正しさなんてひとつも見つけられないのに

タイトルはAnnie様よりお借りしました

 どうやら、酔った勢いで一夜の過ちを犯したらしい。
 自分が何も身につけていないこと、隣に誰かが寝ていること。それで察した。
 痛む頭を支えながら、体を起こす。
 体のあちこちにひりつくような刺激があったから、もしかするとキスマークをつけられたのかもしれない。最悪、と呟いてベッドから降りると、衣擦れの音で隣の男が目を覚ましたようだ。
「……あー。おねーさん起きた?」
 幼なげな顔立ち、紫がかった灰色の瞳。よく鍛えられた体つき。そして、半身を覆う刺青。堅気の男じゃないということはわかる。
「……どちら様でしたっけ」
「うわ、薄情ー。オレ昨日自己紹介したじゃん。灰谷竜胆、ってさ」
 名前を聞いてもやっぱりピンとこない。昨日の記憶で思い出せるのは、慣れない仕事でヘマをしたこと。それを忘れるために六本木のクラブに行ったこと。
 あとは、やたらめったらお酒を飲まされ、ベロベロに酔っ払って……そして気がついたらこのザマだ。まだ痛む頭は、飲みすぎたことを如実に知らせてくれる。ヤケ酒なんてするもんじゃないな、ほんと。
「ねー、聞いてんの?」
「……なにが? なんか言った?」
「もっかいシよ」
 甘えたような目つきで、シャワーへ向かおうとする私に縋る男。
「あのさ、私今日も仕事あるから。今……もう7時? じゃあもう行かないと。他当たって」
「いーじゃん」
「いいわけないでしょ。人の都合考えなさいよ」
 無理矢理振り払うと、それ以上彼は追ってこなかった。シャワーを浴びて残った化粧を落とし、服を着る。
 フロントに電話をかけ、一人先に帰る算段をつけた。
「じゃ、ホテル代は置いてくから」
「いらね」
「なんでよ」
「オレだってそれくらい出せるし」
 それより、と彼は続ける。
「アンタが帰んならオレも出よっかな」
「……なに、ついてこないでよ」
「ついてかねーよ。オレもこのあと用事あっからさ」
 ならいいけど、と思いながら精算を済ませる。外に出ると、朝日が眩しくて目にしみた。

 慌ただしく時は過ぎ、夕方。珍しく定時で帰れたから、デパ地下でも寄ってちょっぴり贅沢でもしようかな。
 ……なんてウキウキしていたら、それをぶち壊す存在がいた。
 竜胆と名乗っていた男が、私の職場前にいる。
「なにしにきたの」
 とできるだけ冷たい声で伝えると、そんなもん意に介さないと言わんばかりの笑顔が返ってきた。なんなんだこいつ。
「アンタに会いたくなってさ」
「私は会いたくなかったけど?」
 ピシャリと跳ね除けると、竜胆はやや拗ねたような顔を作る。が、すぐに距離を詰めて、耳元でこう囁いた。
「昨日はオレが欲しいって散々言ってたクセに?」
 顔がかあっと熱くなる。言い返そうとすると、彼はさらに畳み掛けてきた。
「それよりさ、お願いがあんの」
「なに?」
「土日泊めてくんね?」
「それ私が受け入れる必要ないよね」
 一旦距離を取ると、竜胆はニヤリと笑う。嫌な予感しかしない。
「でもオレさぁ、アンタん家の住所知ってるよ」
「なん……あっ!」
なんでと言いかけて、一つの可能性に行き当たる。さてはこいつ、昨日私の免許証を見たな。
「ま、イヤだって言っても押しかけるけどさ」
 詰んだ。こんな奴に住所バレするなんて。
 呆然とする私をよそに、彼は私の手首をぐいっと引き寄せた。
「てことで、家。案内して」
「は!? 今まだ金曜……」
「誤差だろ誤差」
 有無を言わさず手を引かれ、私はよろめきながら歩く。
 文句をぶつけてみるものの、彼は私の抗議など全無視だ。
 てか案内しろって言ったわりにガンガン先進むじゃん……いやツッコむべきところはそこじゃない!
 ああだめだ、完全にペースを握られている。
 私の平穏な生活は、たった一夜の過ちから、あっけなく終わりを告げようとしていた。

