SS(ショートショート)


短い話 3本まとめてあります

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星を飲んでも満たされない



「廻って目フェチなんだ?」
「漢字は“めぢから”の目、じゃなくて“がんきゅう”のほうの眼、ね」
「なにそのこだわり……」

 まぁ、そもそもフェチとかよくわかんないけど。と廻は興味無さげに目を伏せた。いや、眠たいだけかな?
 でも、そんなこと言わないでほしい。彼氏の好みに合わせたい健気な乙女心が私の中には存在するのだ。ぞんざいに扱わないでほしい。

「どっちの“め”にしたって私、予選落ちじゃん」
「そうなの?」
「そうだよ。コンプレックスだもん」

 そのくせアイプチするのが精一杯。カラーコンタクトは怖くて無理。目に異物入れるとか怖すぎない?

「どれ?見せて?」
「やだよ、」

 私の拒絶を払い除けて廻の手が私の後頭部を掴みそのまま引き寄せた。私は反射的にぎゅっと目を瞑る。

「そんなこと言わないでよ、俺は好きなのに」
「うそつき」
「本当だよ。好き。名前の眼」

 小さなリップ音と同時に熱が瞼を撫でた。瞼の丸みに沿って廻の薄い唇が滑る。まるで眼球の形を確かめるような動きに身体が強張った。かじられたらどうしよう。そんなことを考えてしまう。

「廻のそういうとこムカつく」

 振り回されちゃってる自分にムカついて目を瞑ったまま負け惜しみを吐く。見えてなくてもわかる。ああ、そうやって余裕そうに鼻で笑うな。
 唇が離れた気配を感じたところでゆっくりと目を開けると廻は満足そうな表情で私を見つめていた。少しぎらついた視線に驚いた心臓が不整脈を起こしそうになる。これで私が死んだら責任取ってよね。

「廻、唇きらきら」
「ん?星食べた!」

 ニカっと笑った唇には私の瞼に乗っていたアイシャドウのラメが移っていた。青みのある光の粒がチラチラと唇で瞬く様子は確かに星を喰らったのかもしれない。
 「美味しかった?」と尋ねながら、それを拭ってやろうと親指の腹で廻の唇を強く撫でた瞬間だった。かぷりと親指が飲み込まれた。立てられた歯が指の腹に食い込む。湿度の高い口内で親指の先が生温かく濡れた。

「まちがっちゃった」
「ばかめぐる」
「ね、もう一回まぶたの星、食べてもいい?」

 甘えた声にほだされる私は本物の馬鹿。だって、どうせ、両目の眼球を差し出したってサッカーボールひとつにすら勝てないのにね。
 サッカーに嫉妬する私は本物の馬鹿。けれど、私はこの男がどうしようもなく好きなのである。もうどうにでもしてくれ。

「勝手にしなよ」

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雷鳴が澄むほどの神聖



――嵐がくる。

 窓ガラスが音を立てながら揺れ、雨粒が弾けるように打ち付ける。テレビからはアナウンサーの深刻そうな声と大きな天気図。上下左右に走るテロップ。開け放たれたカーテンは、揺れる木々も雷雨も何一つとして隠してはくれない。

「廻、怖くないの?」

 窓を開けようとサッシに手を伸ばした廻を私は慌てて制止した。雨が吹き込めば、雑然としたテーブルも、散らかったサッカー雑誌も、毛足の長い絨毯も、すべてひとたまりもないだろう。澄み渡った真っ直ぐな瞳が私を映す。

「えっ、名前は楽しくないの?」
「それって非日常、みたいな?」

 見て?と言いたげに廻が私を手招きする。廻は窓にへばりついて懸命に外の様子を捉えようとしていた。見開かれた目。呼気で曇るガラス窓。ただ同じ空間にいるというだけで、私たちは同じものを見ていない。否、見えていない。その先に蜂楽廻は何を見ているのだろう。

「非日常かぁ。うーん、それもあるけど……」
「けど?」
「なんかワクワクしない?だって、」

 ガタン、と外で自転車の倒れる音がした。ビクリと跳ねた私の肩に廻の手が添えられる。一瞬の間。閃光。大きく折れ曲がりながら進む稲妻。廻は稲光の道筋をガラス越しに指でなぞりながら言う。

「罰が下りそうだから」

――ばつ

 確かめるように口に出したら、良くできましたと言わんばかりに頭を撫でられた。その罰は誰に下される、どんな罰だと言うのだろう。一体なんの罪で?
 廻は私を抱き寄せると耳元で囁いた。
 
「嵐が過ぎたら全部綺麗になる気がしない?」

そう、彼以外のありとあらゆる全てが報いを受けるのかもしれない。
全知全能めいた恋人の眼差しに恍惚としている私は確かに罰されるべきかもしれないな。

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見えなくていいもの



 運休の文字しか流れない電光掲示板に見切りをつけた私と廻は再び街に引き戻された。昼間、雨粒に濡れていた街は今や白く染まっていくばかりで、街頭の大型ビジョンによればこの予想外の雪は夜中まで降るそうだ。

「名前、どうする?」

 街の白とは対照的な真っ黒の男が大きく伸びをしながら問う。体の動きに合わせてナイロンがシャリシャリと可愛らしく鳴いた。彼が着ている中綿入りのMA−1ジャケットは、まるでこの天気を予測していたかのようだ。

「うーん、親に車で迎えにきてもらう。廻は?」
「……歩き?」

 廻はこちらに背を向けて新雪の上に足跡を残しながら平然と答えた。ここは東京のど真ん中である。そして私達の住まいは千葉県だ。

「は?バカ、県跨ぐとか無理だよ」
「震災の時はみんな歩いて家帰ってたじゃん」
「その時と今日を一緒にしないの!」
「だって母さん出張で海外だし」
「いや、うちの車乗っていきなよ」

 うーん、と煮えきらない返事の口元はきっと覗き込んだところで流行りの黒いマスクが覆っていて何も読み取れないだろう。
 
「っていうかさ、」

 事態の深刻さを何一つ受け止めていないであろう明るい声を発しながら廻は振り返った。黒の中にインナーカラーの黄色が輝く。

「俺と駆け落ちしない?」

 ファミレス行こう?と同じトーンで提案されたそれを理解するには時間がかかった。かけおち…と復唱する。かけおち。駆け落ち。

「今日がいいと思うんだよね、俺」

 小さく首を傾げながら廻は腕を伸ばし、私の髪を一束すくい上げた。引っ付いていた雪の粒がほろりと落ちる。その細めた目の奥には真っ暗で深い夜が映っていた。
 
「だって、すぐに足跡消えるから」