72%


 「ぜんぶ捨てる」と彼は言った。
 それを引き留めるみたく紙袋の中で彩り鮮やかなラッピングたちがカサカサと鳴く。女たちの努力は非情にも踏みにじられようとしていた。

 今年の2月14日は日曜日だった。雪宮は「学校無いからって油断したらこれだもの」と某アパレルショップの紙袋を見せてきた。
 覗き込むといくつもの小袋や小箱が無造作に放り込まれている。丁寧に掛けられたリボンや、皺も弛みもなくぴしりと巻かれた包装紙は、女たちの想いの代弁だった。甘い匂いが立ち上る。チョコレートの香り。そこでようやく袋の中身がフライングで贈られたバレンタインプレゼントなのだと気付いた。
 
「なんでみんな手作りが好きなんだろうね」

 一口サイズにカットされたチョコレートブラウニーの包み紙を剥きながら雪宮は当惑の眉をひそめた。なぜか女子高生という種族はやたらと手作りを好んだ。女にも男にも年上にも年下にも、それがもてなしの流儀であるかのように。

「でもそれ、おいしそうじゃん」

 それは定番のクルミ入りのブラウニーではなく、チョコチップが混ぜられていた。たったそれだけのことから、他の女たちとの差別化を図ろうとした健気さがうかがい知れる。

「俺、手作りって苦手なんだよね。お菓子に限らず」
「あー、わかる。私も手で握ったおにぎり、駄目だわ」

 潔癖症、というほど神経質な気質をしているわけでもないが、手作りのものを口に入れるときのむず痒さのようなものには覚えがあった。

「でも女子同士で手作りの交換してない?」
「郷に入りては郷に従え、ってことよ」

 彼女たちの流儀に反する勇気は無かった。あの雪宮剣優と関わっているだけですでに反感を買っているというのに。たとえそれが部員とマネージャーという間柄であっても。雪宮は、ふーんと関心薄そうに返事をしながら剥き身のブラウニーを見つめた。

「ちょっとキミで試してみていい?」
「は?」

 一瞬だった。その「は?」と間抜けに開いた口の中にブラウニーが雪宮の指ごと飛び込んできた。ブラウニーと皮膚の質感の違いに鳥肌が立つ。嫌悪よりも先に驚きと甘さがビリビリと脳を走る。すぐに指は口の中から引き抜かれた。

「え、さっきまでの潔癖設定はどこにいったの」
「うーん、キミ相手だったら汚さを感じないかなと思って試してみた」
「どうだった?」
「ぜんぜん」

 雪宮はポケットサイズのウェットティッシュを取り出して、丹念に指先を拭う。

「むしろ、わりと後悔してる」
「おい。それ、遠回しに私のこと汚いもの扱いしてるからね」
「……キミは?」

 何を問われているのか分からず黙ったままの私に、雪宮は余裕をたっぷりに浮かべて尋ねる。

「イケメンの指を咥えてみた感想は?」

 そこはブラウニーの感想じゃないのかよ。周回遅れの嫌悪感が眉間に宿る。

「わりと嫌だけど」

 あ、やっぱり?と呑気に笑う雪宮は「でもさ、」と続けた。

「名前の嫌そうな顔、嫌いじゃないんだよね」

 私のことを見据える雪宮の瞳はまっすぐで、純真だ。

「サイアク……」

 その清々しさに言葉の邪悪さが際立つ。言葉通りの表情を浮かべようと表情筋がピクリと動く。けれど、私の嫌がる表情がこの男を喜ばせることに繋がるのだと気付いたらそれは絶対に阻止せねばと思い至った。精一杯の仏頂面。それが余程面白かったのか雪宮は俯いて「それ、いいね」と笑い声をもらした。

「でさ、キミはバレンタインは何くれるワケ?」
「マジでこの流れからそれ言うの?」
「この流れだから言うんじゃん」

 別に普段から私が主導権を握っているわけではないけれど、今日は完全に雪宮のペースだった。私は流されるまま雪宮剣優についての情報を整理する。

「……コーヒー好き?」

 以前、モデルを務める雑誌のスタッフからコーヒーミルをもらったという話をされた覚えがあった。甘いものはきっと散々もらうのだろうから、と配慮したが、他の女たちとの差別化を図ろうとする健気なチョコレートブラウニーの彼女となんら変わらないなと自分自身に嫌気がさす。というか、なんで私はこんなこと覚えてるわけ?

「俺、マンデリンが好きだな」
「図々しく銘柄までリクエストしてくんな」
 
「名前、俺、期待してるから」

 舌にはブラウニーの甘さと、男の皮膚の塩気がまだ残っていた。