騎士様は愛を紡ぐ



 あの人の「愛してる」だけを信じて10年が経った。
 でも私は履き違えていたみたいだ。
 騎士は決して、王子様にはならない。

× × ×

 生放送の音楽番組、拡大放送。
 告知発表から慌てて名義をかき集めて、やっとの事で観覧のチケットをもぎ取った。知り合いに片っ端から頭を下げて名義を借りたので、今度お返しに菓子折を包まないといけない。
 夢ノ咲学院に普通科に入学した私は、そこで出会ったひとりの男に惚れ込んでしまい、10年もの間追い続けていた。学院に入学した理由は、アイドル科がある学院なんて最高、アイドルの卵と会えるかも〜なんて軽いノリだったと思う。当時の私は、そこで出会った大好きな人が音楽番組の特番でメインを張るようになったと聞いてどう思うだろうか。信じてくれないかもしれない。
 一目惚れしたアイドルがそんなに大きくなっていったことも、同じものを追いかけ続けたことがなかった私がまだ彼を応援していることも、10代の私は想像すらしていなかったのだから。

 月永レオくん。私の大好きなアイドルの名前だ。
 アイドル養成に力を入れている、夢ノ咲学院アイドル科の卒業生。天才作曲家、そして騎士道がコンセプトのユニット『Knights』の初代王さまだ。つり目と、笑った時に覗く犬歯がチャームポイント。背は男の人にしてはそこまで高くない方。童顔で肩まである長い髪をしばっているから、黙っていると女の子と見間違えることもある、なんてよく言われる。
 いつも予想を出来ない動きをするのに、1度スイッチが入ると人が変わったように歌い出す。その姿が大好きだった。
 レオくんに会うため、と学生時代夢ノ咲で開催されたライブにはほとんど参加している。クラスの子たちが他のアイドルに目移りしていくなかで、卒業まで見送った。レオくんと同じ年に卒業して社会人になってからは、自由な時間が減った分金銭をかけるようになった。
 Knightsが大好きなレオくん。音楽が大好きなレオくん。ライブでは、誰よりも楽しそうに歌うレオくん。
 アイドルを狙ったゴシップが多いこのご時世だが、レオくんは異性の気配を漂わせたことが一切ない。きっとこれからも、ないだろう。なんでかレオくんはそう思わせてくれる。
 レオくんは一生、私の王子様だ。

『Knightsの皆さんです!』
 司会者の紹介に、観覧席から歓声が上がった。
 初めて見る衣装だ。ってことは、新曲? 白基調で、細身のパンツ。胸元には薔薇の花、袖口には控えめにレースがあしらわれている。いつもならふわふわとアホ毛が出ているのに、心無しか今日は髪の毛のセットがいつもよりもしっかりとされている。レオくんは右手に手袋をはめている。それから左手、手袋をはめていない方の薬指には、
「マジか」
 指輪。この人、指輪付けてる。
 今回の衣装は恐らく、ウェディングモチーフだろう。それで指輪…? 衣装担当の人は、死人でも出したいのだろうか。
 みるみる、身体の体温が上がっていくのを感じる。席交渉して正解だったかもしれない。もしビジュが微妙だったらどうしようとか思ってたけど、文句のつけ所がない。
「お姫様!今日は俺たちのために来てくれてありがとうね!」
 1歩前に出て、笑顔で観客席に手を振ったのは海外でモデルとしても活躍している、瀬名泉くん。レオくんと一緒に、学生時代Knightsを支えてきてくれた人だ。相変わらずきざな人だな、と思いながらレオくんを追うと、客席を見回して自分のファンを探しているようだった。慌ててオレンジに光らせたサイリウムを振ると、ぱちりと目が合ってこちらにピースサインを向けてくれた。
 司くんの目配せで揃えて礼をすると、拍手が沸く。黒のサングラスをかけた司会者が、5人に着座を勧めた。
『前回とは打って変わった華やかな衣装ですねえ』
 司会者のトークに、マイクを受け取った司くんが「ありがとうございます」と微笑む。朱桜司くん、Knights最年少にして、ユニットのリーダー。それから、財閥?の代表……だったっけな?私が学生時代見ていた頃の彼は、まだ他のメンバーについて行くのが精一杯という感じだった。司くんもすっかり、Knightsのリーダーが板についている。
「今回は曲のimageに合わせて衣装を選んでいただきました」
「お姫様たちに伝えられていると嬉しいわ」
 司くんの隣で頷いたのは、泉くんと同様にモデルとしても活躍している、鳴上嵐くんだ。それからその奥には、朔間凛月くん。凛月くんは、お兄さんも別のユニットでアイドルとして活動している。
 どう、似合う? という凛月くんの問いかけに、黄色い声が上がった。似合うどころの話ではない。この衣装は恐らく、Knights以外に着こなせる人はいないだろう。
「月永さんが付けているこの指輪も衣装なんですか?」
 司会者がレオくんの手元を指さす。指輪にはめ込まれた宝石が照明に反射して、きらきらと輝いている。
 あ、やっぱり気になるよね。指輪を付けているのはメンバーの中でレオくんだけ。普段のレオくんは装飾品を付けていることがあまりないから、共通の衣装でないことに驚きが隠せなかった。スクリーンにレオくんの手元がぱっと映される。
 ……少しだけ、泉くんの眉間にシワが寄った気がした。
「え?あっ……」
 一瞬何かを思い出したような顔をしたレオくんが、ぽん、と手を叩いた。何かを察知したように、泉くんがレオくんのほうを見た。

