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2年待つ宣言をローにされたあの日から、急に船長室に呼ばれなくなった。一緒に過ごす時間もなくなったし、外に出ても着いてこなくなった。おはようからおやすみまであれだけベッタリだった毎日から一転し、私は絶賛戸惑い中である。
あれ、私はローに告白めいたものをされた気がしていたんだけど…。もしや勘違いだったのだろうか。それとも言ってから後悔したのか。タチの悪い冗談だったのか。ローに限ってそんな意地悪な事はしない気もするが、これだけ避けられると流石に悲しい。喜ばせると言ったのにこの嘘つきめ。
「リアナ、最近ずっと一人だけどキャプテンとケンカしたの?あんなに一緒だったのに…。」
「…うーん。ケンカした覚えはないんですけど、何でだろうね。」
ポーラータング号の一画に作った農業プラントで育てた野菜を収穫している最中、手伝いのベポに尋ねられた。心当たりはないので、私は困りながら苦笑いをする。
問題は二人きりにならなくなったというだけ。食卓の時や、みんなで集まる時に会ってもローは普通に接してくる。至って普通だからこそ、わざわざ船長室に乗り込んで問い詰めることでもないよな…と何も行動できずにいた。そもそも呼ばれて行ってただけで自分から行くことは殆ど無かったので、自ら動くのが恥ずかしいというのもある。
「ま、悩んでもしょうがないし、わかるまで気長に待ちます。…それより見て!この丸カブとコールラビ!種をゲットしたから、成長させてみたけど生でも美味しいですよ!」
掘り起こした蕪たちを軽く水洗いして、シャクッと齧りながらベポにも勧める。甘いものが好きなベポにはピッタリの野菜だ。
「本当だ!果物みたいに甘い!これはサラダにするの?それとも漬物?焼いたらもっと甘くなるかな〜?」
献立をどうしようかと相談しながらも、ついついつまみ食いが止まらない。そろそろお腹が苦しくなってきたので、お昼ご飯の材料をカゴに入れてキッチンへと戻った。
「ベポ!キャプテンが3日間旅に出てくるって書き置きが!リアナの飯が3日も食べられないなんて耐えれねェ!……って…あれ?リアナ残ってんの?」
ペンギンが驚いたように私を二度見した。放浪癖のあるローだが、私が攫われた事件以来、常に私を引き摺って出かけていたからだ。
「うん、きっと私がお利口になったので、自由が許されたんでしょう!」
「いや、どこがお利口だよ!今もウロウロしてすぐ消えそうになるから、俺らがしっかり見張ってるだけだからな!」
ペンギンの手厳しいチョップが飛んでくる。でも迷子にはならなくなったんだから許してほしい。書き置きを手に取ったシャチが「ふーん」と呟く。
「リアナを連れてかないなんて珍しいな。このところ、船長室にも呼ばれてないようだし寂しいんじゃないのか?」
「………。」
私が何も言えずに黙ってしまうと、シャチは焦ったようにわたわたし始めた。冗談のつもりが思ったより落ち込んだから驚いたのだろう。
「…そうです、寂しいんです!…と言う事で、やる気が出ないので珍しい魚釣ってきて!シロアマダイかノドグロでも可!」
共同生活は人間関係が密なぶん、誰がケンカしたとか、誰がやらかしたとか話が回るのも早いし、みんな聞きたがるのでちょっとだけ面倒臭い。これ以上からかわれるのも詮索されるのも嫌なので、釣竿を持たせてシャチとペンギンをキッチンから追い出そう。
「このワガママ娘め…。デッカいの釣り上げるから捌くの覚悟しとけよ!」
そう言って出て行ったペンギンとシャチだったが、釣れたのはニシンがたった3匹。10人以上いるクルーを賄うには到底足りないので、予定通り収穫したカブと肉料理を振る舞った。
