「兄さん、立てる?」

「あ…ああ」

まだ警戒しているのか、ナイフは首にあて、真島の方を向いたまま後ずさりをするようにエレベーターまで向かう。

「兄さん一人で先に逃げて」

「こんな所に一人で残せるか、一緒に行くぞ」

冗談じゃないと言う涼平に

「大丈夫だから、言う事きいて」

強い口調で言われ、あまり刺激するのも良くないと思ったのか、それ以上は何も言わず下に降りて行った。


エレベーターの前には、距離を置いて付いてきた真島と変わらずの態勢でいる彩香が残された。



「もうええやろ。ナイフ下ろしぃや……」

心配そうに言う真島に彩香は首を振る。

「頼むから手当てさせてや」

胸元の服に血が滲んでいるのを見て、優しく言ってみるが変わらず首を振るだけだった。

大きくため息をつくと、ゆっくりと慎重に彩香に近づく。

「来ないで下さい」

「彩香ちゃん…」

悲しそうに自分の名を呼ぶ真島に彩香は胸が苦しくなった。


「……少し痩せたのう。飯、ちゃんと食うとるか?」


言われた途端、涙が溢れた。

兄を逃がした自分を責める事もせず、むしろ彩香を気遣う言葉を掛けられ、、感情が一気に高ぶる。

「まったく…泣きたいのはこっちやで」

困ったように笑う。



これは賭けだった。

真島は自分に、優しく接してくれている。

少なからず彩香に好意を持っているであろうという事は、これまでの言動で感じていた。


だから、自分を人質にする方法を思いついた。

色々と助けてくれた彼に対して卑怯な手だという事は分かっている。

だが、兄を助けるにはこれしか思い浮かばなかった。


もし、それでも真島の態度が変わらなかったら、それはそれで覚悟は出来ていた。




彩香はエレベーターのボタンを押した。


エレベーターが来る間、二人は無言で対峙する。


こんなに近くにいるのに、彩香の涙すら拭ってやれない状況に、真島はもどかしさを感じていた。


到着を告げる音とともに、扉が開く。


「行ってしまうんか?」

エレベーターに乗り込む彩香に、名残惜しそうに声を掛けた。


「……ごめんなさい…真島さん…」

心配そうな顔の真島に、彩香は謝ることしか出来ない。



そんな彼の姿も、閉じていくエレベーターの扉で見えなくなった。


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