お膳立ては整った


 じゅうじゅう。ふっくりとした切り身は朝焼けの余韻と同じ色。タイミングを見計らい身が崩れないようにそっと皿に乗せてやる。じゅわじゅわ。少し焦げ目のついた皮の部分がまだ音を立てていた。焼き鮭の香ばしさに混ざる味噌汁の香り。朝が始まる。

「いただきます」

 重なった二人分の声。乙夜影汰はいつも一番初めに味噌汁を啜る。まるでそれが決まり事かのように。家族でも恋人でもないくせに、さもそういう顔をしながら。

「どうせ朝帰りなんだし、相手の家で食べてくればいいじゃん。それか一緒にコメダのモーニング食べに行くとかさ」
「んー、なんかこれ食わないと朝が来たってカンジしないんだよね」

 そう言いながら影汰は鮭の切り身に箸を下ろす。生活態度も女関係もだらしないくせに、箸の持ち方だけは綺麗な男だった。

「あのさ、定食屋じゃないからね、ウチ」
「大丈夫、俺ん家の朝食、パン派だから」
「なに、アンタまだ寝ぼけてんの?」

 噛み合わない会話に顔をしかめながら私はだし巻き卵を一切れ口に放った。その柔らかい身に歯を立てると白だしの旨みが口の中に広がる。「今日の卵焼きめっちゃイイね」と影汰が言う。私は「でしょ、」と得意げにしてみせた。朝の柔らかい日差しが食卓を照らしている。
 
 影汰は朝帰りの日、決まってうちを訪ねてきた。「たまたま近く寄ったから」と返し忘れた教科書だったか漫画本だったかを昨日と同じ服のまま持ってきたあの日が最初。「なんか腹減る匂いすんね」の一言がきっかけ。「機会があったらまた一緒に食べよう」と微笑みかけたらこの有様だ。

「とか言ってさ、毎回作ってくれんじゃん、朝食」
「毎回訪ねてくるアンタの神経もどうかと思うけど」
「母ちゃんでもこんなに世話焼いてくんないかも」

 だろうね。知ってた?私がアンタの世話を焼くため、休みの日でもアラームかけてきちんと早起きしてるって。

「なんかさー、あれだよな、」

 そう言って影汰は味噌汁を啜る。葱と豆腐の味噌汁。啜り終えるまでのわずかな沈黙。私は白米を咀嚼しながら言葉の続きを待った。

「あと二十年くらい先もこうやって世話焼いてくれてたらさ、名前、そん時は俺と結婚しよっか」

 まるでこのあとの出掛け先を提案するみたいな軽やかさだった。口の中の白米がするりと喉を通る。影汰の言葉だけが引っ掛かっていた。二十年先。結婚。

「長っ、せめてあと十年とか言いなよ」
「え、あと十年も世話焼いてくれんの?」

 切れ長の目が驚いたように見開かれていた。やられた。「うるさい」「焼かない」と繰り返すほど影汰の口元はにんまりと弧を描いていく。ああ、もう、勘弁してよ。誤魔化すようにお茶のおかわりを取りに立ち上がった私に影汰が言う。

「うそ。やっぱあと三年くらいで結婚しちゃおっか」

 勘弁して!と突っ込みを入れた私の表情、きっと、すごく、変。
 だって、こんなに意地の悪い笑みを浮かべてる影汰を私は初めて見たから。
 ああ、毎朝こんな奴に味噌汁を作る生活にちょっとでも魅力を感じてしまった自分が情けない。恥ずかしい。
 台所でお茶を注ぐ私に影汰が言う。

「ねぇ、明日は直接お前ん家行くから。あと、ご飯おかわり」