― その余裕を奪いたい ―
各運動部の部長・主将に配布されたはずのプリントが何故か俺のスポーツバッグに入っていた。
きっと朝練のときに木葉さんあたりが入れたんだろう。
なんで俺に、とも思いつつ中身を確認してから本来の持ち主である木兎さんに渡しに行った昼休み――。
「木兎なら体育館裏で昼寝するって言ってたよ〜」
「そうですか。このプリント渡しておいてください」
木兎さんの教室に行けば本人は居なくて、マネージャーの白福さんがいたので、とりあえず本人の手に渡ればいいと思いプリントを渡した。
「そうだ赤葦ちょうどよかった。渡すのあるからちょっと待ってて〜」
白福さんはそう言って一度教室内に戻ってしまったので、俺はもう一人の――俺だけの目的の人物を顔を動かさず目だけで探る。
木兎さんが昼休みに大人しく教室にいることなんてないと分かっていた。それでも俺がこうやって三年の教室に来るのにはわけがある。
……いない。
目当ての人物がいなくて空振りかと思っていると、白福さんが戻ってきて小さな紙袋を渡してきた。
「はい、これ」
「なんですか?」
「友達が調理実習で作ったマフィンを赤葦に渡してくれって頼まれたの。これ以上私が持っていると我慢できずに食べちゃいそうでねぇ」
「はあ……」
顔も名前も知らない人の手作りお菓子って、貰うのも食べるのもなかなか勇気がいる。
「……ありがとうございます」
「赤葦モテモテだね」
「っ!」
形式上のお礼を言いながら紙袋を受け取っていると、白福さんの後ろから顔を覗かせてきた人物に一瞬言葉が詰まった。
この人こそ木兎さん以外で探していた人、俺の憧れ――気になる人だ。
「ねえ白福ちゃーん、お弁当足りなくてお腹すいたー。何かお菓子持ってないー?」
「ええ? 調理実習で作ったマフィンは?」
「なーいー」
「ないっていうか、一人だけ砂糖と塩間違えて失敗してたね〜」
「ちょっと考え事してただけだもーん」
俺の態度をよそに話を進めている二人の会話を聞いてると、先輩もマフィンを作ったのかと分かる。できれば手元にあるマフィンよりそれが食べたい。
会話に出てきた「失敗作」の言葉に料理が苦手なのかと薄く笑っていると、先輩は俺の手元のマフィンをじっと見ていた。
「お腹空いているんですよね? 貰い物ですが食べますか?」
「……赤葦が貰ったんでしょ。赤葦のために作ったのかも知れないのにそんなこと言っちゃ駄目だよ」
「そうだね〜、駄目だね〜」
先輩の言葉に白福さんも同調して、明らかに俺の分が悪く、立場の悪い俺は早々にその場を引くことにする。
せっかく先輩に逢えたのに、こんな場面と少しの会話しかできなくて、これが後ろ髪が引かれるということなんだろうと国語の授業を思い出した。
放課後、部室に行く途中にある外の渡り廊下を歩いていると聞き覚えのある声が聞こえる。
声のする方は、ときょろりと顔を動かせば渡り廊下の隅にある自販機の影で、告白現場と思われる二人が見えた。
一人は知らない男子生徒。もう一人は昼休みに逢った先輩だ。
その場で立ち尽くしていると、先輩は顔色一つ変えずに何かを話している。しばらくすると男子生徒は俺とは反対方向へ歩いていった。
それを見送ったあと先輩はこっちに歩いてきて、そこでようやく俺と目が合う。
「あれ、赤葦。これから部活?」
「え、あ、はい……」
「頑張れ! 春高行けるよう応援してるから」
何事もなかったように振る舞う先輩に思わず手が伸びて先輩の足を止めてしまった。
「赤葦? どうしたの?」
「先輩は……今、告白されてたんですか?」
「そこは見て見ないふりするところだねぇ」
「……」
「どうしたの? いつもの余裕の表情がないね?」
「俺に余裕があるように見えますか?」
