餃子ファンク


 は?何見とんねん。どっからどう見ても修羅場やろうが。察しろや。見せもんちゃうぞ。
 1年の女子グループが廊下をそそくさと駆け抜けながら、チラチラと好奇心ダダ漏れの視線をこちらに向ける。野次馬根性丸出しの外野にも、目の前のあほんだらの男にも、か弱ぶって男の半歩後ろで目潤ませてる女にも、全部に反吐が出る。
 なに被害者ぶっとんねん。ルール違反はそっちやぞ。大概にせぇや。怒りに任せてすぐそばの自販機を蹴飛ばしたらガゴンッ、と派手な音のあと、上履きを貫いて足裏からびりびりと衝撃が響く。痛ッ。あー……なんかもうええわ。アホくさ。

「私のお古でええんやったら、くれてやるわ。んなクソ寒い男、」

 決着がついた。試合に負けて勝負に勝つってこういうことでしょ。
 浮気男と泥棒猫は仲良く手を繋ぎ、謝罪の一つもなく逃げるように私の前から去っていった。愛の逃避行ってか?ほんまにそういうとこ。アンタらお似合いやわ。

 コッテコテの修羅場をひとつ下したら一気に力が抜けた。私は廊下の壁を背にズルズルとその場に座り込む。壁に触れたセーター越しの背中と、廊下の床に触れた太ももが、ひんやりと冷まされていく。私の怒りと一緒に。

「なんやヤクザの喧嘩かと思たわ」

 どこからともなく現れた男は図々しい態度で私の隣にどさりと腰を下ろした。

「旅人、いつから見てたん?」
「自販機どつく10分くらい前から」
「ほぼ全部やん、それ」

 大きく溜め息を吐く私とは対照的に旅人は「オモロいの見せてもろたわ」と満足げにニヤついている。

「でも、案外けろっとしてるもんやな」

 お前、運命かも!とか薄ら寒いこと言うとったやんけ。と旅人は鼻で笑う。
 旅人の言うとおり、あの男に執着していたのは確かだった。自分でももっと悲しみの淵で涙の一つでもこぼすかなと思っていたけれど、思いのほか私の心は落ち着きを保てている。もしかしたら“喪失”という毒は遅効性なのかもしれない。

「運命の糸も切れる時は一瞬やし、女は切り替えの早い生き物ですから」
「冷めとるっていうか、たくましいっていうか。まあ、御後がよろしいようで」

 励ますつもりなのか旅人は私の頭を雑に撫でる。ごつごつしてて大きな手。そうやって傷心の女に優しくするから勘違いされんねん。嫌な男やわ。まあ、別に私は勘違いせぇへんけどな。

「はーあ、お前の寒い惚気話を鵜呑みにして遠慮しとった俺がアホみたいやわ」

 そう言って旅人はあくび混じりに大きく伸びをした。は?遠慮?誰が誰に?なんの?
 険しい表情で旅人を見ると、やけに機嫌が良さそうな藍色の瞳と目が合った。

「なあ、狙ってもええってことやんな?」

 小馬鹿にするように旅人は私の鼻先をツン、と小さくつついた。
 照れるよりも速く、旅人を異性として意識するよりも速いスピードで「……わざわざ聞かんと女狙えないんか自分」と嫌味を返せたのはさすが関西人のDNAって感じがする。
 あとね、これは断じて照れ隠しなんかじゃない。断じて。時間差で熱くなってきた耳と鼻先は、……んなもん知るか。

「風邪か?顔真っ赤やん、」
「むしろ風邪以外にある?」

 私は溢れんばかりの呆れと憐れみを込めて旅人を睨みつけたのに、その口元は大きく弧を描いていた。

「名前、自分、嘘つくん下手やなぁ」

 そう言って旅人はくつくつと笑う。私は大きく振りかぶってその震える肩を殴った。「あー、コレは折れたわ」とわざとらしく痛がる姿が余計ムカついた。 

「あー、なんかもうブチ切れたらお腹空いたわ」
「じゃあ、なんか食い行くか」
「賛成」

 私は旅人より一足先に立ち上がり、スカートのひだを整えながら彼を見下ろして「もちろん旅人の奢りやろ?」と笑った。なんだか心の底から清々しい。もしかしたら“喪失”という毒への免疫を、私は知らずのうちに獲得していたのかもしれない。

「で、何食いたいん?」
「餃子食べたい、餃子」
「はあ〜、お前ホンマ可愛くないな」

 あれ?旅人知らんの?失恋には肉とニラとニンニクなんやで?
 そうやって女たちは強くなっていくのである。

「旅人、その可愛くない女狙う言うとったんどこの誰?」
「はいはい、俺や俺」