金木犀の花嫁2



name change



「跡部様、本日はお日柄もよく・・・」
お父さんとお母さんが跡部さんの御両親に対して、私には向けたこともないような笑顔を向けて挨拶をしている。
今日の私は、学校帰りに突然まだ痛む顔の傷や体の傷にファンデーションを塗りたくられて、涙目になりながら化粧を施され、着物を着せられた。
気づけば料亭で気品高い跡部ご夫妻と懐石料理を前にしていた。

「あんたの使い道、これぐらいしかないんだから、しっかり死ぬ気で跡部様を射止めなさいよ。」
訳もわからずぼうっとしていると、お母さんが耳元でそう言った。
そんなに必死なのは、うちが1代で築かれた所謂成金の会社で、繁栄をするためには跡部さんという方のお家柄やその名声、お金がほしいといったところなのかな。

跡部さんはお忙しいらしく、後から私たちが待つお部屋に入ってきた。私と両親が立ち上がった。

「遅れて申し訳ありません。」

こんなに綺麗な人がこの世にいるのか、と思わせるような風貌、出立ち。 私は突然現れた彼に失礼だということを忘れて魅入ってしまった。

「いえいえ、お待ちしておりましたよ。名前の母ですぅ。」
「父の・・・」
ほらっとお母さんに笑顔のまま手首を抓られた。

「跡部様、名字名前でございます。本日はお忙しい中、このような席を設けて頂き有難うございます。」



その後少し家族ぐるみで話をして、両家族が退席したことにより、私たち2人だけになってしまった。


「お前は普段何をしているんだ?」

「私は、普段女子高に通っています。2年生です。」

「部活はしてないのか?」

「はい、しておりません。跡部様はなにか部活をしていらっしゃるのですか?」

「おう。幼少期からテニスが好きで、俺はもう高3だから全国大会で一旦引退したが、テニス部だった。これからも続けるつもりだ。」

「全国大会!お強いんですね。私、スポーツは運動神経が悪くて、全然詳しくないんですが、跡部様がそれだけ続けられるということは魅力のあるスポーツなのでしょうね。」


久しぶりにこんなに人と話した。初めて人の話で心から笑った。楽しいと思ってしまった。

「お前、この前の怪我治ったのか。」

突然の質問に目の前が真っ暗になった。
なぜ跡部さんがこの前の怪我ことを、と考えたところでぼやけていた記憶の中を探るとドアが開いた瞬間を鮮明に思い出せた。ドアから覗く光とともに現れたのは・・・

「この前の・・・怪我・・・。助けて下さったのは、跡部様だったのですね。」

「ああ。大丈夫だったみたいで安心した。」

「あの時の記憶がなく、本来なら先にお礼を伝えなければならないところを失礼致しました。あの時は助けて頂いて本当に有難うございました。お陰様でこの通りでございます。」

話しながら跡部さんが良い人なんだと気づき始めていた。そして、今あの時の恩人なのだと知った。
両親の邪な思惑の中に跡部さんを巻き込みたくない。もしかしたら、優しい跡部さんも私と関わることで私に冷たくあたるような人達と同じになってしまうかもしれない。跡部さんに災厄が及ぶことを避けたい。今すぐ縁を断ち切らねば。

「おい、なんであんなことに「あなたは今まで誰にも会わなかったって聞きました。それは私が気になったからでしょう?」
たぶん怪我のことが気になったのだろう。私の魅力なんてものはないし、たくさんのお嬢様の中で跡部さんが私自身に惹かれたわけではない。「たくさんお話したし、波長も合います。早くお付き合いしようって仰ってください?」
私は失礼を承知で跡部さんに近寄り、彼の陶器のような頬に手を当てた。

案の定、突然の行動に少し驚いた様子でこちらを伺っている。

「跡部さんのお顔、とっても綺麗。ねぇ、私、あなたのためなら何でもしますよ?」
顔を近づけて口付けようとすると、跡部さんは私の肩を掴んで顔を離した。

よかった。


「帰る。」

これでよかった。
私に関わると良いことなんてない。


「もう帰ってしまわれるのですか?」
跡部さんの膝を掴んで止めた。

「気安く触るな。」
私は軽蔑という顔を知っている。でも、今の跡部さんの顔はそういう表情ではなかった。
読めない複雑な表情だった。


***

遅れていった先で待っていたのは、やはりこの前助けたアイツだった。

丁寧な口調と深い礼が印象的だった。

親同士の会話を聞いていると、どうやらコイツの親は俺の家の権力が欲しいらしい。

「全国大会!お強いんですね。私、スポーツは運動神経が悪くて、全然詳しくないんですが、跡部様がそんなに続けられるということは魅力のあるスポーツなのでしょうね。」

両親に俺に取り入れと言われているだろうに、話を合わせることもなく目を輝かせて話を聞いている。
欲深い両親に似合わない純粋なヤツだ。

慈郎の話をすると、ふふっと手を口に添えて笑う。
その笑顔は見たこともないほど美しかった。

俺たちは時間も忘れて話し続けた。
純粋に反応し、俺に対しても媚を売ることなく本心を話す。女と話していて久しぶりに楽しいと思えた。

そこでふと、気になったことを尋ねた。
「お前、この前の怪我は治ったのか。」

そうすると、名前は急に青ざめた。
慌てふためき礼を言うと、その後の態度は今までのアイツとは全く違うものになった。

これがコイツの本当の姿なのだろうか。
やっぱりコイツもあの欲深い両親と同じ・・・。


頬に手を当てられ、顔を寄せられた。
瞳の奥は揺れ、隠しているもののアイツの顔にはまだこの前の傷が生々しく残っていた。
本当はどっちなんだ。会っても分からないじゃないかと母さんに言ってやりたい。

いや、そもそも俺様がコイツに会うと言ったのはコイツの怪我の状態とその理由を知りたかったからだ。
特別扱いなんかしていないのにコイツは勘違いしてやがる。

「帰る」
それでもなお引き止めようとするアイツに嫌気がさした。
「気安く触るな。」
結局お前も俺に群がる女どもと一緒なのか、何故か残念に思った。

***

料亭の廊下に出て歩くと電話がかかってきた。
「ああ、俺だ。父さん、名字名前は俺の女に相応しくはない。」
それだけ言い、電話を切った。

丁寧な所作、純粋な笑顔、顔を近づけた時に仄かに香った金木犀の匂い――
それらさえも、アイツの嘘だというのだろうか。気になって仕方がない。

「ねぇ、私、あなたのためなら何でもしますよ?」あの目は本気だった。アイツの言葉に嘘偽りが本当にないとしたら・・・


つづく

20151203


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