 さて、竜胆に手を引かれて自宅のアパートまで帰ってきた。私が鍵を開けるや否や、彼は私より先に部屋へ上がり込んでいった。
 この男はつつましさとかそういうものを知らないのだろうか。少なくとも初めて上がった家で、家主のベッドに寝っ転がれるその図太さ。怒り通り越して笑うしかない。
「ベッド貸すから、寝たら帰ってよ」
「なんでだよ。土日泊めてって言ったじゃん」
「誰もいいよなんて言ってないからね。それに、私だって土日に予定あるんだから」
「予定ぃ? アンタ休みの日大抵家から出ねえのに?」
 言葉に詰まった。なんで知ってるの。もしかして酔っぱらったときに喋ってた?
 ……いや、今はそんなことどうでもいい。明日はお見合いに行かなきゃいけないんだ。バレる前にどうにか追い出さないと。
 売れ残りってことをコンプレックスに思ってるのがばれたら、竜胆は間違いなくからかってくるに違いない。
「なに。言えねェよーな予定なワケ?」
「そういう、わけでは……っ!?」
 慌てて言い訳を探そうとしたら、勢い良く腕を引かれてベッドに引きずり込まれた。
 抵抗も虚しく、竜胆が覆いかぶさってくる。もう少しで唇同士が触れ合いそうな距離で、彼は不機嫌を隠すことなく囁く。
「オレに隠し事とかナシだからな」
「ちょ……っ、ま」
 私は反射的に目を閉じた。が、何も起こらない。
 不審に思って目を開けると、竜胆はベッドから離れて、机の引き出しを漁っていた。慌てて体を起こす。
「何してんの勝手に見ないでよ!!」
「しょーがねェじゃん、おねーさんが教えてくんねーんだもん」
 よりによって彼が見ていたのは、私のところに送られてきた釣書。
「てか何? 明日の予定ってお見合い的な? ウケるわー」
 彼は釣書をまじまじと見ながら軽い口調で言い放つ。
 ずき、と心が痛んだ。そりゃそうだろう。
 むこうは恐らく私より若い。女なんて選び放題で、売れ残りの気持ちなんてきっとこれっぽっちもわかりゃしない男だ。
 私がギャアギャア喚いたって、さらなる嘲笑が返ってくるだけだろう。惨めさをごまかすようにうつむき、必要最低限の音量で答えた。
「君にはわかんないだろうね」
「んだよ急に」
「29の行き遅れは、もうなりふり構ってらんないんだから」
 ペラッと薄っぺらい音がして、釣書が机の上に雑に放り出されたようだ。竜胆が一歩、私に近づいてくる気配があった。
「……ふーん。だから好きでもねェヤツのとこ行くわけ?」
 わざと神経を逆撫でするような、低くてトゲのある煽り。普段の私なら、きっとムキになって言い返していただろう。でも、今はただただ疲弊していて、言い返す気力もなかった。
「……そういうことに、なるかな」
 深くため息をつきながら答える。抵抗するのも面倒になって投げやりな態度を見せると、ふいに部屋の空気が冷えたような気がした。何も声が聞こえない。不審に思って顔を上げると、竜胆は苛立ちを隠そうともしない目で私を睨んでいる。
 なに、その顔は。私が面白くない反応しか返さないから、機嫌悪くなった?
 何か言おうとすると、彼は吐き捨てるように、
「あっそ。じゃー好きにしろよ」
 それだけ言って、私の横を通り過ぎる。向かった先は、玄関だった。
「え、か、帰るの?」
 私の言葉を無視して、竜胆は靴をつっかける。そしてわざとらしく、ドアを乱暴に開けて出ていった。勢い良く閉まった後、わざとらしく大きな足跡が響き、そして遠ざかっていく。
 残されたのは、私一人。さっきまでの騒がしさが噓のようだ。はっと我に返って、慌てて鍵をかける。
 竜胆がいなくなったんだから、明日のお見合いも問題なく行ける。これでよかったんだ。
 胸の奥に残る違和感を無視して、私はそう自分に言い聞かせた。