今日から3日間、船長不在なのでみんな羽を伸ばし始める。私もその一人。好き嫌いが多くて厳しいローがいないおかげで、何品もの大皿料理を大量に作り置き出来るのだ。好きな時に好きなように食べてくれ!とみんなに伝えて、いまだけ料理人は休業。クリオネとオセロしたり、シャチに髪の毛をいじってもらったり、イッカクとティータイムしながらメイクを教わったり、充実した時間を過ごしていた。これまではローと本を読んだり、ローと特訓したり、ローと昼寝したり、と暇があればローと過ごしていたので久々に新鮮だ。あれ、めっちゃ楽しいぞ?寂しいとかそんな思いはとうに吹き飛んでしまっていた。ハートの海賊団の仲の良さと人の良さをしみじみと感じた。
そうやって全力でエンジョイしていると、急にズンっと船が沈むように揺れる。なんだ、なんだと甲板に出てみれば、巨大の動物と血塗れのロー。そういえば今日はローが帰る予定の日だった。慌てて包帯や消毒を持ってみんなで駆け寄る。
「…大した怪我じゃねェから心配すんな。それより、これを見ろ。ロックス・D・ジーベックが残したという宝の地図を見つけてきた。」
「ええー!?ロックスって世界最強の海賊団だった!?すげェー!!」
地図を見てみんなが目を輝かせている。宝の地図というのがやはり海賊の心を動かすのだろう。私は宝よりも、ローが獲ってきた牛柄の巨大な動物が食べれるかどうかが気になっていた。
「ってかどこ行ってたんすかキャプテン!!こんなに面白そうな冒険、おれ達も連れて行って下さいよ!」
「海底火山で出来たトコだ。まだ火山活動が活発で海中は熱すぎて大きな船ではいけねェ。それに上陸するのも危険な島だ、シャンブルズで俺だけなら行けるが大人数だと死にに行くようなもんだったからな。宝の地図で勘弁しろ。」
ペンギンがみんなと一緒にブーブーと親指を下げながら抗議するので、ローが頭を掻きながらわけを説明している。うずうずして耐えきれなくなった私はローの話がひと段落した所でついに話しかけた。
「…で、この牛柄のマンモスみたいな巨大な生き物は何ですか?」
「海底火山から出来た島に、時折現れる北の海の伝説の生き物、モーモスだ。あまりの肉の旨さに挑戦するものが耐えないがまず上陸するこも捕まえることも出来ない為、伝説になったらしい。」
何でそんな伝説をローが知ってるの、とか、何で捕まえて来てるの、とかよりも先に、興奮が勝ちすぎて私はあり得ないテンションで手を上下に振っていた。
「え……うそ…!!これが!?希少価値が高すぎて写真も残ってないんですよ!!噂でしか聞いたことなかったのにっ!!キャー!!ホンモノ!!!」
今なら空が飛べそう。食べる前から感動のあまり涙が滲んできた。いや、まだ早いと目頭を拭う。
「……嬉しいか?」
左の口角を上げ、ドヤ顔でこちらを見てくるロー。そんなの返事は決まっている。
「……めちゃくちゃ嬉しいですっ!!ロー大好き!!!」
思い切りローの胸に飛び込んだ。倒れないように踏ん張るローの胸に頭を擦り付ける。
「私のこと嫌いになったわけじゃ無かったんだねっ!」
「…嫌いになるわけねェだろ。それにしても何だその髪型とメイクは……。」
ケンカじゃないかと心配していたベポやシャチが良かったな!とグッと親指をこちらに向けた。抱きついた私をローが引き剥がしながら私の顔をまじまじと見つめる。
「シャチとイッカクがやってくれたんです。どうですか?」
「………。」
クルッと回って見せるが、なんの反応もない。それよりも帽子を目深く被ってしまった。普通に傷つくのだが。
「なんで黙るんですか?…もしかして似合ってない…?」
「今のリアナは世界一の美女だ!おれとイッカクの腕を舐めんなよ?綺麗すぎて何も言えないんだよ!」
シャチが私の横に立って私の頭を撫でた。お世辞でも照れる。私がでへへと口角を緩めているとローがシャチの口を抑えた。
「うるせェ、黙れシャチ。とりあえず宴だ!お前ら宴の準備しろ!!」
ローの掛け声でみんなが手を叩いて動き始める。ローのアンピュテートで巨体のモーモスも一瞬でバラバラに捌かれた。綺麗にカットされていく様はいつ見ても気持ちがいい。捌いた肉を力持ちのベポやウニに持ってもらいながら、私はスキップでるんるんとキッチンへと向かった。
「ペンギンは外バラをササバラ、ショートプレート、インサイドスカートに分けてー!カルビは飾り切りでよろしく!」
