罪深き貪欲




 その日は、いつもと何ら変わりない日常だった。賢者の石を探し、弟の身体を取り戻す目的のために生きる、そんな日々。その日は大きな怪我も特別していなかったし、体調も悪くなかった。前兆らしい前兆はなく、それは突然だったのだ。
 東方司令部でエドワードは日々の報告がてらロイから情報を貰おうと詰め寄っていた。からかいや冗談混じりのいつもの会話。側ではアルフォンスが微笑ましく見える光景を見守っていた……はずなのに。

「ぅあッ、」
「鋼の?」

 会話中、突然、ガン!と大きな衝撃が頭に。ズキリ、と軽いものではなく鈍器で殴られたような強さ。思わず頭を抱えふらつく。
 突然のことに、ロイとアルフォンスは立ち上がってエドワードに手を伸ばした。

「鋼の、どうし…………」
「ぅ、ぁ、ぁあ……ッッ!!!」

 頭を抱えたまま、その場に倒れ込んだ。どんな痛みにも耐えて決して悲鳴をあげない彼が、痛みに声をあげてもがいている。
 その場にいた誰もが動揺していた。ホークアイがいち早く、救護班の手配をする。

 殴られるような衝撃に、内側から何かが這いずり回るような感覚。吐気とは違って、何か大きな力が働いているかのような。自分を壊す、何かが。その不快感から逃れようと、必死にもがいた。
 冷や汗が一気に吹き溢れ、顔色はどんどん悪くなる。

「兄さん!」
「待て、動かさない方がいい、」

 抱き抱えようとしたアルフォンスを制して、横向きにさせる。すると、ごぽりと嘔吐した。朝食に食べたであろう食塊が床に飛び散った。
 ロイは動揺しながらも、なるべく安静にしなければと冷静に対応する。
 こんな、急に。この症状、何らかの大きなダメージが一気に襲っているようだ。呼吸がおかしい。

「な、に…………やだ、兄さん、兄さ………」

 濁った瞳をする兄を目の前にして、アルフォンスは震えた声で現実を拒絶した。

 だって、今、直前まで。冗談言って、笑い合ってたじゃないか。体調だって悪く見えなかったはずなのに。なのに、何で?
 ………こんな別れは、イヤだ。こんなふうにいなくなるなんて許さない。やめて、兄さん。これは嘘だと言って。

 到着した救護班に酸素マスクをつけられ、直ちに軍病院へ運ばれていく。
ロイも呆然とするアルフォンスを引っ張って病院へ直行する。ホークアイ中尉もハボック少尉も、悲痛な顔をした後、手で顔を覆っていた。
 それが何を表すのかなんて、知りたくない。



 病院へ着いたふたりは、エドワードの処置室へ直接案内された。既に酸素マスクではなく、人工呼吸器になっていた。血圧は異常に低く、酸素飽和度も低い状態なのだという。唇の色も、手足の色も悪い。
 血圧を上げる薬や様々な点滴を使い治療してくれているが、医者は無情にも「覚悟してください。」と放った。
 ここにいるのは誰なんだろう、と思った。夢だと思いたかった。覚悟って何の?
 残された空間は、いつもの3人の空間ではない。

「大佐……兄さんは、大丈夫ですよね」

 大丈夫、と返すことは出来なかった。大勢の死を見てきたから、嫌でも分かってしう。血圧と酸素の低下。チアノーゼも出ている。何よりあの、濁った瞳。状態から見ても、死を間近にした者のそれだ。それはホークアイもハボックも、あの場にいた全員感じたはずだ。
 こんなところで死ぬ君ではないだろう、君には成し遂げなければいけない目的があるのだろう、と言いたいのに。
 精神論などなんの役にも立たないと知っている。現実は非情だ。

「兄さんは……こんなところで死なない」

 強がって希望を持つこの子供にかけてやる言葉も、ロイには持ち合わせていなかった。


 それは突然のことだった。なんの前触れもない悲劇。その時の彼らには……だが。
 彼の身に何が起きたのか、それを知る者は誰もいない。



***



 走って走って、銃撃戦から逃れるために身を隠した。錬金術のない世界でも戦争は絶えないらしい。

「兄さん、大丈夫?」
「ああ、お前は?」

 一部機械鎧の自分より、今は生身であるアルフォンスの方が心配だ、とエドワードは言う。もう錬金術を使っていたあの頃とは違うのだから。

「僕も大丈夫だよ。転んでかすり傷作っただけ。っていうか、兄さんったら、まだそんなこと言って。少しは自分の身を守ることを考える習慣もつけてよね」
「ハイハイ、わかってるよ」

