に活動する為、夜に鬼狩りをしているらしい。
『ちゃんとお礼、言えなかったなぁ・・・』
ベッドより固い布団にくるまりながら落ちてくる瞼に抗っていたが、結局疲れには勝てずぐっすりと眠りについていた。
そこから毎日、怒涛の日々を過ごした。
いや、別に忙しかったわけではない。
私が慣れない仕事が多すぎて私1人が慌てふためいていたのだ。
大正時代と教えられたこの時代には冷蔵庫も炊飯器もない。
日々ご飯をかまどで炊いてつくる。
最初は火起こしだって一苦労だった。
後藤さんが必死に教えてくれて、やっと火が起こった時は嬉しくてイェーイとハイタッチしようとしたら、後藤さんに怪訝な顔をされた。
ハイタッチ文化はこの時代にないらしい。
掃除だって掃除機なんてないから、箒と雑巾掛けだった。
屋敷は無駄に広いから、雑巾かけるだけでも一苦労だし。
廊下の雑巾掛けなんて毎回足が攣りそうになる。
そんなこんなで夜には疲れ果て、布団にくるまって泥のように眠る日々が過ぎていった。
現実の世界に帰ることを諦めたわけじゃない。
でも何処かで、現実の私はあの時電車に轢かれ死んでしまったんだろうなと思っていたから戻ることはできないんじゃないかと、出来てももうそこに私の肉体はないんじゃないかとそんな気がしていた。
だから、この世界になんとか少しずつ馴染めているのは、とっても嬉しかった。
皆んないい人ばかりだし。
勝手にそう思っていれば、ふわりと不死川さんの顔が浮かんで、頬が熱を持った。
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昼間、庭で鍛錬をしていれば、聞き覚えのある声が名を呼ぶ。
「不死川さん!」
「あァ?・・・あぁ、お前か」
全く警戒心のない締まりのない顔で、名前が小走りに近づいてくる。
前回、屋敷に連れてきた時以来じゃないだろうか。こいつとゆっくりと言葉を交わすのは。
任務もあるため、ずっと見張りをしているわけにもいかないが、日々隠に言いつけて交代でこいつを見張らせている。
『鬼が化けている可能性有り。片時も目を離さないように』と。
まぁ本人は露程も気づいていないだろうが。
その期間もそろそろ1か月になろうかとしているが、いつも届く報告内容は似たようなものばかりだった。
『少し抜けているところがあります』
『人を疑うことを知らないので心配になります』
『いつも笑顔でにこにこと、何事もがんばっています』
段々報告書が、観察日記のようになってくる様に俺はため息しか出なかった。
とりあえずこの1か月、隠を通して様子を見張っていたが鬼の気配は微塵も感じない。
むしろ人が良すぎて疑うことを知らず、一人にしたら頭が足りなさすぎて死ぬんじゃないか、というのが見張りにつけた色んな隠の共通認識らしい。
確かに会った時から、毒のない、なんというか疑うことを知らない箱入り娘のような雰囲気は感じていた。
純粋に、幸せに育てられたであろうことが、よく彼女の素性を知らない俺にさえ伝わるほどだった。
本人が言うように、この危険な世界とは縁遠いところから来たのだろう。
そう、ぼんやりと信じるほどには。
「稽古ですか?大変そうですね」
そう言って名前は屈託のない笑顔でにこりと笑う。
隠が報告書で言っていたままだった。
わざわざ、柱の俺が稽古するなんて当たり前だし、それを労うようなことを言うような奴は周りにいない。
やはり、本当に次元が違うところから来ているから少し感覚がズレているとしか思えなかった。
「・・お前には関係な「あ、そうだ!聞きました!?今日買い出しの帰りにとっても美味しそうな団子を見つけたんですよ。とっても美味しそうだったので、不死川さんも一緒に後で食べませんか?」
「・・食べねェ」
「ええ!?甘いの嫌いでした?」
「うるせェな、俺に構うなァ」
「それは無理です!」
声低く言えば少しは怯むかと思えば、逆にピシリと指を突きつけられた。
「私、不死川さんにめちゃくちゃお世話になってる身なので!少しでも恩返ししたいし・・・。その為にも、不死川さんのことよく知りたいです!」
「はァ?!」
あまりにも考えにないことを言われ、思わず変な声が漏れ出た。
今まで怖がられたり、距離を取られたりすることはあれ、知りたいなんて言ってくる奴はいなかった。
「と、いうわけで、今日はおやつを一緒に食べましょう!私の事、まだ疑ってるんでしょ?なら監視も兼ねたらいいじゃないですか」
決まりですね!と承諾する前に彼女はにこにこ顔のまま、台所の方に走っていった。
・・・考えてることがよくわからねェ・・。
いや、分からないのは最初からだが。
大体俺と仲良くして何になる?