「シャチはホルモンを壺漬けとスープにお願い!」
「ベルーガは肩ロースをすき焼き用に薄切りにしておいて!」
「「「アイアイ!」」」
私はみんなにどんどん指示を出していく。サーロインはステーキに、イチボはローストビーフに、ヒレはプルコギに、ホホ肉やスネ肉はシチューにするのだ。これから一週間、この肉をいろんな料理で食べれるのが楽しみで仕方がない。
今日のメインの肉料理に合わせて添え野菜や一品もどんどん作っていく。焼肉にはナムルや漬物は欠かせない。ステーキにはサラダやマッシュドポテト、ピーマンやキノコのソテーなどの添え野菜も欲しくなる。口直しのグラニテや箸休めのキャロットラペも作っておこう。戦場の如く、人がひしめき合うキッチンでは物凄い速さで料理が出来ていき、甲板へと運び込まれていった。1時間半もすれば片付けも済み、宴の用意が完了する。オールラウンダーが多いハートの海賊団はみんな要領がいいので手際が最高だ。もう期待も空腹も最高潮。皿と箸と木製ジョッキを手に甲板へと上がった。
「それじゃ、伝説のモーモスと宝の地図を手に入れた記念だ、乾杯!!!」
「「「「かんぱーい!!!!」」」」
みんなで作った葡萄ワインと麦酒が入ったジョッキをぶつけ合う。私とベポはローに怒られるのでもちろんオレンジジュース。乾杯の合図と共にモーモスの肉を焼き始め、熱々のうちに口に放り込んだ。
「うまっ……!!肉と肉汁の旨味がたまらないっ!!しっかり脂がのってて甘いのにサラッといける…!美味しー!!!」
口の中でスッと肉がうまみだけを残して消えてしまった。ほっぺが落ちるほどの美味しさだ。思わず叫んでしまい、ちょっとだけ涙も滲む。
「生でも美味いな!タン刺しもツラミ刺しも最高だぜ!タンは特に弾力がすげェ!!」
「タン塩も最高!焼くとフワッとするな!焼くかそのままいくか悩むぜっ…!」
とにかく最初は焼き肉だと、みんなが思い思いに焼いて食べていく。生肉はビタミンCが豊富なので脚気予防に食べるのも忘れない。焼かなくても生肉が旨すぎるというのもある。
「うわー…美味しそう…!おれもいいかな?食べてもいいよね?」
海獣類や爬虫類以外の毛の生えた肉類を食べれないミンク族のベポが涎を垂らしながら皿を持って近づいてくる。
「あくまで牛柄ってだけで毛生えてなかったし!セーフ!海獣類だと思うよ!!!」
四つ足でどこからどう見ても海獣類ではないのだが。そもそも白熊は肉食だし、気にしなくてもいいのに。毛は無いからセーフ!と納得させながらベポも食べ始めた。あまりの美味しさに悶えているのが可愛い。
「ハラミはタレだねー!サンチュとナムルとミソで食べると良いですよ、エゴマも合います!」
「野菜で包んだらいくらでもいけそうね!幸せだわー!獲ってきてくれたキャプテンに感謝ね!!」
みんなが拳を上げて「キャプテンサイコー!」と叫んでいる。酔っ払ったペンギンが胴上げをしようとしていたが、流石にそれはローに止められたようだ。食べたり、歌ったりしているうちに、真上に登っていた太陽はすっかり水平線へと沈む。橙色の夕日が海の水面をキラキラと照らしていた。
宴もたけなわ、みんなが苦しそうに腹を抱えてダウンしていく。甲板の上で寝落ちし、いびきが何重奏にもなって響いていた。お酒を飲んでいなかった私とベポは耳を塞ぎながら操縦室に向かう。酔い潰れてしまった今夜の見張り番の代わりに、望遠鏡を覗いて見張りに励むのだ。今日は海が凪いでいるし、風もないのでそこまで気を張らなくていいのは助かった。
「ベポ、目がなんだか眠そうですね。何かあったら起こすから寝ていいよ。」
普段は早寝派で成長期のベポはとても眠そうに瞼をぱちぱちさせている。私が声をかけると目を擦りながらベポが頭をこてんっと横に傾けた。
「いいのー…?2時間寝たら代わるから起こしてね…?絶対だよ〜…?」
