本日の主役


「え!今日、誕生日なの?」

 放課後の教室に私の声がひときわ大きく響く。凪くんはうさぎのように口をむぎゅと閉ざしたままコクンと頷いた。去年も同じクラスだったし、席が近いことも多いし、ソシャゲのフレンドにもなってるし、すっかり仲良しのつもりでいたけれど、そういえば確かに誕生日は知らなかったかもしれない。

「早く言ってよ、言ってくれれば何か用意したのに!」
「俺もLINEで「おめでとう」ってくるまで忘れてた」

 あのねぇ、と半ば呆れながら「ちょっと待ってて」と私は鞄の中を漁る。思い出したように財布を広げてみたけれど、記憶にあったカラオケの無料券はよくよく考えれば先週使ったばかりだった。めげずに鞄の中を掻き回すとガサッとビニールの音。引っ張り出してみるとそれはお菓子のファミリーパックだった。とはいえ中身は空に等しい。だって大型連休明けの緩んだ脳味噌はロクに働きもしないくせに糖分だけはやたらに請求するもんだから。昼休みに友達同士で分け合ったのも良くなかった。残りはあと二個。

「ごめん、今これくらいしか持ってないや」

 私はおずおずと中身を取り出し、凪くんの手にそれをそっと握らせた。

「チロルチョコ……」
「ごめんて。そんなあからさまにショゲた顔しないでよ」

 ミルクとコーヒーヌガー。たった二個のチロルチョコは凪くんの大きな手に包まれるとより一層小さく見えた。凪くんのしょぼくれた表情が私にも伝染する。そこへ「おい、凪、行こうぜ」とタイミングよく颯爽と現れた御影くんは心底不思議そうな顔でしょぼくれた私たちを見つめた。凪くんを連れて、何も聞かずに「じゃあな、」なんて人懐っこく去ってくれたのがせめてもの救いである。
 
 翌日、遅刻ギリギリのタイミングで登校してきた凪くんは担任の「早く座れー、」なんてお決まりのセリフを受け流しながら「おはよ、」と後ろの席に座る私に挨拶をする。私は知ってるぞ、夜中の二時過ぎにソシャゲのログイン履歴が「一分以内」の表示になっていたこと。今も机の上には伏せ置かれたスマートフォン。今だってゲームの真っ最中でしょ?

「……ん?」

 そこへ突如湧いた間違い探しのような違和感。「ね、凪くん、」と声を潜めて彼の肩口をつつく。凪くんは「ん?」と小さくこちらを向いた。

「なんでスマホケースにチロルの包装紙挟んでんの?」

 昨日渡したなけなしのチロルチョコの包装紙が、銀紙を除かれシワも綺麗に伸ばされた状態で、透明なカバーとスマホの間に収まっていた。ケースを指さす私に「ああ、」と緩く反応した凪くんは、わざわざスマホを持ち上げて私にそれを披露する。

「もらったから」
「いや、それは……。もうちょっとマシなものあげるから、」

 なんだか、雑で手抜きで安上がりなプレゼントを咎められているような気になった私はまたしょぼくれた表情を浮かべてしまった。ごめんって。ぽやっとしながら「え、そうなの?」なんて言ってる凪くんはきっと咎める意図なんて無いんだろうけど。

「じゃあ、何くれるの?」
「え?……うーん、むしろ何ほしい?」

 あんまり物を欲しがる印象が無い凪くんが何をリクエストするのか私は興味津々だった。あれかな、課金用にプリペイドカードとか?ホームルームを終えて教室を出ていく担任の背中を横目で見送りながら私は前のめりに身を乗り出す。凪くんは購買でパンを選ぶときくらいの深刻さで「うーん、」と悩んでからポツリと答えた。

「明日、俺とデートして」
「……え?」

 思わず聞き返した私に凪くんは「もしかしてもう予定あった?」と首を傾げる。ちがう、そういうことじゃない。え、デート?私と凪くんが?言葉の意味がわかってくると同時に耳の端から徐々に熱が広がっていく。顔、熱い。
 しどろもどろに「いや、特に予定無いけど、」と答えた声は私だけがかろうじて感じられる程度に震えていた。

「じゃあ、決まりね」

 そう言って凪くんは前に向き直る。聞きたいことがたくさんあった。でも何一つとして言葉が浮かばないうちに一限目の授業が始まった。きっともう聞けない。
 

 翌日、待ち合わせ場所に向かう足はなんだか自分のものじゃないみたいだった。夢の中で上手く走れない時、あるいはデジャブのような、不思議な感覚。これを「浮足立つ」と呼ぶのだろうか。制服の生地よりも薄く軽やかなシフォンスカートが脚をくすぐる。
 待ち合わせ場所にはすでに凪くんの姿があった。

「凪くん、おまたせ。早いね」

 学校の時は遅刻ギリギリのくせに。

「デートだから張りきっちゃった」

 そうやってまた、いたずらに私のこと動揺させるんだ。私は凪くんの見慣れない私服姿に驚いた心臓が口から飛び出さないよう、抑えつけるので精一杯なのに。

「……って、まだそれ挟んでるの?」

 私は気を紛らわせるようにスマホケースに挟みっぱなしになっているチロルチョコの包装紙を指さす。もういっそ、この場で私の粗末なプレゼントに嫌味の一つでも言って笑わせてくれたほうが気持ちはラクなのに。それなのに、凪くんは全然私の思い通りになんて動いてくれない。だって、こんなこと言うんだよ?

「そりゃあね、好きな子からもらったものだから」

 ねえ、私、今、どんな表情してる?頭の中が真っ白になっている私の腕を凪くんが無邪気に掴む。

「ほら、手繋ご。俺が今日の主役だよ」

 いよいよ今の状況にわけが分からなくなってしまった私が、かろうじて絞り出せたのはたった一言、

「凪くん、誕生日、おめでとう」