勝手に交わされた約束は守らなくてもいいかと、俺は離れていく名前の姿を見ながら屋敷を後にした。
「不死川さんっ!なんでこの間、おやつの約束無視したんですかっ!?ひどいです!約束守らないなんて最低です!」
次に名前と顔を合わせた時、名前は酷く興奮気味にこちらに近づいてくると、噛み付いてくるような勢いで捲し立ててきた。
前回の約束(勝手にこいつが交わしたわけだが)を破ったことに腹を立てているらしい。
「私、楽しみにしてたんですよ!」
本気でそう、思っているのだろうか、少し顔を赤くしながら名前は声大きく告げる。
「約束なんかしてねェ。お前のかんちが「しました!」
またびしりと叫ぶように言われ、言葉に詰まる。
なんで、こんな時はこんなに語尾が強いんだ、こいつ。
「今度、埋め合わせしてもらいます!絶対今度は付き合ってくださいね!あと、お疲れなら、みるきぃあげます」
手に強引に何かを掴ませると、言い残して名前は走って行ってしまった。
手をそっと開ければ、何やら紙に包まれた飴のようなものがころりとみえた。
「・・・調子狂う」
名前は今まで自分の出会ったことのない人種で心揺さぶられるには、十分だった。
ただ、深入りしないようにしないと。
彼女には帰るべき場所があるのだから、と。
少し心に宿った気持ちは見えない様に蓋をした。
数日後。休憩中に、いつものように鴉が隠からの名前の報告書を運んできた。
すでにお館様には名前は鬼ではないとの報告は伝えていた。
この2ヶ月ずっと様子を見ていたが全くといっていいほどなんの疑うべき部分も見当たらなかったからだ。
それなのに、何かに理由をつけて隠には名前を見張らせていた。
心配半分、興味半分だった。
もっと、名前の事が知りたい。
自然に湧いてくるこの感情が一体どういうことなのか。
認めるわけにはいかず、のらりくらりと感情を誤魔化す日々が続いていた。
その日もいつものように鴉の報告書を開いて、握り飯を頬張る片手間に目を通す。
「・・はっ・・?」
書かれていた内容に思わず握り飯を落としそうになった。
『名前は初給料で、好いた人に贈り物を買うそうです』
名前は隠ほどの能力はないため、屋敷の雑用等々をやらせていたが、先日急に女中頭から名前に給料をあげてはどうかと提案があったのだ。
確かに名前は屋敷の中でも、他の女中に劣らないほどに成長し、良い働きっぷりだと話は聞いていた。
少しだけでも、名前に給料を渡すことでより張り合いが出るのではないか。
いつも厳しい女中頭がそんなことをいうのだから、名前に懐柔されているなと少し驚いた。
確かに、鬼ではないことが判明している今、名前は屋敷に住まわせてるとはいえ、ただ働きさせているのは世間的にもあまり良くない。
そんなことがあり、今回から多くはないが給料を渡すようにしたわけだった。
何度もその報告書の内容を見返した。
「好いた人」
その文字を穴が空くほど見つめる。
『あいつ、好きな奴がいんのかァ・・?』
名前の最近の様子を思い出すが変わった様子もなく、特に親しいような人物もいなかった。
『・・相手は隠か・・?』
名前が唯一親しくしている相手といえば、隠くらいしか思いつかない。
今ももしかしたら、その意中の相手と仲良くしているかも知れない。
そう考えると居ても立っても居られなくなり、名前の元に急いだ。
鴉の案内を受けて、名前の様子を見に町に向かう。
ちょうど買い物をした帰り道なのか、名前は隠と並んで歩きながら何やら重そうに紙袋を抱えていた。
「名前さん、持ちましょうか?」
「いえ!大丈夫です。なんのこれしき」
そういって片手を持ち上げれば、紙袋は傾きずり落ちそうで、隠が慌てて手を添えた。
「わぁ!すみません。1人で張り切ってしまいました・・・」
「大丈夫ですよ。お相手の方、喜んでくれるといいですね」
隠の言葉に、名前は頬を朱に染め少し俯き加減にこくりと頷いた。
その瞬間、急に理解した。
抱えている荷物はきっと好きな相手への贈り物なんだと。
そして、名前の照れたような顔に高鳴っているこの心臓はきっと、名前を想っているからだと。
「クソッ」
贈り物とやらも、照れた名前の顔も何もかもがその好いた人とやらに向いている事実に心底苛立ちを覚えた。
「風柱ァァ!任務ダァ!」
鴉の声にはっと我にかえる。
余計なことは考えるなと、低く心を沈める。
呼吸を腹から吐き出し、ぐっとつぶった目を開く。
「今、行く」
思った以上に低い声が、風になびいて、消えた。
MONOMO