悪魔的な可愛さに心臓が締め付けられる。可愛すぎて食べてしまいたい。私は心臓を抑えながら「わかった、わかった」と声をかけて、操縦席の後ろのソファにベポを寝かせた。ソファから余裕ではみ出てるのだが、落ちてないので問題ない。私は作っていたすじ肉のドテ煮をツマミに夜の見張りを再開した。
「…お前は眠くないのか。」
背後から声をかけられ、ビクッと後ろを振り向くとローがいた。
「…こんなに美味しいお肉を食べた日はアドレナリン出まくりで寝れないですよ。明日の片付けは酒で潰れた男達に任せて優雅に寝るので、今日だけは代わってあげるんです。あ、ローも横に座る?」
驚きながらも、隣を空けて彼に座るように促す。ローもどかっと私の横に腰を下ろすと、ちびちびとツマミに手を伸ばした。しばらく無言が続くが、私は
ふと、気になったことを彼に尋ねてみた。
「モーモスを捕まえて来てくれたのって、もしかして私の為ですか?」
「…ああ。喜ばせるって言ったろ。」
酒を片手に彼は淡々と答えた。目線はツマミや前を見るばかりでこちらには合わない。
「とっても嬉しかったです。私が一番幸せな瞬間ははまだ食べたことのないものに出会うことだから。」
私の言葉にやっとローはこちらを向いて笑った。三白眼で普段は目つきが悪いせいで、彼の目を細める仕草はとても破壊力が凄い。ローの笑顔に私の心臓の音が激しさを増す。この音がバレないように至って冷静に努めなければ。
「…でも、そのせいで一緒に過ごす時間が増えるのはちょっと寂しい。なんで急に船長室に呼ばなくなったんですか?昼も夜も毎日寝てたのに!」
私は拗ねたように唇を尖らせて言った。急に習慣が変わって戸惑ってるのだから理由ぐらいは教えてほしいのだ。
「はぁ……。2年待つって言ったからな。その間は縛るつもりもねェし、好きにしろ。一緒に寝たいならお前から来い。ただ、おれの自制心を期待すんじゃねェぞ。」
なるほど、これまで束縛しすぎたと反省したのか。ローがいない間の自由に過ごした時間はとても楽しかったので正直助かる。ただ、自制心という言葉が引っかかった。そして、つい素朴な疑問がポロッと口からこぼれる。
「……ローは私のこと女として見れるの?」
「あ?見た目は18ぐらいあるだろ。見ねェようにしてるんだよ。」
「発育いいですもんね、この身体。でも、これまでたくさん出会いがあったのに、何でわたし?清楚な女の子から綺麗なお姉さんまで、酒場や街中にもたくさんいるじゃないですか。」
わざわざ身内に手を出さなくてもよりどりみどりだろうに。立ち寄った町で病気や怪我を治した相手からは良く求婚されてるし、情報を集めに酒場や食堂によれば若い娘達が目の色を変えてローに近寄ってくる。私は食べる事に夢中で周りは見ていない方なのに、それでも目に入ってくるのだから彼は相当モテる筈だ。
「その場限りの出会いにゃ興味ねェんだよ。あー…お前の理由は言いたくねェ。」
警戒心が高いのもあるのかもしれないが、どちらかというと真面目なんだろう。理由を言いたくないのは、照れからなのか、やましさからなのか…。どっちにしろ私から無理に聞き出すことではないし「そっか」とだけ答えた。
「…そもそも、寂しいとか言うがな、リアナはおれのこと男として見てねェだろ。2年後、急におれに迫られたら対応できるか?」
迫るとは男女の関係になれるかどうかの話だろう。ローの事は好きだし、ドキドキもするけれど、彼の言う通りまだそんなことは考えられなかった。家族としての好きか恋愛としての好きかがまだあやふやな状態ではっきりとした答えは出せない。
「うーん、心の中のコラソンに相談しておきます。」
「なんだよ、心の中のコラさんって。召喚でもするつもりなのか。」
私の返答に訝しげに眉を顰めるロー。あれ、まだ話したことなかったっけ。私は首を傾げたあと、口を開いた。
「私はこの6年間、何か迷う時はイマジナリーコラソンを思い浮かべて決断して来ました。私の良き相談相手なんですよ。そもそもコラソンはローの保護者だし、ローに手を出していいかコラソンに許可を取らなきゃダメでしょう?」
私が説明すると、ローは手のひらを額に当て頭を抱えた。ため息をつきながらコチラを睨む。
