生存報告

▽2020/06/07(Sun)
秘封探訪記、更新完了です
ようやく一作目である「秘封探訪記」更新できました。

はぇ〜、すっごい遅い……。
犬のように駆け巡る更新したい、したい?(逡巡)

追記にあとがきを付けましたので、よろしければお読みください!

 本文を読んでからご覧になることをおすすめします。

 さて、今回のあとがきのメニューですが、以下のようになります。

・なぜ秘封倶楽部なのか

・花京院の生育環境

・花京院と法皇の緑の関係性

それでは早速、

・なぜ秘封倶楽部なのか

 そもそも、秘封倶楽部という時点でお察しいただけているかもしれませんが、そうです。
私、東方が好きなんです、特に秘封。
蓮子とメリーが幻想に触れながら旅するようなのも好きですし、原作みたく思考をおっぴろげて話し込むだけ、っていうのもまた好い!
 一応、それだけではなく、花京院くんにも原因があります。
「ファンタジーやメルヘン」発言です。
ガイル戦では確かにあの発想があったからこそ勝てたのでしょうけど、秘封スキーとしてはいただけない。
宇佐見女史がリアリストかロマンチストか、というのは微妙な線ではありますが。
でも科学って、不思議に満ちた理論体系ではないですか?
パウリエフェクトは置いとくとしても、重力の原因である分子は観測できていませんし、トンネル効果とかもろに超常現象みたいですよね。
「ファンタジーやメルヘン」と対極にあるはずの科学(物理学)も、そこそこファンタジーなんだぞ!
というのを、花京院くんに知ってもらって、視野を広げて欲しいな〜、というのが始まりです。
このあとに、二作ほど考えていますが、いつになるやら………。


・花京院の生育環境

 ほぼ捏造ですね。
両親が健在らしいのは原作でもわかりますが、これ以上のことは推論にしかなりません。
…たいして長考したわけでもないので、「あっ、ふーん」とか「ちょっとここ間違えてんよ〜」という指摘は甘んじて受け入れます。

 で、推測するにあたって考えたのは「現実主義」という部分。
他人には見えないものが見えているのは、少なからず自覚していたはず。
だのに「ファンタジーやメルヘン」はあり得ると考えていない。
ここから、花京院くんの肯定感が低めなのでは? という一つ目の結論に至ります。

 それから、花京院くんの性格について。
仗助(およそ五才くらいの頃に発現したとする)や、ポルナレフ、アヴドゥルは、ほとんど描写がないとはいえ、それほど対人関係に悩んでいた様子はありません。
特に仗助は、目に見える形でモテモテ、しかも話しかけられるなどコミュニケーションをがっつり取っていますよね。
ここから、花京院くんは、少なくとも仗助に比べれば、内向的なのでは? という二つ目の結論に至りました。
ちょっと無理があるような……。

 そして最後、上記二つの結論を組み合わせて、家庭環境を構築します。
自分の見ているものを肯定できず、人との関わりを積極的には持たない。
舞台は80年代なので、子どもが関わる人物は学校、家庭、習い事くらいに限定されるのではないでしょうか(未検証)?
つまり人格形成に携わるのもこれらの人物。
学校、習い事などは少人数のコミュニティでない限り、親密になることが少なく、自己肯定感を養ってあげることが難しい気がします。
残すは家庭のみとなりますが、ここでご都合主義。
自己肯定感の低いまま育っていったということにしています。
後付けな根拠としては、彼の最期の瞬間ですね。
自分の矜持と仲間のために死ぬことをいとわない。
それと、仲間の和を重んじる性格。
そう、「仲間」です!
自己犠牲……的な……、そういうのと思えば……。

 で、母親といい関係を築けないというわけです(砲丸投げ並)。


・花京院と法皇の緑の関係性

 ここにも自己肯定感が関係します。
自分の見ているものを信じたくない、信じれば誰かにとって不幸を招く、というような考えを持たせました。
だから「緑のそれ、あれ」とか雑な呼び方をさせる必要があったんですね。
緑の友だち〜みたいな表現が一般的に思えますが、スタンドは自分自身。
他人に否定され続けた自分本体とスタンドが真っ当に肯定できるはずもなく、きっと悩み続けていたんじゃないかな、とか。
不幸中の幸いに、低い肯定感が暴走を抑制させたり、逆に自分の感情のままに動かしたり、とか、興味深いですね。
私が書くには難しい話ですが……。


お読みいただきありがとうございました!

これからもよろしくお願いします。




category:小説更新とあとがき


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