「─────おれ、そういえば結婚した!」

『えっ?』
「ちょっと」
『結婚ですか〜、どなたとです?』
 結婚?
 身体が、金縛りに遭ったかのように動かなくなった。
 一気に会場にざわめきが広がる。私以外のレオ担も、動揺が隠せないようであった。どこからか悲鳴が聞こえ、視界の片隅に警備員の姿が映る。
 司会者の質問に、レオくんは笑顔で答えた。

「チガヤ!」

 それはもう、一点の曇りもない笑顔で。

× × ×

 そこからの記憶は、正直あまり無い。
 あの月永レオが、結婚発表をした。それも生放送で、あろう事かブライダルモチーフの新曲初公開のタイミングで。
 相手は、レオくんより1つ下の、瀬名茅という子だそうだ。名前は聞いた事ある子だった。夢ノ咲学院卒業生で、レオくんと同じ事務所に所属しているモデル。そして、泉くんの妹。
 ここしばらくネットニュースのトップ記事を独占しているし、ワイドショーもその話で持ち切り。レオくんだけじゃなくて、泉くんも各局に引っ張りだこであった。メディアにとっても想定外の発表だったようだ。

 テレビ史に残る、伝説の放送事故。
 私は皮肉にも、その現場の目撃者となってしまった。

 ピコン、と携帯の通知が鳴って、マナーモードにしていなかったことに気づく。心配してくれる友人もいたが、最後に話したのはいつぶりか分からないような人からの連絡の方が多かった。

 煩い。
 煩い煩い煩い。

 10年間、レオくんに裏切られたことは1度もなかった。いつだってレオくんは最高のアイドルだったし、私たちのことを愛してくれた。でも、愛していたのはファン……「お姫様」という名の「私たち」で。「私」じゃなかった。月永レオは、月永レオだけはアイドルだと思っていた。こんな形で、こんな発表で、ひとりの男性になっていい訳がなかった。私の10年間が、こんな形で崩れていい訳がなかった。
 発売された新曲は、あれ以降聴けていない。売り上げは過去最低を記録したらしいし、音楽番組でもほとんど見ることが無くなった。どんな曲だったか覚えていないけど、聴くとあの日のことを思い出してしまうのは目に見えていた。
「……レオくん」
 初めて握手会に参加した日、「おれのお姫様」って言って両手を強く握ってくれたのを今でも覚えている。瀬名茅と出会ったのは高校在学中だった、というSNSの投稿を見かけた。何がお姫様だ、何がおれのだ。あの時にはお前はもう、ひとりの女のことしか見てなかったってことだろ。
 ぐちゃぐちゃになって、仕事すらもままならなくなってしまっていた。職場でも、営業先でも、どこに行ってもレオくんの話題が飛び交っている。最初は私に「ニュースを見た」と声をかけてきた同僚も、数日後にはもう私には触れなくなっていた。10年間をドブに捨てた後遺症は大きい。私はあまりにも、空っぽになっていた。