「やめろ、大事なコラさんを穢すな。そんな報告を聞かされるコラさんの身にもなれ。それにお前は手を出すほうじゃなくて出されるほうだろ。」
「えー?絶対、私が出したって思われますよ!クルーからも!一緒に寝てた時からペンギンやシャチにまで羨ましがられてたんだから、付き合うとかなった日には何を言われるか分かったもんじゃない!つまり!みんなから愛されてるの自覚してくださいね?」
私が必死に訴えてもローは「なんだそれ」と眉間を寄せてとぼけるばかりだ。社内恋愛が面倒なように、船内恋愛もきっと面倒だろうし、別れて気まずくなるのも、家族や友達でいられなくなるのも嫌だ。そんなことはお構いなしそうなローを横目に私は肩を落とす。
「まあ、いいや。先のことを必死に考えたところでわからないので、2年後、その時の自分の気持ちで判断します。船降りても泣かないでくださいね。」
「…は?……まぁ、そんときゃそんときだ。」
とりあえず合意したし、避けられていた理由もわかったので一件落着だ。問題の持ち越しとも言うかもしれないが。私達はまだ若いし時間はある。だってまだ北の海でも行けてない島が残ってるし、グランドラインにも入ってない。ゆっくり行こう。
今は肉の美味しさに酔いしれていたい。私は難しいことを考えるのはやめて、ドテ煮に手を伸ばす。肉の旨味と味噌の重なりをゆっくりと味わいながら、望遠鏡で水平線をただ眺めていた。ローはそんな私の横で、パラパラとベポの航海日誌を読んでいた。静かだけど、悪くない時間だった。
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半年後、ローが20歳になり、懸賞金も7000万ベリーを超えた頃。ついにローが
偉大なる航路を目指すことを宣言した。みんなで倒した巨大なワニを捌き宴を開いている時だった。
「「「……えええええっ!?!?」」」
クルーたちが驚嘆の声を上げる。旅をする中でグランドラインで死んだ人の話や命からがら逃げて来た奴らの話を散々聞いて、みんな、その無謀さを知っているからだ。動揺しているクルーとは違って私は「やっとか!」という気持ちと遂に来たワクワクに胸を踊らせる。この半年で残りの島も食べたいものも食べたので
北の海に悔いはない。一日でも早くグランドラインに入りたいものだ。
ただ、あまりの危険さに自分の生まれた海から出ない海賊も少なくない。いや、
北の海で生まれた殆どの人が、他の海や世界を知らずに死んでいく。だから大航海時代とはいえ、よっぽど名を馳せた海賊や
ひとつなぎの大秘宝を目指す海賊でなければ
偉大なる航路には行かないのだ。クルーのみんなの反対で却下されないか不安に駆られる。私は恐る恐る、みんなの様子を伺った。
しかし、そんな考えは杞憂だったようで、それぞれ覚悟を決めた表情をしている。
「……行こう!!この時代に生まれたんだ、
偉大なる航路に行ってこそだろ!?」
「ロックスの宝も偽物だったのか、ただの手配書だったからね!本物の宝を見つけに行こうよ!」
「
偉大なる航路は海賊の墓場!?上等だぜ!腕がなるな!」
「おれらはどこまでもキャプテンに着いていくぜ!」
クルーたちの威勢の良い声が甲板に響く。そして、皆が顔を合わせて拳を空に向かって突き上げた。ペンギンがニヤッと笑う。
「キャプテン!おれ達の意志は固まった!号令を頼む!」
ペンギンの目配せにローが口角の端を上げながら頷く。そして甲板からデッキに上がって仁王立ちになった。
「目的地は
偉大なる航路!その入り口のリヴァース・マウンテンだ!!帆を上げろ!『ハートの海賊団』出航だ!!!」
「「「「おおーーーっ!!!!!」」」
大きな声が青空を突き抜ける。肩を組み、酒を交わす。開いた帆がパタパタと風に揺れて、門出を歓迎するようだった。こういう時、ハートの海賊団に入ってたらもっと嬉しかったんだろうな。私は手を叩いて喜ぶが、そっと端からみんなを見守る。少し距離を置いている私に気付いたローはシャンブルズで私を引き寄せた。やばい、と思った時にはもう遅く、ローが「お前ら聞け!」と叫んだ。
