喰らえどお前になれはしないし


「あーあ、凛クン、一年生のクセにもうサボり癖?」
「あんなもん、出るだけ時間の無駄だ」
「久しぶりに会った先輩になに?その口の利きかた」

 体育館では全校生徒を集めた壮行会の真っ只中だった。名簿に名前が載ってるだけでほとんど幽霊みたいだった彼の兄、糸師冴はいよいよその籍すらも海外に移すらしい。彼が最も嫌いそうな催しに、本人主役で強制的に参加させられている姿を思うとちょっと笑える。そんな私のにやけ顔が癪に障ったらしく凜の表情は険しい。 

「そんな顔しないでよ、私たち似た者同士じゃん」

 似てねぇ。と吐き捨てる凛を鼻で短く笑って、私は屋上のフェンスに背中を預ける。緩く巻いた栗色の毛先と短くしたスカートの裾が風に揺れた。そうだね、似た者同士はかろうじて小学校までだったね。私も、凜も、冴も。
 
 糸師兄弟と並んでジュニアチームで神童なんて呼んでもらえたのは初潮を迎えるまでの僅か一瞬のことだった。今まで通りに動かない身体、そして糸師冴の圧倒的な才能。性別も成長も才能も私が彼の域に達することを拒む。その天と地ほどの差に驚くほどすんなり諦めがついて全部捨ててきたくせに、冴と同じ高校に進学しちゃうなんて何の因果かな。

「私たち、可哀想だね」

 私と冴が入学した一年後、追いかけるようにして凜が同じ高校に入学してきたときも同じことを言った気がする。糸師冴の才能に翻弄される私たちは可哀想だ。

「一緒にすんな」
「……私たち、冴になれなかった」
「── 黙れッ!!」

 ガシャン、と大きな音を立ててフェンスが鳴る。音が消えてからも凛の戦慄く手に共鳴するみたくフェンスは小刻みに揺れた。もたれかかっていた私の背中もビリビリ痺れるように揺れて、私は飛び上がるようにフェンスから離れる。

「口の利きかたを知らねェのはどっちだ」

 地鳴りのような嫉妬。醜い猜疑心への嫌悪。復讐心を纏った野心。粘度の高いドス黒い感情を燃やす凛の表情に思わず生唾を飲み込んだ。ねっとりとした熱が身体の芯を通って迫り上がってくる感覚。それなのに、彼の瞳は私を映していない。冴はそうやって私から全部奪うんだ。
 ねえ、凛。その半分、いや四分の一で構わないからさ、私にも感情を向けてよ。全部捨てちゃった薄っぺらい私に、さ。
 
「ねえ、凛、」

 私は反抗心のあらわれみたいに緩んだ凛のネクタイを掠め取るように握り締めるとグイッと自分のほうへ引き寄せた。その鍛え上げられた身体と体幹は私の力程度じゃびくともしなくて、引き寄せたというよりは私が彼に迫ったと言ったほうがしっくりくる。
 掴んだネクタイを手繰り寄せると凛は鬱陶しさか苦しさか、険しい表情で渋々身体を前に屈めた。私のことなんか映してない瞳を無理矢理覗き込んで鼻先がぶつかる距離まで顔を寄せる。

「私が、癒してあげよっか」

 寸止めのキス。そのシチュエーションだけで脊髄に鳥肌が立った。見開かれた私の瞳は怪しくぎらついていたに違いない。反対に凛の瞳には動揺など微塵も無かった。期待した反応の代わりに得られたのは衝撃。頭の中で何かが焼き切れる。

「あっ、」

 衝撃の根元を辿る。
 凜の手に握られた私のネクタイ。
 そんなに強く引っ張って、窒息死したらどうすんの。

「んッ、」

 凛が私の唇に噛み付く。唇をこじ開けて、探しあてた私の舌を彼の舌が絡め取る。躊躇も思いやりも無い、野生の、剥き出しの、キス。粘膜同士の触れ合う音が耳から離れない。私は隙間から細く息を漏らす。

「ッ、名前 」

 このまま壊されそうだ。

「……また、捌け口にしてくれてもいいよ」

 唇を開放され、すれた悪女気取りで放った言葉は全然身の丈に合っていなくて心もとなく宙に浮かんでいた。熱っぽい瞳も乱れた呼吸も身体を支えようとフェンスに突いた手も、全部私が凛に求めていた反応だったのに、

「次からは素直に誘えよ、ヘタクソ」

 冴、いつか全部アンタから奪ってやるからな。