― 換気扇の下で逢瀬 ―

《オフィス内禁煙》

 その貼り紙に絶句した。
 手書きで神経質に書かれている文字を何度も見返す。
 こんな喫煙者に容赦ない仕打ちをするのはこの文字を書いた本人――主任なはずだ。
 ……主任が相手じゃ決定は覆りそうにない。

 貼り紙の前で実はもしかしたら暗号じゃないかと文章をもう一度見た。

「社内禁煙になっていないだけマシだと思え」

 そんななけなしの願いを砕くように主任は私に鬼の一言を言い放ちながら後ろを通り過ぎていく。
 つい先日「オフィス内が煙い」「受動喫煙が〜」とイリーナがレノを相手に騒いでいたのを思い出して、その結果がこれかと溜息が出る。
 喫煙所は総務部調査課のあるこの階にはない。
 確か一番近い喫煙所って……

「会社入口横の喫煙スペースだぞ、と」
「レノ」

 いつの間にか苦々しい顔で言いながら私の隣に立つ男を見た。
 そうだ、レノも喫煙者だ。
 1年程の差で入社した私とレノはほぼ同期と言っていいぐらい付き合いは長い。
 もちろん喫煙歴も知っている。レノに禁煙なんて無理でしょ。

「レノどうするの? 毎回わざわざそこまで行くの?」
「面倒くせっ。だからって禁煙も無理だぞ、と」

 清々しささえ感じる即答ぶりだが一言一句違わず同意だ。喫煙所に行くのも禁煙も無理な相談。

「ルードは?」
「この前から仲良くしてるネーチャンに言われて禁煙中だぞ、と」
「ルードの裏切り者……」

 3人集まれば良い案浮かぶと思ったのにさてどうしよう……。

* * *

 オフィス内が禁煙になった直後に1週間程任務に出ていたから気にも止めていなかったがこれは拷問だぞ、と。
 任務が終わってオフィスで報告書を作っているが全く進まない。イライラして煙草が吸いたくなるが喫煙所に行くのもかったるい。

「……コーヒー淹れてくる」

 そう言って別の事務処理をしていたあいつが席を立ち給湯室へ消えていった。
 ふとオフィス内を見渡し、主任もイリーナも任務で明日まで帰ってこない予定を把握する。よし、ここで吸っちまうかと胸ポケットから煙草を出したら相棒が咳払いをした。

「……」
「……」

 ルードのやつ、主任から俺の監視を言われてるな。
 相棒に聞こえるぐらいの舌打ちをして俺もコーヒーでも飲んで気を紛らわせようと給湯室に行く。
 給湯室に行くと換気扇の音と小さな明かりが点いているのが見えた。そういやあいつ給湯室に行くって言ってから戻ってきてねえな。

「なあ、俺にもコーヒー……」

 淹れてくれよ――そう言いかけて足を止めた。

「しーっ!」

 そう言って人差し指を口に当てて声を出すなと言うこいつが咥えているのは……ペン? 煙草が吸えなくてとうとう頭おかしくなったか。

「お前、何咥えてんだよ、と」
「ああこれ? 電子煙草」
「デンシタバコ?」
「そ、紙巻きより煙も出なくて匂いも少ない、換気扇の下ならバレてないよ」

 今のところ、とそう付け加えてふぅ、と息を吐き出すと確かに薄っすら紫煙ではなく蒸気のような白煙が出ている。
 匂いは紙巻きよりマシかもしれないが独特の匂いがして、これバレてんじゃねえの?
 いや、イリーナはこいつに懐いているから気付いていても何も言わねえかもしれねえし、主任はココに寄り付かないから気付く事もない。吸い終わったあとに近付かなければ気付かれる可能性はぐんと減る。
 一週間任務もなくここで過ごして考えた結果が換気扇の下かよ、と。
 こいつがココで「煙草」と名のつくものを吸っているのを見た俺は迷うことなく先程仕舞った煙草に火を点けた。俺だけ我慢しているみたいで阿呆らしい。
 換気扇の下で息を吐き出し煙が吸い込まれていくのを眺める。はー、うめー。

 暫く無言でお互いニコチンを摂取していると恨みがましいような視線を感じた。

「……それ、うまいのか?」
「全然」
「じゃあ何で吸ってんだよ、と」
「ないよりマシかな、って」

 確かに換気扇の下で吸うのはありだが俺やこいつの吸う本数を考えると速攻バレる。
 俺もコイツと同じように電子煙草と思ったが全然と言うほどに美味くないなら変える意味がない。

「ねえレノ」
「あ?」
「一口ちょうだい」
「あ?」
「レノが悪い」
「……何がだよ」
「そんなに美味しそうに吸うから」

 そう言って俺が咥えていた煙草を取ると自分の口に咥えて目一杯吸い込む。

「はぁ……美味しい……」

 心底そう思っています的なとろけた顔で吐き出す煙の行方を見る。煙草を持つ指……白くて細いな。

「ねえ」

 さっきと同じような感じで呼ばれて見ると何か企んでいる顔。

「……何企んでんだよ?」
「オフィス内で煙草吸ってたこと黙っていてあげる」
「あ?」
「だから共犯者さん。また明日、ココでね?」

 そう言って俺の口に煙草を戻すといい匂いを立ち上げているコーヒーを持って給湯室から出ていく。

 秘密の共有、その対価が煙草一口、か。あいつのよく吸っていた煙草を賄賂として買っておくか。銘柄は確か――。
 いつの間にか自分以外の煙草を買う算段をつけている自分に笑っちまう。
 たまには悪巧みに乗ってバレるんじゃないかっていうガキみたいなスリルも悪くない。

「また明日、ココでな?」

 換気扇に吸い込まれていく紫煙を見ながら口端を上げた。

初出:2020/07/19