「改めて!リアナは『ハートの海賊団』じゃないが、
偉大なる航路に着いてくる。これまで通り、食材の管理と料理の管轄を任せるが異論はないな!?」
ローの声にみんなの視線が私に集まる。「今更やめてー!」と逃げ出そうとするがガッチリ脇腹を抑えられていて逃げられない。
「あるわけねェー!!!」
「食糧の女神ー!!味付けもいつも最高だー!」
「遭難しても飢え死にだけはしないわね!」
「命の恩人だからな!肉と魚は貢がせてくれー!!」
普段は裏方で前に出るのに慣れてない私は思わず顔を赤くしてしまう。ジタバタすればするほどみんなが面白がった。
「大事なおれ達の妹だからなー!恥ずかしがる顔も世界一可愛いぜ!」
「守るから安心しろー!!そしてたまにモフモフさてくれー!」
そろそろ降ろしてほしいとローに目で訴えると、やっと降ろしてくれた。
「今更、遠慮すんなよ。みんなにとってお前は居なくてはならない存在だ。ほら、あっちに混ざってこい。」
ローが優しく微笑みながら私の背中を押した。目つきの悪い普段とのギャップよ。その笑顔は人が死ぬ。私は吐血しそうなのを我慢して、白狐に変化してみんなの元に飛びついた。
「うおー!!ついにおれ達にもモフモフの番がまわってきたー!!」
「キャプテンだけには独占させねェー!」
みんなが一切に私に抱きつき、顔を尻尾にうずめ、全力でモフモフしてくる。酔っ払って赤くなったみんなの体温が温かい。幸せな時間が私達を包みこむ。その日の宴はいつまでも続き、笑い声は朝まで途切れる事はなかった。
ーーーー
偉大なる航路の海図と
記録指針という
偉大なる航路に入るために必須のアイテムは、ローが既に手に入れていた。呑気に各地で食べ歩きしている際にペンギンやシャチと共にちゃんと情報集めをしていたらしい。私が食べ物の話や味わうのに夢中になって気づいてなかっただけのようだ。できる男達に感謝である。
「あれが、
偉大なる航路に入る前に半分が死ぬって噂のリヴァース・マウンテンっ…!!」
導きの火に沿って嵐の中を進むポーラータング号。今日はおにぎりやサンドイッチなど軽食と弁当だけ作って、私も甲板に来ていた。
「風がさらに強まったよ!マストが折れないように帆を少しだけ畳んで!嵐に負けるな!」
ベポがテキパキと指示をしていく。ゾウに帰るために航海術を7年間みっちり学んだだけあって、風をよむのもお手のものだ。強風と雨に打たれながら、みんなで帆をヤードやプームに括り付けて縮帆する。
「ベポ、嵐なんだし潜水した方が良くないか??舵取りが難しすぎる!!」
舵柄を握るペンギンが叫んだ。風や海流の力で思うように操舵ができないようだ。
「リヴァース・マウンテンは名前の通り山を登るんだよ!山を駆け上がる運河の海流は深くない、潜水は無理だ!」
海に潜れば嵐にとはおさらばできたこれまでと違って、真っ向から嵐を渡らなければならないようだ。ローは嵐の中でも嬉しそうにマストを掴んでいる。
「記念すべき門出に潜るのは野暮だろう。しっかり目を見開けお前ら!!」
すぐにアイアイ!と言う声があちこちで上がる。難関な場所にロマンを感じるのはさすが海賊らしい。新しい冒険の幕開けに思わず心が躍った。
「操帆班!!左舷開きにして!!ギリギリ順走するよ!!操舵班はとり舵ー!!」
「「「とり舵いっぱーい!!」」」
みんなで声を合わせる。運動会みたいで楽しい。轟音の風と大粒の雨さえも私達の背中を押してくれているようだ。
「すぐにおも舵ー!!ジグザグ行くよー!!海流に吸い込まれるから、舵を取られるなー!!スクリューも使うからねー!!」
流れが早い狭い入口へ、ポーラータング号の動力全てを使って突入していく。冬島の気候で作られた海流が私達の船を掴んで、一気に頂上まで引き寄せた。
「すげェ!!山を登ってるぞ!!!これは止まれねェ!!!」
「嵐を抜けるよ!!帆を張れーー!!総帆展帆だー!!」
「遂に来たよ!ここからが世界一偉大な海だ!!!」
ゴゴゴゴゴゴォォ…ザパァァ…ン!!!