 お見合い当日。よそ行きのワンピースに身を包んだ私は、穏やかそうな笑顔を浮かべた男性と、向かい合って座っている。
「ナマエさんは、お休みの日に何をして過ごされるんですか?」
「えと、私は……読書、とかを少し」
 集中しなきゃいけないのに、目の前の相手に真剣でいなければならないのに。
 どうしても私の頭から、竜胆が出て行ってくれない。
 ホテルのラウンジで、お互いに黙ってしまう。何も話が続かない。
 気まずさを埋めるために、あいまいな笑いを浮かべるしかできなかった。

「今日はありがとうございました」
「あ、はい。こちらこそありがとうございました」
 ラウンジからエントランスに移り、お互いに頭を下げて別れる。この後食事でも、なんて言葉が出てくるわけなかったし、私も言う気になれなかった。
 当然だろう。終始上の空だった女を、引き留めようとする男なんていない。
 売れ残りは売れ残りらしく、一人で帰るのがお似合いだな、と強がるように呟いて、私は駅までの道を歩き出した。
 かつん、かつん、と慣れないヒールがアスファルトに跳ね返る。歩き慣れてない私が出す音は、子供が鳴らすカスタネットのようで、余計に自分の不格好さを際立たせている気がした。
 二日前に一晩過ごしただけの男に、どこまでもペースを乱されて。きっぱり突き放すことも、受け入れることもできなくて。そのせいで、私も彼も傷つけて。
 いい歳して、本当にバカで惨めだ。
 日が暮れるにつれて、吹いてくる風も少しずつ冷えてくる。風を避けるように俯きながら歩いていたその時だった。
「よー、おねーさん。今ひとり?」
 聞きなれた声が耳に入り、思わず顔を上げた。竜胆がいる。電柱に背中を預けて、腕を組んでこちらを見ていた。
「なんでここに」
「釣書にメモ挟まってたじゃん。見合い会場の場所書いたヤツ」
 ……そうだった。場所間違えないようにメモってた。それも覚えてるとか抜かりなさすぎる。
「てかアンタ、今ひとりってことはうまくいかなかった的な?」
「だったら何? わざわざ笑いに来た? 暇だね〜竜胆くん」
 いいこはもう寝ないとダメなんだよ〜、と茶化すように言い放つ。
 すると彼はカッチーン、とつぶやいたのち、素早く距離を詰めてきた。子供扱いされるのがよっぽど癪だったんだろう。
「泣いてるヤツを笑うほど落ちぶれてねーよ」
「なっ、泣いてなんか」
「噓つけ、化粧崩れてんぞ」
 慌てて顔を触ると、竜胆はそこでくしゃっと笑う。そこで騙されたと気づいた。
「やっぱアンタ、泣きそーな顔より驚いてる顔の方がいーじゃん」
「バカにしないでよ!」
「してねぇよ」
 その言葉と共に手首を掴まれて、私は固まった。
「驚いてる顔も、怒ってる顔もカワイイし」
「……っ!?」
「多分さ、笑ってるともっとカワイイんだろ?」
「からかわないで……」
「マジだから」
 消え入りそうな声で反論しても、竜胆の声に打ち消される。
「こんな行き遅れにマジになってどうすんのよ……」
「行き遅れだろーが何だろーが、オレはナマエじゃなきゃヤダ」
 紫がかった灰色の瞳が、私を射抜く。心臓が大きく跳ねる。
 私は――
   竜胆を受け入れる
   竜胆を突き放す


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