ステージが明ける前に



 23時26分。
 まだ一応、日付は変わる前みたいだ。
 ESの敷地内に入りながら、貰ったばかりの懐中時計で確認する。リボンの装飾が入ったブルーゴールドのそれは、今年最後の撮影を終えたスタッフさんから受け取ったものだった。ところどころに砕いたダイヤのようなものが埋め込まれていて、きらきらしている。夜の街頭に反射して、なんだかそれが星屑のように見えた。

「茅さんも、大晦日はゆっくりしていてくださいね」
 数日前までそんなことを言っていたマネージャーから、長文で謝罪と撮影の連絡が入ったのが今朝の話だ。新作が完成したから今年中に撮影をしろとデザイナーが言い出した、みたいな内容だったと思う。まぁ、新作のデザインも可愛かったし撮影も上手くいったから、別に良かったんだけど。同室の子たちは年越しライブの予定が入っているから、今寮に戻ってもボクひとりだし。

 ぼんやりしながら歩いていたせいか、無意識のうちに事務所の方に向かっていたことに気がついた。そこそこの頻度でれおせんぱいが居残っているせいで、なんとなく事務所の様子を見に行く癖がついてしまったみたいだ。
 そのせんぱいも、今日はライブのはずだから居ないんだけど。
 もしかしたら社員さんがいるかもしれないな、なんて思いながら事務所の前まで来たけれど、残念ながら電気は消されていた。今日はライブ運営の方にいるか仕事を終えて帰宅しているか、どちらかなのだろう。部屋まで送ると主張していたマネージャーさんも、本当はそのライブの方でお仕事をしているはずだったんだし。申し訳ないので彼女のことは門の前で帰してしまった。
「え、あれ?」
 扉に鍵がかかっていない。というか、少し開いている。ってことは、誰かいる?
 ガラス越しに様子を伺ってみると、もそもそと動く人影があるのがわかった。
「♪〜♪〜♪〜」
 耳をすませると、なにやら鼻歌のようなものも聞こえてくる。これ、めちゃくちゃよく知ってる声だ。せんぱいの声。何度も聞いたことがあるから間違いない。なんだか楽しそうなので、多分作曲でもしているんだろう。
 え、でも、ライブは?
 もしせんぱいが居ないってなったら、お兄ちゃんたちから連絡とか入ってそうなものだけど……と首を傾げていたところで、携帯の電源を切っていたことを思い出した。
 そっと携帯を取り出して、起動。瞬間、画面がどんどん通知で溢れていった。送り主はお兄ちゃん、かさくん、なるくん……どれも、せんぱいの居場所を知らないか、どこかで見ていないかという内容のものだった。かさくんなんて、焦っているのか酷い誤字までしている。ってことは、あそこに居るのはせんぱいで確定だろう。

 恐る恐る事務所に入りつつ、暗闇の中の人影にそっと声をかける。だんだん慣れてきた目を凝らしてみたけれど、やっぱりそこに座っているのはれおせんぱいで間違いないみたいだった。髪の毛は床に転がってボサボサだし、衣装を着ているわけでもない。床には五線譜の入った紙がばら撒かれ、音符は壁のあちらこちらにも続けられていた。
「せんぱい……?」
 その背中に話しかけようとしたところ、せんぱいが軽快な歓声をあげた。ボクの声は、せんぱいの声に掻き消されてしまう。
「出来た! 今年1年楽しかったな〜の曲!」
 どこか遠くで、年が明けるのを告げる鐘の音が聴こえる。
「……もう年越しちゃいましたね……」
「えっチガヤ、いつの間に? なんで? いやまて、言うなよ!」
 ボクの声に気がついたれおせんぱいが、ぱっとこちらを振り返る。サファイアグリーンのその瞳は、おもちゃ箱の中にしまってある宝石みたいに、輝きを放っていた。
「行きましょう、お兄ちゃんたちが探してますよ」
 そう声をかけつつ、せんぱいの手を取る。
 新年の挨拶は、また後で。あなたのステージを、目に焼き付けてからにしますね。
 そんなことを、胸の奥の方で呟きながら。


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