ついに運河は頂上まで達し、四つの海の海流が重なった。轟くように海の音が鳴り響く。そこから急降下するように
偉大なる航路へと流れ出た。
「雪が降ったかと思ったら止んだー!!」
「前方に巨大な鯨を発見!避けろー!!!!」
「えええええ!?とりあえず双子岬に船をつけるぞ!!」
遂に偉大なる航路に入ったのだが、喜ぶ暇もなく慌てて帆の向きを変え、舵を取る。というか本当にこれ鯨なのだろうか。東京タワーよりも余裕でデカい。山のように聳え立つ鯨に圧倒されながらも脇を抜け、双子岬に船を停めた。
「ひえー…こんなデッカイ鯨がいるなんて流石グランドラインだな…。」
船から降りたシャチが見上げながら呟く。襲ったりはしてこないので良かった。私は、目をつぶりながら生き物図鑑の記憶を必死で辿る。
「いや、もしかして
西の海に生息するって噂のアイランドクジラじゃないですか!?世界一大きいと書いてあったけど、これほどとは思ってなかったな…。あ、毒も持ってないし食べれるはず!せっかくだし捕鯨しましょう!!」
「こんなデケェの捕獲したところで食べきれねェぞ。ちゃんと責任持って処理しろよな!」
私は思い出したように手を打つと、すぐさま人獣型になって爪を研いだ。ルンルン気分の私にローが呆れながらもながらもルームを唱える。
「待たんか!!ラブーンは私の大事な友人だ!」
その言葉に振り返ると、禿げ上がった頭頂部とその周りの花のような髪の毛が特徴的な眼鏡の爺さんが、険しい顔で立っていた。私とローはサッと悪魔の実の能力を消す。
「わあ、お友達とは露知らず、食べようとしてすみません。
北の海から来たハートの海賊団と食材ハンターです、初めまして。」
「オッサン、灯台守か?」
偉大なる航路に入って初めての接触者である。友好的に行かねばと、頭を下げて手を差し出した。お爺さんはローの質問に頷きながら私の手を握り返してくれる。
「ああ、クロッカスだ。コイツとは50年来の付き合いで、この双子岬を守っとる。ラブーンを狙うゴロツキも多くてな、アンタらはそうじゃなくて助かった。」
「それはそれは長いお付き合いで。…そもそも
西の海アイルランドクジラが何でこんな所にいるんですか?」
私が尋ねるとクロッカスはラブーンが
西の海から
偉大なる航路入りした海賊について来たことを話してくれた。50年経っても未だにその海賊達を待っている事も。忠犬ハチ公みたいな話である。
「アンタらも
偉大なる航路の恐怖に飲み込まれないようにするんだな。ここから先は常識が一切通用しないと思え。油断すればすぐに海の藻屑となる。」
「いらねェ心配だ。覚悟はとっくに出来てる。それより、ここのログはどのくらいで貯まる?」
クロッカスが心配してくれているが、ローはどこ吹く風だ。この先の方が気になるようで海図と
記録指針を持って前のめりになった。
「どこへ向かうかだろう。
偉大なる航路は7つの航路がある。ここは航路を選べる唯一の場所だ。」
「ゾウとドレスローザに行きたい。」
「ゾウ…もしやそのシロクマはミンク族か。ゾウに行ったのはもう30年近く前のことだ、今はどこを彷徨っているかも知らん。」
「そっか…。」
ベポは肩を落とした。慰めるように私はベポの背中を叩く。
「ドレスローザは新世界だろう。新世界に入ればドレスローザの
永久指針で航路関係なく辿り着けるぞ。楽園を抜け、無事に新世界へ行ければの話だがな。」
「行くに決まってるだろ。じゃあどの航路でも問題ねェようだな。」
ローが助かるとクロッカスに手をひらひらさせて、ベポと地図を見始めた。その間に、私はずっと気になっていた事をクロッカスに尋ねる。
「クロッカスさん、もしや
