そこは十月なのに真冬のような悲しさがあって、錆びかけたベンチはなによりも冷たくて、涙があふれだした。どうしてこんなに、上手くいかないのだろう。叫び出したい衝動に駆られて、手の甲に爪を立てる。食い込んだ部分が白くなっていき、まだらをつくった。
もっと、器用に生きたかった。きっとエバンズなら、こんなことで悩んだりなんかしない。
ふと、視線を感じて、沈みきった物想いの海から引きあげられる。いつの間にジェームズがすぐ隣に座っていたから、わたしは大きく肩を揺らした。彼の口の端がつり上がる。してやったりと言わんばかりの表情。たったそれだけのことで、わたしは悟った。
――やだ、見られてたんだ。
思考を必死に巡らせて、とりあえず黙っておくのが一番だと思った。いまは余計なことまで話してしまいそうだから、ただ両手を握りしめて、向こうから口を開くのを待つ。
風が吹き抜けていき、乾いたばかりの頬に、微かな痛みが広がった。それがどんな痛みよりも耐えきれないものに思われて、わたしはうつむいた。同時に、肩の重みが増す。
「……ありがとう、でも」
掛けられたローブの裾をつかみ、視線で問いかける。それにはまだ、熱が残っていた。
「いいよ、後で返してくれれば」
ジェームズはなんてことない、というように肩をすくめた。
「え、寒くないの?」
「さっきまで身体動かしてたんだ。暑いくらいだよ」
「ああ、クィディッチの練習」
「なんだい、その呆れた声は」
「だって……ほんと、どこが面白いんだか。好き勝手に飛んでるほうがまだいい」
「パッドフットみたいなこと言うなあ。やっぱり、君たち――」
見なくても、ジェームズが笑みを濃くしているのがわかった。うんざりするほどたちの悪いこの冗談を、彼は繰り返し口にする。わたしとブラックがどうこうなるなんて、絶対にありえないのを知っていながら。
決して気分のいいものではなかった。真実とは程遠いことを、決めつけるように何度も言われるのは。けれど、わたしはいまになっては完全に諦めていた。それがすでに、わたしたちのあいだで欠くことのできない冗談になっていたから。言えなかった、もうやめてなんて。
「"似ていて、お似合い"って、言うんでしょ」
「はは、わかってるじゃないか!」
なにもわかっていない。ジェームズがいま、どういう意図でわたしに話しかけているのか、なにを思っているのか……。けれど、臆病者のわたしは脆くて情けない内面を暴かれるのを恐れて、彼のことを深く追求しなかったし、逆に自分自身を追求されるのも、できるかぎり避け続けてきたのだった。
一度そのような関係になったら、なかなか壁を崩すことはできない。だから、いつまでも必要だった。あえてお互いに踏み込まないことから生じる気まずさを、さしあたりはうやむやにしてくれる冗談が。
「で、君はなんでここに?」
ジェームズは、おどけたような調子で言う。
「……もしかして、泣いてたとか」
「泣いてないよ」
対照的にわたしの声は低くて、震えていた。途端に、苛立ちが沸き起こる。上手く言えなかった自分にも、そんなふうにさせた彼にも。早く、どこかに行ってほしい。わたしを放っておいてほしい。
くちびるを噛み締めたまま指先を見つめていると、微かな笑い声が漏れ聞こえた。
「まあ、そうだよね」
いつもと変わらない笑みを浮かべて、ジェームズはわたしを見た。
「初めて君を見たとき、すごく驚いたんだ。最初のDADAの授業で、スリザリンの数人を相手に呪文を連射してたから。か弱そうに見えるけど、君は強いんだって思ったよ。本当に」
「え、なにそれ」
「そうだ! 今度、本気で戦ってみないかい? 君となら面白いだろうなあ」
「いいけど……」
それなら決まりだ! 両手をぱんと鳴らすジェームズを見て、わたしは眉をひそめる。確かあの時、教師が目を離した隙にあいつらが呪文を掛けようとしてきたから、仕方なく応戦したのだった。それを見ていたのなら、もしかして――すべてを知っている?
ジェームズはわたしの沈黙の不自然さに気がつかないかのように、ゆったりと伸びをしていた。わたしがなにも言わなければ、いつまでもこのままのんびり座っていそうな様子だった。
こわい。突然、彼が、ジェームズが、得体の知れない人間に見えた。逃げ出したい。ベンチの両隣に座る、この距離すら不快だ。それなら早く、逃げればいい。いつものように。
「あのジェームズ」
「なんだい?」
優しい声だった。けれど、わたしには彼がやはり、なにかを隠していることがわかった。
早くしないと。すべてが崩れてしまう前に。急いで羽織っていたローブを脱ぎ、彼にありがとう、と言って押し付ける。
「ん、ローブ?」
「思い出したの、用事。スラグホーンのところに行かなくちゃ」
そんな用事なんてない。嘘っぱちだ。自分から言っておきながら、少し罪悪感が湧いて、わたしはなんとなく目をそらした。
空はすっかり薄暗い雲に覆われていた。さらけ出された肌に、ひんやりとした風があたる。まだ、返事はない。重い沈黙にいたたまれなくなったわたしは、「前から言われてたのに、忘れてたの」と付け加えて少し後悔した。やりすぎたかもしれない。
「ああ、そっか。久しぶりだからもっと話しておきたかったのに、残念だなあ」
場違いな明るい声に、思わず視線を戻す。ジェームズは、まだ笑みを浮かべていた。笑っているようで、全然笑っていない。本心を隠していると思った。直感的に。けれど、それを暴くつもりはない。この先も、ずっと。
わたしはなにも気づいていないふりをして、「じゃあまたね」と言った。ああ、もう耐えきれない。返事を待たずに背を向けた時、抑えたような低い声がした。
「逃げるなよ、ナマエ」