× × ×

 結婚騒動から数ヶ月経ち、世間はだんだんとあの日のことを話題に出さなくなっていった。Knightsも何食わぬ顔で次の新曲を出していたし、私以外が日常に戻っていくような感じがしていた。私は相変わらず抜け殻のままだというのに。

『瀬名茅 3rd写真集発売記念 握手会開催!』
 ふと入った本屋で、その名前を見つけてしまった。胃がきゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。壁に貼られたポスターには、兄によく似た色白で線の細い女性がいた。薄い紫を基調にしたドレスワンピを着て、ポーズを取っている。あれからずっとメディアの情報を極力シャットアウトして生活してきたから、その顔をまじまじと見たのは初めてかもしれない。
「握手会……」
 会って文句のひとつでも言えたらスッキリするのかもしれない。もしかしたら、実はデマなんですって瀬名茅が言ってくるかもしれない。
 いい加減この生活を続けることに精神的限界が来ていたように思う。どうしてそう思ったのか、と言われるとよくわからない。それでも、瀬名茅に会って一言物申すことが今の私にとって最善策な気がしていた。


 握手会当日。
 開店とともに店舗に入った私は、難なく写真集を購入して、整理券を受け取った。想像以上にあっけなく受け取ることが出来てしまい拍子抜けしたのだが、周りのファンはあまりイベント慣れしていないのだろうか。写真集は見る気が起きなかったので、そっとトートバッグの中にしまった。
私にとって未知の領域だったのだが、モデルにはアイドルファンとはまた違った層のファンがいるようだ。
 これから瀬名茅に会う。なんとなく、そう思うと背筋がしゃんと伸びたように感じた。不思議と頭は冷静になっていた。

「次の方、荷物お預かりします」
 スタッフに誘導されて、棚の中に荷物を置く。ショッピングセンターの半地下の一角に握手会ブースは作られ、階段に沿って列が形成されていた。
 深呼吸をして、ブースの中に足を踏み入れる。
「今日は、ありがとう。お名前は……」
 そこにいた女性は、写真で見るよりもずっとずっと透明で、綺麗な人だった。お人形さんみたい、というのが第一印象。アーモンド型の目に、長い睫毛。前髪と後れ毛を切り揃えており、顎までの長さの髪を緩く巻いている。陶器のように白い肌で、薄い唇にはほんのり桜色が乗っていた。そこに佇んでいるだけで絵になる、そんな人だ。
 差し伸べられた手を握りながら、私は真っ直ぐ、瀬名茅のことを見つめた。
「私は月永レオくんの、ファンです」
「れおくんの」
 握っていた手に、ぎゅっと力が入る。
「わざわざ、この為に写真集、買ってくれたんですね。……ボクに、会うために……」
 ありがとうございます、と手を握ったまま軽く礼をする。彼女の表情はほとんど変わらないままだったが、その手は小さく震えていた。それでも、手は離そうとしない。
「月永レオって、何なんですか」
 瀬名茅の瞳の中に、私の顔が見える。酷く、怖い顔。
「……そうですね」
 震えていた腕が、ぴたりと止まる。付けていた腕時計の秒針だけが、時間の流れを教えていた。
「騎士。自分の大切なものを、傷だらけになっても愛し続ける、そんな人です」

 ひんやりとした手の感触が、終わってからもまだ残っていた。私の前にも握手している人達は何人もいたはずだ。あれだけの人と握手しているというのに、彼女の手はびっくりするくらい冷たかった。
 瀬名茅がレオくんに相応しいだとか、そんなことは思えない。さすがにそこまで、物分りが良い子供ではない。あんな一瞬で、レオくんを応援してきた10年間は無くなりはしないし、あの日のレオくんも、瀬名茅も許すことは出来るわけもなかった。
 瀬名茅は、月永レオのことを「騎士」だと言った。
「あなたにとって何ですか、って聞くべきだったかなぁ」
 その答えはきっと、違うものだったように思う。

 騎士は決して、王子様にはならない。
 騎士は決して、お姫様と結ばれない。


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