はじまる



「ん〜」
 もぞもぞと手を動かすと、人肌のようなものに触れた。
「あ、くまくん起きた」
 俺の伸ばした手はセッちゃんの腕にぶつかっていたようだ。雑誌に目を落としていたセッちゃんが、顔を上げる。
 ここは、え〜と、そうそう。音楽番組の控え室。俺が寝てるのは、畳に置かれた机の上。セッちゃんの奥では、月ぴ〜がいつものように紙の束を撒き散らしていた。

「よかった、これ以上起きなかったら叩き起こそうかってなるくんと話してたとこだったから」
「そうねぇ、ちょっと乱暴しなくちゃいけなくなるところだったわ」
「う〜、そんな事しなくても起きるんだけどなあ……?」
 さっきまで寝てたじゃん、とセッちゃんに突っ込まれる。本番前の仮眠は俺にとって必要不可欠だから、しょうがないと思うけど。背後にいたナッちゃんは、俺が起きたことで安心したのか再び鏡の前に移動していった。
「おっ、リッツ起きたか!睡眠は大切だぞ〜!寝る子は育つ!」
 スランプから脱出した、と言っていたからか、心なしかいつもよりも撒き散らされてる紙の量が多い。
「月ぴ〜、うるさい。耳に響く」
 うーん、と伸びをすると、セッちゃんが開いていた雑誌の表紙が目に入った。
「あれ?ていうかセッちゃん、それ」
「ん?ああ、この前の撮影」
 くまくんよく気づいたね、とセッちゃんが表紙をぱらぱら捲る。まぁそりゃあ、表紙にそんな全面的に『瀬名』って書いてあったら気づかない方が無理な話だと思うけど。
「セッちゃんが自分の載ってる雑誌持ってくるなんて珍しいね」
「んー、まぁね。いい撮影だったし、ちぃも気に入ってるみたいだったから」
 あ、チ〜ちゃんいるんだ。そういえば、チ〜ちゃんも俺たちと同じ事務所でモデルしてるんだっけ。最近は事務所で顔を見ることがほとんどだから、忘れてた。
「えっ? セナ、撮影したの? 見せて見せて〜!」
 ぱっと顔を上げた月ぴ〜が、千切れるような勢いでセッちゃんの手から開きかけの雑誌を奪おうとする。
「ちょっと、破れるからやめてよねぇ!ほら、見せるから」
「さすがセナだな! ありがとう、愛してるよ!」
「はいはい」
 少し気になったので、身体を起こして月ぴ〜の側に移動する。覗き込むと、そこには白いタキシード姿のセッちゃんが、純白のドレスに身を包んだチ〜ちゃんに手を差し伸べている姿があった。
「ブライダル……」
「そう。まさかちぃ相手にブライダル撮影なんてすると思わなかったけどね」
 意味わからない、とでも言いたげなセッちゃんだけど、収録前に読んでるくらいなんだから相当気に入ってるんだろう。こいつも何だかんだ、妹のこと好きなんだよなあ。
 何ページにも渡る、特集記事。教会だけじゃなくて、1面鮮やかな水色のお花畑で撮ったショットもあった。
 チ〜ちゃん、改めてセッちゃんにそっくりなんだな。華奢で綺麗な顔立ちをしてるから、ウエディングドレスがすごく映える。普段は事務所で色々お手伝いしたりとか、月ぴ〜の面倒見たりとかしてる姿しか見ていないから、なんだか新鮮な感じだ。チ〜ちゃん、立派なモデルさんなんだなあ。
 ……それにしても、2人ともすごく幸せそうに笑っている。
「え〜、いいと思うよ。セッちゃんもチ〜ちゃんも楽しそう」
 そう? と満更でもなさそうにセッちゃんが応えた。

「…………かわいい」

 本当に、小さな小さな声だったと思う。多分入り口側にいるス〜ちゃんやナッちゃんには聞こえてなかったんじゃないかな、ってくらい。
 いつも大声をあげて笑っている月ぴ〜が、雑誌を囲んでいた俺たちにしか聞こえないくらいの声で、ぼそっと呟いた。
「はぁ?」
 記事に目を落としていたセッちゃんが、ぎっ、と月ぴ〜の方を睨む。怖い。セッちゃんは、綺麗な顔が凄むとめちゃくちゃ怖いってことを、いい加減わかった方がいい。
「なにそれぇ、聞き捨てならないんだけど、れおくん?」
「……ん? おれなんか、変なこと言った?」
 顔を上げた月ぴ〜が、きょとんとした顔で首を傾げる。
 月ぴ〜とチ〜ちゃんは、月ぴ〜が卒業するまでぴったりくっ付いているのが当たり前だった。セッちゃんがそれを良しとしていたのは、多分、月ぴ〜が下心なく純粋に「霊感」を求めているだけだったからだ。チ〜ちゃんの方は、知らないけど……。
「セッちゃん、顔、顔」
「あのねぇ、れおくん」
 俺の言葉を遮るように、セッちゃんはぐいっと月ぴ〜の顔を自分の方に引き寄せた。その弾みで、ころん、と月ぴ〜の背中から転げ落ちる。ゴッ、と鈍い音が響くと共に背骨に激痛が走った。い、痛い……!
「ちぃのこと、変な目で見たら許さないからねぇ、俺が」
「へんなめ?」
「そう、変な目」
 未知の存在に出会った時の子どものような顔をした月ぴ〜を他所に、セッちゃんは立ち上がって服のシワを取り始める。それを見計らったかのように、ガチャ、と扉が開いてスタッフさんからスタンバイの声がかかった。疑問符だらけの月ぴ〜と、背中に大ダメージを負った俺を残して、セッちゃんはドアの方へ向かう。
「ほら行くよ、れおくん。くまくんも」
 うう、と背中を擦りながらゆっくり立ち上がった。俺に関しては、完全にとばっちりだ。月ぴ〜はまだ、開いたままの雑誌をぼーっと眺めて動かない。
「月ぴ〜、行くよ。俺が声かけるなんて珍しいよ〜?」
 このままぼーっとしたままの月ぴ〜を運ぶのも1つの手だけど、ライブ前にそんな労力を使うのは気が引ける。ぽん、と月ぴ〜の肩に手を乗せると、すごい勢いで月ぴ〜が振り返った。
「リッツ!」
 月ぴ〜の宝石みたいにきらきら輝いた目が、こちらを向く。
「変な目で見るって、こういうことなんだな」
「え」
 霊感が沸いてきた、と月ぴ〜が五線譜を手に取った。先程まではまだ見えていた畳が、どんどん月ぴ〜の楽譜で埋まる。
「先輩がた!早くしないと始まってしまいますよ!」
 痺れを切らしたらしいス〜ちゃんが、俺たちを楽屋から引っ張り出しに戻ってくる声が聞こえてきた。





 ……あ〜あ、セッちゃん、やっちゃったね。

 知らないっと。


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