ぱんだ、ぶどう、きす、すき


 私はわざと荷物を置き去りにした。教室に荷物を取りに行く手間をわざわざ作ったのは、ちょっぴり、いや結構、期待してるから。
 たまに放課後の教室で長居してる彼に、ばったり遭遇できたらなぁって。

「あれ?凪くんまだ帰ってなかったの?」

 思わず声が上擦った。
 保健委員の薄っぺらい会議を終えて教室に戻ったら凪くんが机にうつ伏せになりながら一人でスマホゲームに興じていたから。妄想と地続きになってしまった想定外の出来事に、私は首に巻いたマフラーの下で肌が微かに汗ばむのを感じる。

「玲王のこと待ってんの」
「ふーん、そうなんだ」

 凪くんはスマホの画面から億劫そうに視線を持ち上げて私を視界に入れると言った。

「名前、さみしいから一緒にいてよ」

「もう、しょうがないなぁ」と私は努めて冷静を装いながら彼の向かい側に腰を降ろす。
 ……さみしいから一緒にいてよ。その言葉がどれほど私の心を捕らえるか、彼は知らなかった。

「名前も食べる?」

 指の代わりに視線で示した先にはフルーツキャンディーのアソートパックが転がっていた。パッケージには果物のイラストとデフォルメされた動物たちが描かれている。

「凪くん、可愛いの食べるんだね」
「飴だと咀嚼しなくていいし、それが一番中身わかりやすかったから」

 あまおうとか、温州みかんとか、マスカットパフェとか、なんかのコラボとか、いろいろ種類ありすぎて面倒くさくなっちゃった。と鬱陶しそうな表情を浮かべる凪くんと、パッケージで満面の笑みを浮かべる動物たちの温度差がなんだか面白かった。

「じゃあ、お言葉に甘えて一個もらおうかな」

 そう言って私はパックの袋から個包装された飴を一個掴み取る。そこにもまた果物と動物のイラスト、そして新たに『しんりテスト』と題された文章が載っていた。心理テストと言っても子供向けのお遊び程度のものだ。

「っ、ふふ、」
「なに?」
「前に、好きな動物はパンダって言ってたの凪くんだっけ?」
「そうだけど」
「いや、結構これ当たってるな、って」

 偶然私が手に取った飴には、『好きな動物は?』という質問と、選択肢として四種類の動物が挙げられていた。個包装の裏側には回答が載っていて、曰く『パンダを選んだあなたは、愛されキャラだけど、寂しがりやな一面も』だそうだ。

 他の心理テストも見てみたくて私は各味一個ずつ大袋から飴を取り出してみた。あなたが今一番欲しいもの・あなたの不得意なこと・友達があなたに抱いている印象、など、よくある診断内容の心理テストが数種類記されていた。そして、その中にひとつ、ひときわ興味を引かれる診断内容があった。

「ねえ、私に好きな食べ物を分けるとしたら、どれくらいくれる?」

 私は手のひらの中に個包装を隠しながら心理テストを読み上げる。

「それ、なにがわかるの?」
「先に答えを教えたら心理テストの意味ないじゃん」

私は人差し指から順に、ぴんと指を突き立てて、(A)全部、(B)半分、(C)四分の一、(D)ひと口、と選択肢を読み上げる。
 凪くんは考えあぐねるように視線を宙に漂わせながらスマホを机に置いた。画面には『YOU WIN』の文字、そして何かのスコアが表示されていた。どうやらひと段落ついたらしい。

「それって、飲み物でも可?」
「いいんじゃない?液体でも半分とか、ひと口とか分けられるし」

 で、どうなの?と身を乗り出して凪くんの顔を覗き込むと、彼は机に伏せていた身体を起き上がらせた。静かな教室に椅子の軋みが響き、今までずっと画面の中に向いていた彼の視線がふいに私を捕らえた。凪くんは視線を逸らさない。私も逸らさなかった。異性とこんなにもじっくりと目が合うことは初めてで、私はどくどくと脈打つ身体を落ち着けようと彼の瞳の色を何かに例えようと必死だった。

「もう、これでいいでしょ」

 そう言って凪くんは私の頭を引き寄せて、そのまま唇を重ねた。少し体温の低い、むっちりとした感触。ふわりと香った葡萄の甘酸っぱさに喉がきゅうと塞がって息が苦しかった。身体が強張って拳を握りしめたその先で、手のひらの中、飴の包みがくしゃりと鳴く。たった一瞬の出来事が数分のようにも感じられた。俯瞰した意識の中で凪くんも同じように感じていたらいいなと思った。

「……で、なにがわかるんだっけ?」

 潜められたその声は少し掠れていた。唇を離した凪くんはキスの前とは何も変わらない調子で、再び同じことを尋ねた。その変わらなさは私のことを全部見透かしている余裕のようにも見えた。

「……なに、って、」

 握りしめていた拳を開くと、包みにくしゃくしゃの皺が寄った飴が現れた。印字された皺だらけの文字を視線で追う。私の視線を追って凪くんも私の手元を見た。もう観念せざるを得ないと思った。

「……なにって、……私との両想い度」

 口にしたら急に頭の中がクリアになって恥ずかしさと後悔が押し寄せてくる。言うんじゃなかった。私は落ち着きなく視線をうろうろと彷徨わせた。

「両想いかわかった?」
「……はい、多分」

 あらたまって敬語で返事をする私に対して凪くんは不服そうに険しい表情を浮かべた。

「多分なんて言わないでくれる?俺は名前が好きなんだから」

 飾り気のない真っすぐな言葉に私は小さく頷き、そのまま俯いた。鼻の奥で葡萄の香りを残しながら沈黙はゆるゆると続く。

「そろそろ玲王と約束してる時間だから俺もう行くね」

 そう言って沈黙を破ったのは凪くんだった。
 席を立つと彼の身長の大きさを改めて思い知らされる。「わかった、」と返事をしながら彼を見上げたが、下からでは表情の全部を把握できなかった。

「あっ、待って、一個聞きたいんだけど、」

 教室を出ようとしていた凪くんはぴたりと止まって私のところまで引き返してくると、真正面から、私よりもずっと高い位置から、じっとこちらを見下ろして「なに?」と尋ねた。

「……なんでキスしたの?」

 心理テストの答えも聞かずに。私の気持ちも知らずに。

「だって、回りくどいの面倒くさいじゃん」
「えっと、それは……」

 それでは答えになっていない。凪くんはこちらの納得などお構いなしに私の頭を雑にひと撫でした。

「名前、これ、あげる」

 凪くんはポケットから取り出した何かを私の前にぽつりと置く。そこには紫色をした飴の包みがあった。封は切られ、中身は無く、内側にはアルミの銀色が覗いている。

「ちょっと、ゴミくらい、自分で、捨て……な、よ……」

 言いながら私は気付いてしまった。
 包みには見覚えのある文面が並んでいる。
 ――『(好きな人に試してみよう!)あなたに好きな食べ物を分けるとしたら、どれくらい分けてくれるかな?』

 私の握りこぶしの中にも全く同じ文章が収まっていた。

「知らなかったのは名前だけだよ」