都合のいい解釈で救われるなら


 日直制度なんて平成に置いていけよ。教室が夕陽で染まっているのに帰れないのも、二人きりの教室がなんだか気まずいのも、全部そのせいなんだから。
 充電がもう息も絶え絶えなのに、この沈黙と正面から向き合う勇気は無いからスマホが手放せなかった。スマホが片手にあるだけでどんな沈黙も曖昧でカジュアルで目立たなくなる。

 私は取れかけの巻き髪が元に戻ると信じてスマホ片手に人差し指で毛先をゆるゆると弄ぶ。もう早起きも、長い髪をヘアアイロンに巻き付ける行為も、やたら量を消費してしまうスタイリング剤にもウンザリで、いっそ切ってしまおうかな、なんて。画面に映ったカットモデルの外ハネショートボブが軽やかで途端に羨ましくなった。

「千切、日誌書くの終わりそう?」

 ふと向かいの席に座る彼に視線を移した。日誌の罫線はあと3行分くらい。多分もう少しで書き終わるだろう。整った目鼻立ちに長い睫毛。シャープペンの先から綴られる文字まで綺麗ときたもんだ。

「用事あるなら先帰っててもいいよ」

 私の視線に気付いた千切がわずかに眉間に皺を寄せ言った。そんな不機嫌そうにこちらを見ないでほしい。別に催促とかそういうつもりじゃないんだけど。

「いや大丈夫、もう書き終わるんでしょ?」
「まあ、」

 素っ気ない返事。ああ、『お嬢』ってそういうことね。
 沈黙の中、千切の髪は沈む太陽と同じ眩しいくらいの赤だった。よく手入れされた彼の長髪はヘアアイロンで過度に傷んだ私のものとは正反対だ。

「ねぇ、千切のそれって、願掛けか何か?」
「は?」
「髪。綺麗に伸ばしてるから」

 日誌を書く千切の手が止まる。どこか遠くを見るような、呆れにも、何か気付きを得たようにも見えるよくわからない表情だった。何気ない日常会話のつもりで話したことだったのに、思いのほか反応があって私は少し呆気にとられてしまう。千切はぽとりと一言「願掛け、ね。」と呟いた。

「……別にそういうわけじゃない。ただ、」
「ただ?」
「切ったら何か失う気がするから」

 何かを失う。比喩かあるいは哲学じみた回答だった。

「……枝毛も無く綺麗に伸ばした髪が勿体無い的な?」

 あえてぶつけたトンチンカンな私の返答に千切は大きく溜息をついて「バーカ、」と一言罵ったのち、ふと窓の外、グラウンドに視線を向けて消えそうな声でこぼした。

「信じてた過去、とか」

 過去と決別するために断髪する事象があるのだとしたら、そのまた逆も然り。切らないことで過去を維持する。そういう考え方もできるはずだ。
 手を止め、外を眺めたままの千切の表情はその長髪の陰になって見えないけれど、さすがに『失恋から吹っ切れられない女の子じゃん』なんて例え話はジョークにしてもデリカシーが無さすぎるということだけはわかった。そもそも私は気の利いた一言を言えるほど出来た人間じゃないし、さらに言えば千切と親しいわけでもない。それでも何か言わなければ、と私は言葉を探した。それだけあってやっと出てきたのは「でもさー、」という緊張感のない声だった。

「やっぱり千切の髪、願掛けでいいんじゃない?」
「はぁ?」
「千切が『過去と決別できた時』に髪を切るなら、それは『新しい一歩を踏み出せますように』って願掛けに置き換えたっていいんじゃないの?」
「なにそれ」
「……ごめん。自分でも何言ってるかよくわかんなくなった」

 冷たい視線に晒されて思わず謝罪した。私なんかが出しゃばってすいません。肩をすくめる私をよそに千切は「もうこれでいいや」と大きく溜息を吐きながら日誌をパタリと閉じた。

「お前、ホントなんかあれだよね」

 あれってなんだよ。少なくとも好意的な意味ではなさそうだった。

「……だって、千切の髪せっかく綺麗なのにネガティブな意味持たせるの勿体無いよ」
「あっそ」

 私の言葉を受け流しながらテキパキと荷物をまとめる千切の姿を横目に私は再びスマホに視線を落とした。

「やっぱり私も髪切るのやめた」
「切るつもりだったの?」
「うん、でも、その髪見てたら未練が出てきた。巻き髪好きだし、アレンジもしたいし」

 短くしたらヘアアレンジのレパートリー減っちゃうじゃん?と笑ってみせたけど、本当は一緒に願掛けしてみたくなっただけだった。
 そんな無責任な気持ちを知ったら千切はまた溜息をつくだろうか。場を和ませようとへらへら笑う私を置き去りにして、鞄を背負った千切は去り際に一言言い放った。

「でも、さすがにそのボロボロの毛先は切ったら?」
「は?」

 なにその意地悪。文句を言おうと口を開いたけれど、その瞬間の千切の表情が今日一番の柔らかさを纏っていたから、私は文句を飲み下して何も言わず口を閉じた。……まあ、今回限りは無礼を許そう。今回だけ、ね。