ラストショット


 ファインダー越しに見る雪宮剣優は既に完成されていた。
 とっぷりと飲み込まれてしまいそうな瞳、意志の強さと穏やかさが現れた眉、スッとなだらかな線を描く輪郭、口角の数ミリに表現力が宿る大きな口、そして優れたパーツを邪魔しないよう存在感を消しながらも美しく通った鼻筋。彼には決して人気俳優や男性アイドルのように特徴的なパーツがあるわけではない。だからこそ『モデル』だと思った。
 
 今回は、メンズファッション雑誌に掲載するディオールのメンズラインの撮影だった。サングラスのカラーレンズを通しても瞳の求心力は変わらぬどころか増したようにすら感じる。主張の強いモノグラムのジャケットも彼の存在感と均衡を保っていた。雪宮剣優という芯を残しながら、撮影ごとに色が、空気が、変わる。逸材だ。この完成度でまだ現役高校生だというのだから末恐ろしい。新時代はすぐ真後ろに迫っている。

「聞いたよ。サッカーの合宿で、撮影しばらく休むんだって?」
「はい。プロジェクトの育成枠に選ばれてそっちに専念します」
「そっか。凄いんだね」
「そう、凄いんだよね、俺」

 フラッシュを浴びながら彼は得意げに、どこか悪戯っぽく微笑んだ。なんとなく、この業界にはもうこれっきり戻ってこない気がした。
 過不足なく鍛えられた身体も、指先にまで神経を張り巡らせた動きも、優雅な身のこなしを生む体幹も、すべてはサッカーのために仕立てられたものなのだと思うと、純粋に悔しかった。サッカーと秤にかけられて、この業界は切り捨てられる側に選ばれたんだ。
 それでも今日の彼は変わらず『完成』を提供する。余計に悔しい。私は一瞬たりとも逃さないとシャッターを切り続けた。こっちに戻ってこい、と気持ちを指に乗せて。

「これだけの才能があるのに、そっちに行くの?」
「うん。俺の一番欲しいものが、そこにはあると思うから」
「きっとなんだって手に入れるんだろうな、きみは」
「なんだって、か」

 新時代はレンズ越しに射るような視線を向けた。
 
「じゃあ、名前さんのことも手に入れていい?」

 薄く開いた唇の奥に肉色の赤い舌が覗く。煽るような表情。まるでそれは持てる者の勝利宣言。

「へぇ、意外」
「なにが?」
「モデルとしてのセンスはあるのに、女選びのセンスはダサいんだ。もしくはジョークのセンス」
「ひどいなぁ。傷付きますよ、俺」
「大人をからかうにはまだ早いよ」
「冗談に聞こえました?」

 本気の表情なんだけどな。そう言って彼は唇を舐め、指先と腰に角度を付けた。それだけしても尚、身に纏ったアイテムの存在感を霞ませることも無ければ、ブランドの品位を貶めることもない。抜群のバランス感覚。
 ……もう、私の負けだ。好きなところへ飛び立てばいい。きっとそれが今までの、そしてこれからの、雪宮剣優を形作るのだから。

「本気にしてもらえるように、もうちょっと男を磨きますね」
「……もう帰ってこないくせに、よく言うよ」

 彼は一瞬驚いた表情を浮かべたあと、いつもの穏やかな微笑みに「……ごめんね」と言葉を乗せた。その時目元に宿った憂いは一体何に向けたものだったのか。
 
「以上で、撮影終了です」

 この日、雪宮剣優のモデル人生は幕を閉じた。
 
 
「ねー、今月のメンナン読んだ?剣優マジやばい」
「他も雑誌出てたけどアレが一番盛れてたよね」
「過去一でビジュ良くない?舌はずるいでしょ、舌は」
「あと目力!え、あれは彼氏感やばいわ」
「あれでタメとか、クラスの男子見るとマジがっかりするよね」
「それなー」

 リモートワークの気分転換で入った夕方のスターバックスでは女子高生たちが剣優の話題で大騒ぎだった。うるさいなと思いつつも聞き耳を立ててしまったし、散々な言われようである男子たちの不憫さを思うと思わず笑ってしまう。

「あー、これだな、多分」

 彼女たちの会話を聞いて、私はふと思い出したようにネットニュースを検索した。大手ニュースサイトのスポーツ欄に掲載された「ブルーロックプロジェクト」の会見記事。私は記事に軽く目を通し、ブックマークしてから静かに画面を閉じた。
 
「日本代表、雪宮剣優、か」