彼女に当たられちゃう世一くん
たまに黒い塊が私の中に入り込み、内部から食い潰そうとする。その度にとてつもなく不安になって泣きたくなる。何が悲しい訳でも、苦しい訳でもないのに、息をしたくなくなる。可愛いものが憎らしく、醜いものに興奮する。ふとした言葉に苛々し、無音に安堵する。触れたいけど触れないで欲しい。ぐるぐる、ぐるぐる。
「え、なんでいるの」
「なんでって‥‥昨日の電話で央が元気なさそうだったから心配で。ごめんな、急に」
重い扉を憂鬱な気持ちで開ければ、明かりのついた部屋が私を迎え入れる。玄関脇のキッチンで、彼が申し訳なさそうに笑っている。
ーーあぁ、何故このタイミングなのか。
奥歯を噛み締めて、言い表せない気持ちを抑え、冷静を装う。早く帰ってもらわないと、ただそれだけが頭の中を埋め尽くす。
「今日は悪いけど、側にいて欲しくない」
「そ、そっか。ごめん。急に来て、ご飯とか作って」
彼の気持ちを考える余裕もなく、ストレートな言葉を吐き捨てる。顔を歪めて切なげに笑う彼に対して、一瞬で頭の中がふつふつと沸騰していく。
ーー何?その顔!まるで私が悪いみたい!疲れてる時に急に来たそっちが悪いんでしょう!
そう口に出しそうになるのを必死に飲み込んで、気まずい空気など知ったものかとヒールを脱ぎ捨てて、怒りを分かりやすく表現する。彼はそんな私の素振りに驚くでも、対抗する訳でもなく、丁寧な手つきで火を止め、エプロンを脱ぐ。何だか私だけが苛々して、彼に当たっているのが急に恥ずかしくなる。ーーでも、苛々は収まらなくて、素直になることも出来なくて。
同じ空間にいるとまた当たってしまいそうになるから、すぐに荷物を置いて洗面所に直行した。手を洗っている間に彼が何も言わず出て行ってくれれば、上手くやり過ごせる気がして。
「カレー作ったからあっためて食べてな」
ーーなのに、なのに、
世一がわざわざ鏡越しに私の顔を見て優しく笑いかけるから、思わずその純粋な優しさに涙が込み上げてしまって、
「え、ちょ!どーした?!どっか痛い?」
「ひどいこと言ってごめんー!帰っちゃやだー!」
えんえんと年甲斐もなく泣き喚きながら、世一の腰に抱き付いた。
*
世一の作ったカレーを食べ、世一が沸かしてくれたお風呂へ入り、世一の膝の上に頭を乗せて、テレビを見る。お腹にはついさっき買って来てくれたホッカイロ、腰には優しく当てられた掌。テーブルの上にはミルクパンで温められたホットミルク。完璧なケア。愛されすぎて困る。
さっきの苛々はどこかに吹き飛んだようで、今は世一への愛しさだけがひたすら胸に溢れている。どうしようもなく、甘えたい。ーーでもさっきの喧嘩の手前、どう伝えればいいのだろう。
「世一?」
「ん?どうした?」
とりあえず名前を呼んでみる。するとすぐさまテレビから私へと視線が移される。軽く首を傾げて問いかけてくれるが、中々言葉が出ない。
まごつく私に「もしかして腰痛い?」と勘違いして腰を優しく摩ってくれる。違うんだよ、世一くん。
「‥‥さっきはごめん。好きだよ」
素直な気持ちを小さく小さく呟く。
「ん、俺も」
それはきちんと届いたようで、照れ笑いをする世一が視界いっぱいに広がる。お返しとばかりにそっと額に、瞼に、鼻先に、唇にキスが落とされていく。その一つ一つに世一の大丈夫だよが込められている気がする。ーーすると急に胸が詰まり、壊れた涙腺からまたしても大粒の涙が零れる。涙が拭っても拭っても溢れてくる。
「‥さっきから怒ったり泣いたり、騒がしくってごめんね」
「ん、大丈夫。央ならどんな表情でも全部見たいから」
そう言い切る世一に優しく頭を撫でてもらえば、妙に安心してしまい、涙と鼻水を垂れ流したまま、思わず破顔する。
「世一、とってもキザだ」
「‥なんか改められると、照れるな」
なんて急に頬を染めながら笑って、ティッシュを鼻に当ててくれる世一に今日もベタベタに甘やかされる。
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