雨音
雨がぽつりぽつりと降っている。
エドワードは窓から垂れる雫の向こう、いつもより薄暗い外を見ていた。
「あー…うー……」
「なんだよ兄さん」
小さな子供のように唸るエドワードにアルフォンスは呆れている。アルフォンスには兄が何を考えてるのかなんてお見通しなのだが、あえて何も言わずにその意味を問うた。
「だってよー」
エドワードは頬杖をついて不満そうな顔をしている。いや事実、不満、なのだ。この現状が。
こんなこと、している場合ではないのに。
エドワードはハァ、と何度目かの溜息を吐く。
雨が降る度一日宿にいるのは時間の無駄になってしまうではないか。流石に毎度、というわけにはいかないが、雨の日は大抵足止めを食らっている気がしてならない。
自分たちは元の身体に戻るという目的があるのだから、一分一秒とも無駄にしたくないというのがエドワードの言い分だ。しかし当の弟に強く引き止められて、エドワードはしぶしぶ宿の中にいるのだった。
空からは絶え間なく雫がこぼれている。窓にたまったそれが落ちて、ぴちゃんぴちゃんと定期的なリズムを刻んでいた。
「早く行きてえなあ…」
「ダメ。兄さんすぐ風邪ひくんだから」
ぽつりと呟いたエドワードに即答するアルフォンスの手には、分厚い本がある。それを目に通しながら、兄の状態を改めて確認する。顔色自体はそこまで悪くはないけれど。
アルフォンスは眠れない分、兄をよく観察している。
無駄に足止めしている訳ではない。自分だって、一日も早く兄さんの手足を元に戻したいと思っている。けれど無理をしても意味はなく、むしろ、遠回りになってしまうのを分からないほど子供ではない。兄さんはそのへん分かっていない(罪の意識からなのは分かっているけれど、兄さんは自分を後回しにし過ぎる)から、自分がしっかり兄をサポートすると決めているのだ。体調管理もそのひとつ。
目元の隈、いつもより緩慢な動作。雨だから機械鎧の接合部が痛むのも原因だろう。今日は低気圧が強いとラジオで言っていた。こんな時に動き回ったって、怪我をするのが目に見えている。雨の時は大人しくするのがいい。
アルフォンスは読んでいた本を閉じて、エドワードに差し出す。
「兄さんも読みなよ」
「それ読んだ」
「………夜更かし」
「うっ……違えよ!」
アルフォンスのやや温度の下がった声色に、エドワードは慌てて否定した。「昨日借りたのに?」とアルの声が後追いする。アルフォンスは怒ると自分以上に怖い。しかし夜更かしをして身体を休めていないことはアルフォンスに伝わってしまったようで。
しまった、アルには絶対隠そうと思っていたのに、とエドワードは縮こまる。
昨夜、静かに部屋を出て行ったアルフォンスを横目で見ると、彼が借りてきた本────「文献」に手を伸ばした。一人にする時間も必要だからと気遣っての行動だと分かっていたが、眠れないのだから仕方ないと自分に言い訳をして読みふけっていたのは事実だ。決して弟の目を盗んで、じゃないぞ!………だって、これは錬金術の手法に関する本で、しかもついこの前新しく出版されたものだ。錬金術は日々研究されている。もしかしたら、お前の身体を元に戻す手掛かりが見つかるかもしれないんだ。
言い訳をごにょごにょ話す兄に、アルフォンスは溜息を吐きながら「そういうのは昼間やってよね」と一言放って再び本を開いた。全く、借りた自分より先に読んじゃうなんて、ずるいんだから。とページを進めていく。どうやら説教は免れたらしい。エドワードは「悪かったって」と言いながらベッドに寝転んだ。
「雨かあー…」
早く、早く、手掛かりを。アルフォンスを元の身体に戻す手掛かりを。
そう焦ったところで現状は変わらないわけだが、自分が犯した過ちなのだ。立ち上がれ、とあのいけ好かない男に叱咤されて前に進んだ。前に進む以上、立ち止まるわけにはいかない。
腕で顔を覆ったエドワードの耳に入ってくるのは、ページを捲る微かな音と、外の雨の音。
ピチャン、ピチャン
雨樋に溜まる水の音。普段ならうるさいと感じる音が、今日はどこか違って聞こえた。なぜだろう?まるで雨が意思を持っているみたいだ。アルフォンスがそっとこちらを伺う気配がしたけれど、何故か瞼が重くてそのままでいた。
エドワードの焦りは雨のリズム良い音にかき消されてゆく。
ポツポツポツ…
「…ん……」
雨の音は安らぎを落としていく。それはまるで眠れ眠れと誘っているかのよう。あまり眠っていなかった身体をそっと撫でているかのように。思考を奪って深い眠りに。
ポツポツ…ピチャン
規則的な呼吸が聞こえて、アルフォンスは本を閉じて静かにエドワードの傍に寄った。
兄さんは、雨の日は嫌かもしれないけれど。暗いと気持ちも沈みやすいし、接合部が痛むのを耐える兄さんを見るのも辛いし、自分の血印の心配もあるけれど。でも、たまにはこんな特典もあるから、僕は雨の日は嫌いにはなれないんだ。
今日の強すぎない雨音は、兄に睡眠を促してくれると思った。強すぎる雨は不安感を煽って悪い夢を見やすい。けれど今日は静かで、心地良い音。疲れた兄の身体を休めてくれるような優しい音。だから夜寝なかったという言い訳に説教もせず、ただ見守った。
雨の音は同時に癒しにもなってくれる。ヒーリング効果にも使われているっていうの、知ってる兄さん?
僕は兄さんと一緒に前に進みたいんだ。だから今日はゆっくり休んで。
アルフォンスは眠る兄にそっと布団をかけて、隣に座った。
静かな雨の音がふたりを優しく包む。
「おやすみ兄さん。明日はきっと晴れるから」
end...
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ユーザーテンプレ様。「rain」アニメーションに惹かれてお借りしました。