 本当に僕がいないと駄目なんだから兄さんは。そんな小言を笑いながら小突いて、ふたりは寄り添う。
今、隣には生身のアルフォンスがいる。ずっとずっと求めていたアルフォンスが。
 この幸せを、今度こそ手放すものか。……そう思っていたのに。
 罪人は幸せを望むなというかのように、あっけなく別れは訪れる。

「ね、兄さ…………」

 乾いた音が空間を裂いた。スローモーションのようにアルフォンスの身体が傾く。全ての音がシャットダウンされたかのように静寂しかない。

「………アルフォンス?」

 血溜まりになる地面。ぴくりともせず、固く閉ざされた瞳。心臓を貫かれたであろう銃跡。薄く開いた口から呼吸音はない。
 死んだのだと嫌でも理解した。
 なんで。どうして。
 冷たくなっていくアルフォンスの身体を強く抱きしめる。

 なあ、もう帰ろう。俺たちのいた世界へ。ウィンリィ、ばっちゃん、大佐たちのいるところへ。
 無くして久しい錬金術を思い出した。故郷も捨てる行為までしておいて、錬金術が使えたらと未だ考える自分がどこまでも罪人だと思った。
 ああ、俺はお前の言う通り、お前がいないと駄目なやつだよ。

 後ろから、再び銃声が響いて…………そこで、意識が途絶えた。
 旅をしていたあの頃を脳裏に浮かばせながら…………………。




***



 病院では、奇跡だと噂されていた。誰もが、もう生還は不可能だと思っていたのに。
 昏睡状態だったエドワードが、現在、回復傾向にある。
 ある時、少し血圧が上がったかと思うと、ゆっくりだが徐々に数値が上がり顔色も良くなっていったのだ。自発呼吸も戻り、酸素マスクに切り替えられた。
 原因は未だ分からず終いだが、医者も周囲も奇跡だと讃えている。
 油断は許さないけれど。

「兄さん………早く目が覚めて…」
「鋼のは強いな」
「勿論ですよ。兄さんは死なないって言ったでしょう」

 死を覚悟した方がいい、とロイにまで言われてアルフォンスはこれまでにないくらい反発した。その想いが届いたかのように、エドワードは回復している。後は目覚めるのを待つだけだ。




***




 光を感じて、意識が浮上した。ゆっくり目を開けると思ったより眩しくて何度か瞬きする。
 ここは……………。

「兄さん!僕だよ、分かる?」

 ガションと音を立てて覗き込むアルフォンスに、エドワードはとりあえず頷いた。

「良かった、本当に……」
「ア、ル………」

 声が出しづらいのは何故だろう。自分は一体どうしたのか。ここは病院?

「鋼の、気分は?司令部で急に倒れたんだぞ、びっくりさせるな」
「………」

 唐突に、何を言ってるんだろうと覚醒した。
 なんだ、これは夢か。だって自分は門の向こう側の世界にいるはずなんだ。錬金術もウィンリィもばっちゃんも大佐たちのことも捨てて、生きていくはずだった。
 それから?……そうだ、戦争に巻き込まれて……アルが…………アル?
 さっき鎧のアルがいたよな?やっぱり夢か。

「…兄さん、死にかけたんだよ」
「急に苦しみだして、数日前まで危篤状態だった」

 ふたりの説明を聞いて、愕然とした。それを聞いて、急に現実味を帯びてくる。
 目の前の鎧のアルフォンス、眼帯をしていない大佐、自分の幼い身体。

 まさか。

 あの時、アルが死んで。俺も撃たれて……。
 死んだはずの自分が「過去」にいる。
 夢じゃない。まさか、自分は、過去の自分の命を代価にしたのか?
 だから戻ってこれた?
 死ぬ間際に思ったのは自分たちの故郷へ「帰ろう」と……………。あの頃に戻れたらと。

 でも。

 鎧のアルフォンス。ああ、何という過ちを。
 戻ってきたいと願ったのは自分のはずなのに、現実を目の当たりにしてエドワードは自嘲気味に笑った。そして、深い息をつく。


 なあ、アル。
 俺はどこまでも罪深い人間だ。過去の自分まで殺して、やり直したいと望んでいる。
 でも、今度こそ。今度こそ…………。
 エドワードは拳をきつく握って、前を見据えた。


end.




追記

シャンバラエド→1期エドに逆行する際、魂が上書きする過程。「過去の自分を代価にする」
※続きません。



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