「だって赤葦って何か貰ったりしても余裕な顔してるじゃん」
「そんなことないですよ」
「お昼休みのマフィン貰っているときに困った顔は見れたけどさ」
バレていたか。何事もなく受け取ったつもりだったけれど、やっぱり表情に出ていたみたいだ。
「……先輩こそ告白されてるのを俺に見られても余裕なんですね」
「そんなことないですよ」
オウム返しをされて少しの間が居心地悪い。
余裕なんてない。俺はいつだって先輩の余裕を崩したくて、必死に余裕を振る舞っているだけだ。
先輩に逢いに行くのも、木兎さんをダシに使ってやっと大義名分を得られているくらいなのに。先輩と後輩という壁は一向になくならない。
あと半年もすれば先輩は卒業してしまうし、そうしたら壁はもっと高くなってしまう。
どうしたら……あ、そうか。言えばいいんだ。俺も、あの男子生徒みたいに。
「俺、先輩が好きです」
「……ん?」
「俺、先輩が異性として好きです」
「なに? どうしたの? 急に」
「今言わなくちゃならないって思ったんです。先輩のことが好きだって」
「そんな何度も言わなくていいから! ちゃんと聞こえてるから!」
さっきの男子生徒に告白されているときと全然違う態度に驚いたし、それよりも――。
「先輩のそんな余裕のなさそうな顔、初めて見た気がします」
「急に告白なんかされたらそうなるよ!」
「さっきの他の人の告白のときとは違う反応ですね」
「ええ!? 何!? からかってんの? っていうか、赤葦私のこと好きなの!?」
「そうですね、顔が好みです」
「顔っ!?」
「男子高生が異性を好きになるきっかけなんて大体そんなもんですよ」
「はあ、まあ……。男子高生に限らず女子高生も大体そんなもんだよ」
今まで見たことない動揺している先輩の顔に、加虐心ともなんとも言えないぞわりとした感情が渦巻いた。
今、俺に試合の流れが来ている。攻めるなら今だ。
「今は性格も含めて好きですし、マフィンに塩入れるのも可愛いと思いました。知れば知るほど先輩のこと好きになります」
「ちょっとちょっと! 赤葦ストップ! 急にリミットブレイクしてこないで!」
足を一歩踏み出して先輩に近付けば、わかりやすく狼狽える姿に獲物を追い詰めている気分になる。
「ちなみに」
「な、なに?」
「先輩は俺の顔、好きですか?」
「今日……、白福ちゃんが赤葦に渡したマフィン、思いっきり塩が入っているから不味いよ」
「は?」
女子高生も好きになるきっかけが顔だというなら、俺はそのスタートラインに立てているのか。
それが知りたくて聞いたのに、俺の問いに答えない先輩は脈絡もなく俺が貰ったマフィンが塩入りだと告げてきた。
「……セッターなら」
「?」
「セッターならもっと頭使って私の思惑読んでみてよ……」
結局先輩は俺の問いにも、告白の返事もしないまま踵を翻すと短いスカートをひらひらさせながら走り去っていく。
俺はパンツ見えそうだなと屈むのをどうにか堪えていたらハッとした。スポーツバッグに突っ込んだままの、白福さんから渡されたマフィンを急いで取り出して一齧り。
「っ、」
甘くない、お世辞にも美味しいとは言えない味のマフィンに、この送り主が誰か分かってしまう。
このマフィンを渡されたのが白福さん経由で良かった。本人から直接手渡されていたら顔の緩みが隠せる自信がない。
「この試合、絶対勝ちますから」
残りを一気に口に入れて一飲みする。
取り敢えず部活で白福さんにこのマフィンの送り主の答え合わせをしよう。いや、連絡先だけ聞いて本人に直接聞くのもありかもしれない。
どうやってこの試合を勝つか、俺は戦略を組み立てながら改めて部活へ向かった。
初出:2022/03/24