偉大なる航路の全ての島を周ろうと思ったら7周しないと行けないんですか?」
この世界の全てを食べ尽くすには、もしや
東の海、
西の海、
南の海に行くだけじゃなくて、
偉大なる航路を7周しないと行けないのか…?そんな疑問が頭に浮かんでいた。人生何年あっても命がいくらあっても足りないじゃないか。お願いだから1周で終わるとそう言ってほしい。そんな私の願いは虚しくクロッカスは平然と私に告げた。
「あ?まぁ、全てを網羅するならそうだろうな。
永久指針を駆使したとしても、4周は見ておいた方がいいだろう。」
「ええええ……マジかぁ……。」
この世界、あまりにも広すぎるだろう。嬉しいような、悲しいような、そんな気持ちになる。まあ、どれだけ広かろうが私の夢は変わらない。
「…わかりました。4周します。ので、またすぐ会いに来ますね。ラブーンの友達の海賊もついでに探しておきますよ。もしかしたら逃げるのに失敗してどっかの島で定住してるかも知れませんし。4周すれば骨ぐらい見つかるでしょう。」
「そうか…。ラブーンが現実を受け止める材料があればそれに越したことはない。だが、
偉大なる航路を何周もする奴なんかそうおらんからな、期待せず待っとるぞ。」
私がラブーンの声を録音している間に、どうやら行き先が決まり、ログも溜まったらしい。早い。ログがたまるのに1年も掛かる島もあれば、双子岬のように1時間でたまる島もあるそうだ。私たちはクロッカスに礼を言うと碇をあげて船を出した。また会う日までと手を振る。あと何回クロッカスに会えるかなと彼の姿が見えなくなるまで、一人、灯台を見つめていた。
「本気でその逃げた海賊を見つけれると思ってんのか?」
進路と操舵をベポに任せたローが私の隣に座った。
「さあ?ただ、このラブーンの声があれば、
西の海でアイランドクジラを捕鯨したい時に使えるでしょう。今回は残念ながら食べれなかったので次の為に生かすんですよ。」
「汚ねえな…。」
失望したような目で見てくるロー。失礼な、処世術が上手いと言ってほしい。
「どっちに転んでも損はないんですから、頭が良いと褒めて下さいよ。全ては世界を味わい尽くす為の布石です。」
ドヤ顔で親指を立てるが、ローは無言で眉を寄せた。スルーは流石に冷たいよ、あなた。黙ったかと思いきや、また質問を投げかけてくる。
「……本気で
偉大なる航路を何周もする気か。」
そんなの愚問だ。何を分かりきったことを聞くんだと、私は甲板の手すりに腰掛ける。
「ええ、4周でも7周でもしますよ。私の夢は世界中の食べ物を追い求めることだから。前世も今世も来世も、命尽きるまで。」
「…死ぬまでおれ達を付き合わせる気か?」
「いいえ?…ただ付き合いたいならご自由にどうぞ。」
困ったように頭をかくローに、私は笑いながら手すりに立ち上がり手を広げた。
「この海は誰のものでもない。進むも退くも生きるも死ぬも、どこまでも自由ですよ!」
あはは、と手すりの細いフチでくるくる回って見せれば、いきなり突風が襲ってきた。思わず身体がぐらつき、甲板から落ちそうになる。カナヅチだし泳げないぞ。どうしよう…と思いながら身体が斜めになったその時。
「……どれだけ自由だからってすぐに死のうとすんな。いつまでも手が離せねェだろうが。」
ローの手が伸びて来て私の腰をしっかり掴んだ。さすがの反射神経である。ローはほとほと参ったように大きいため息を吐く。だけど、少しだけ口角が上がっていて、どこか嬉しそうだった。それに釣られて、私も笑ってしまったので、「ニヤニヤするんじゃねェ」と怒られる。
こうして、ついに、私たちの
偉大なる航路の旅が始まった。