十五駅



出身地公開以前に書いた話。
雪宮が仙台市出身という設定。
(書き下ろし色紙が仙台の書店に寄贈されたため)

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── 海が見たい。松島へ行こうと思った。
 
 元から残りわずかだったワイヤレスイヤホンの充電が切れて、そこでようやくもう長いこと電車が立ち往生していることに気が付いた。きっと理由はアナウンスされていたんだろうけど、それを自ら遮断していたのは私だ。使い物にならないイヤホンをポケットに押し込みながら、今はどのあたりで止まっているのだろう、と窓の外を眺めた。見たところで市街地から抜けたそこがどこであるか見当もつかないくせに。

 ただ外の景色を見たかっただけなのに、視線を向けた先、同じボックス席の対角線上に座る眼鏡の男が嫌でも視界に入って気まずさを覚えた。それもそのはず、男は長身で、手足もスラリと長く、特に脚なんかは居心地悪そうにボックス席に収まっている。そしてなによりも、男はルックスが良かった。人好きがする顔というよりは、あるべき場所にあるべきパーツが狂いなく配置されているといった具合の顔。私も思わず視線を奪われた。これにはままごとみたいな文化祭のミスターコンテストも裸足で逃げ出す。

「参ったね?」

 私の視線に気付いたのか、男は不審そうにするどころか、こちらを見て薄っすらとした笑みを纏いながら私に話を振った。驚いた私の口からは「え?」と情けない声が発せられる。男はまるでクラスメイトに話しかけるかのように表情も声のトーンも程よく力が抜けていた。

「今から学校?」
「ううん、抜けてきちゃった」
「じゃあ、俺とおんなじだ」

 品行方正に見えるその男は、ふふっと悪戯っぽく笑った。お手本のように正しく着こなされた制服に覚えがある。多分私と同じ仙台市内の高校。
 男の気さくさに思わず色々と尋ねてみたくなったが、無遠慮だろうか?気があるように思われるだろうか?と自意識が水を差した。
 
── この電車は線路内への立ち入りによる影響で20分遅れで……
 私が男と会話を続けようか判断をもたつかせているうちに車内アナウンスが遅延の理由を再度告げた。ラッシュ時間であれば死活問題だが、この時間帯は特に急ぐ客もいないのか私含め乗客たちは皆どこかのほほんとしている。棒読みの謝罪のあとブツッと雑にマイクが切れると車両は再び沈黙に包まれた。私は何事も無かったかのようにまた遠くを眺める。男も黙って変化のない景色を眺めていた。
 
 「一人で心を空っぽにしたい時、行くんだ」

 変わらない景色に飽きたのか、あるいは沈黙に耐えかねたのか、男はぽつりと言葉を溢した。私に話しかけた、と思っていいんだろうか。
 男の視線は窓の外、ずっとずっと遠くを見つめている。言葉の意味よりもそのアンニュイな表情に意識が惹きつけられてしまう自分もまあ随分ミーハーだこと。言葉と表情越しに名も知らぬ男の、心の輪郭が浮き出る。

「……辿り着くために俺はあそこへ行くのかもね」

 不意に、ほんの一瞬、一瞥、その物憂げに揺れる瞳が私を捉える。口の端に浮かんだ笑みは好意的というよりはむしろ突き放すように見えた。キミにはきっとわからない。とでも言いたげに。

 私は道のりを思い浮かべた。平日昼間の仙石線。仙台駅を発車して、一駅ごと徐々に乗客は減っていく。車窓に見えていたビルも次第に戸建てや畑に置き換わり、気付けば海が見えてくる。それが日常になっている人たちも、観光で浮足立つ人たちも、それぞれに趣が感じられて私は好きだ。そうしているうちに電車は松島海岸駅に到着する。電車を降りて、駅を出て、アスファルトを踏みしめながら「ああ、違う土地に来たな。」と、潮風を感じて海を眺める。
 そのために、私は行くのだ。

「知ってた?40分で着くんだよ」

 授業一限分で辿り着く非日常。

「きっと何も始まらないだろうけど、何かの予感に胸が高鳴る。そのためだけの往復836円」
「俺もキミもきっと何も始まらないだろうね」

 男はどこか投げやりにそう言った。海岸の砂粒みたいに乾燥した笑顔は突風が吹けばさらわれてしまいそうなくらい心もとない。

「けど、俺もキミも、何もしなかった一日よりはずっとマシ」

── 長らくお待たせいたしました。間もなく発車致します。

 何かを欲しがっている私と男、あるいは捨てたがっている二人を乗せて、電車は緩やかに動き始めた。