陳腐なラブソングでも愛するよ
凜に、無性に会いたくなった。なんでだろう。きっかけは些細すぎてもう覚えていない。でも「会いたいよ」なんて言える間柄じゃないからさ、私たち。だからもし、この角を曲がって凛に会えたら、それって運命だと思うの。でも、毎週水曜日のこの時間、いつもそこに凜はいるから、ほぼ約束されたような運命だってことはここだけの秘密ね。
「あ、やっぱり」
凜はわざわざ隣町までサッカーをしに行く。私はサッカーあんまり詳しくないんだけど、部活じゃなくてクラブチームっていうのに入ってるんだって。毎週水曜日は委員会があるから、いつもより少し遅いこの時間のバスに乗るって私は知ってる。簡素なバス停で隣町行きのバスを待つ凜の横顔は遠目に見てもあまりに綺麗だからさ、思わずその輪郭を空中になぞりたくなる。特に鼻筋が好き。あ、今日は珍しく有線のイヤホン使ってる。AirPodsは充電切れかな?凜でも私みたいなうっかりをするんだ、可愛い。まだ顔を合わせてすらいないのに、見慣れない赤色の有線イヤホンって情報だけで糸師凛を堪能してる私、本当に気持ち悪い。でも、それだけじゃ満足できない。恋って強欲だ。自制心のリモコンはとっくに電池切れだよ。
「りーんっ、」
その広い背中をぽんぽん、と叩いて声を掛けると凜は露骨に煙たそうな顔で私を見下ろした。
「ねえねえ、何聴いてるの?何?何?」
凛がウザがるような絡みかた、わざとしちゃう。あんまり感情表現が豊かじゃない凛が、わざわざ私のために表情筋を使ってくれてるのが嬉しくて。しかもなんだかんだで毎回構ってくれるの、ますます好きになっちゃうからやめたほうがいいよ。
「うるせぇ」
そう言うと凜は渋々といった様子で右耳からイヤホンを抜く。
「なに聴いてたの?」
「何度もうるせぇな、」
凜は耳から抜いたイヤホンをカーディガンの裾で軽く拭って、彼の眉間の皺すらも嬉しくてはしゃいでる私の耳に「ん、」と乱雑な手つきで突っ込んだ。飛び込んできたのはズンッと重く唸るベース。掻き鳴らすようなギターのリフの反対側から腕を引かれ、軽くよろめく私に凜は言う。
「もっとこっち来い。イヤホン取れんだろ」
アップテンポを刻むスネアドラムに私の心臓の音がぴったり重なる。私の腕を掴んだまま離れない手。長い睫毛の奥の瞳と視線がぶつかる。耳から、触れた箇所から、視線から、凛が侵入してくる。おねがいだから、いま、恋心を歌詞にうたわないで。正気じゃいられなくなるかもしれない。
「んだよ、」
急におとなしくなった私がよほど不自然だったのか、凜はじとりと訝しげに私を見る。私はカーディガンのボタンに引っ掛かっているイヤホンの赤いコードをつまみ上げながら言う。
「運命の赤い糸、……なんちゃって」
こんな面白くもない冗談を吐いて、やっぱり正気じゃないかも、私。
ごめん、ほんと冗談だから。言い訳を連ねようと開いた口。こんな熱を帯びた顔でそんなこと言っても信じてくれる?いや、信じてくれなくていいかな。もごもごとした私の言葉よりも先に耳元でボーカルのシャウトが爆発する。私の一瞬の遅れを突いて凜は言った。
「バカ、それなら耳じゃなくて小指だろうが」
そう言ってアンニュイに絡めてきた小指は私のそれとは正反対でひんやりしていた。イヤホンのコードみたいに絡まって取れなくなっちゃえばいいのに。そんな私の願いも虚しく、次の曲のイントロが始まったと同時に目の前で隣町行きのバスが停車した。
「じゃあな、」
凜も、イヤホンも、小指も、あっけなく私の身体から離れていく。私と凛の絶対に埋まらない距離感を思い知らされるようで虚しくなった。
バス停で一人残された私はそこでようやく思い出す。イントロだけ流れたあの曲、放課後の教室で誰かがYouTubeで流したあの曲、あれは凛が好きだって教えてくれた曲。ああ、だから私、無性に会いたくなっちゃったのか。
凛、明日も会いに行っていい?