テセウスにて発見されグラン達に保護された少女は、グランサイファーの一室に備え付けられているベッドに横たえられた瞬間に意識が落ちてしまった。
気を失うように眠った少女は瞼すら自力で開けられぬほどに身体機能が低下していた。
強い光の中で分からなかったが、彼女の容姿は見たこともない不思議なものだった。
メリッサベルよりも長いであろう髪は光の角度で薄緑にも金にも、銀にも見える玉虫のような色。
カリオストロ曰く彼女の吐息には濃密な魔力が含まれているそうで、それを髪が片っ端から溜め込んでいるためにそんな色になっているらしい。
呼吸するだけで魔力を生みだす身体。そんな彼女を野に放てばどうなるのか、それはカシオペイヤの切望が何よりの答えだった。
任務の報告を終えてユーステスがグランサイファーに戻ったのはテセウスから少女を保護してから一週間経った頃だ。
どうしてもあの少女が頭の片隅に引っかかって仕方がなかった。カシオペイヤの瞳は、ユーステスに向けられていた。
彼女を害さない――――そう信じてやまなかったあの瞳を、どうしても忘れられずにいたのだ。
彼女の部屋の前まで来ると丁度入れ替わりになったのかグランとビィ、ルリアの三人が彼女の部屋から出てきたところだった。
「あっユーステスさん!おかえりなさい!」
「……ただいま。……容態はどうだ」
「残念ながら、だよ。…結構色んな人たちがお見舞いに来てくれてる」
この騎空団に属する者達は、心根が優しい者達が多い。皆この善性の塊のような少年少女に惹かれて集った者達ばかりだ。
痩せ細って目を醒まさない少女を、例え得体が知れなくとも心配しているのだろう。
「目を醒ましたら直ぐに食えるように林檎を置いてきたんだぜ!」と笑うビィにルリアは笑った。
扉のノブに手をかけてなるべく静かに扉を開く。
「――――――――、」
眠っている少女がいると思っていた。
ユーステスの目に飛び込んできたのは、白いベッドから身を起こして光差す窓の外へ顔を向けている少女の姿だった。
扉が開く僅かな音に反応して、ゆっくりとした動作で少女がこちらを振り向く。
閉じられていた瞳は少し眩しそうに細められつつも、その真珠色がユーステスを捉えた。ぞくりとするほど無垢で美しいまなざしだった。
「目を醒まして良かったです〜!」
この上なく嬉しそうに笑って己の手を握っているルリアを、彼女はきょとんと見ていた。
そしてきょろきょろと忙しなく部屋を見回して、もう一度ルリアやグラン、ビィ、ユーステスを見た。
「僕はグラン、君を見つけてここに連れて来たんだ。よろしくね」
「…………」
「私はルリアっていいます!」
「オイラはビィ!んでこっちの仏頂面の兄ちゃんは、ユーステスってんだ!」
「おい……」
勝手に名を教えたビィにじとりと視線を遣った後、もう一度少女をよく観察した。
彼女はやはりきょとんとしている。名乗った順に彼らを目で追いながらも、何も言わない。
「貴方のお名前が知りたいです!教えてくれますか?」
「………………」
「……なーんも言わねえな〜…」
ビィがやや引き攣ったような声を上げている。彼女はまだ心を許していないのか。
…いや、とユーステスは一つの考えに行きつく。
「…言葉を発した事がない、という可能性がある」
「えっ!?声を出したことがない、ってことですか!?」
「保護した当初は目すら自力で開けられなかった。…赤子同然と称されていたが、それがもし本当にそうだとしたらあり得る話だ」
そして、カシオペイヤの言う事を辿れば、恐らく。
「……アンドロメダ」
「…!」
「それがお前の名前だろう」
その名に、彼女が初めて反応を示した。
ぴくりと動いて、ユーステスを見た。真珠色の瞳が見開かれて、それがじわりと滲んだと思ったら。
「ぅ、ぅあ、ああ、…あああ――――――――……!」
「きゃ、あ、な、泣き出しちゃいましたぁ…!」
「えっど、どうしようビィ」
「オイラに聞くなよぉ!」
溢れだすような泣き声が彼女の産声のようだと。ふと思えた。
ああでも、何と無垢に泣く少女なのだろう。涙を指先で拭ってやっても、涙は暫く止まってはくれなかった。
母を求める子のような泣き声だったからか。きっとその母を彼女から奪ってしまったのがユーステスだったからか。
贖罪のつもりなのだろうか。彼女を放っておけないと思ってしまったのは。
彼女の泣き声に見知った顔の面々がすっ飛んできた頃には漸く彼女が泣き止んでいた。
何子供を泣かせているんだ、と非難の目が飛んでくる事は承知の覚悟だったが、しかしユーステスに向けられたのは好奇一色のものであった。
ずっとベッドで眠りこけていた少女が、なんせあのユーステスにずっとくっついて離れないからだろう。
「これが本当の子連れ狼ってやつか?」
「…………おい、よじ登るな。耳を…おい…」
少女――アンドロメダはどうやらユーステスのふわふわの耳がお気に召したらしい。
成程見どころがあると呟いた、同じくユーステスの耳ユーザーであるグランに鋭い視線が飛んだ。
オイゲンが「アポロも小せえ頃はこうだったのかねえ」と父親の顔をして微笑ましい表情で光景を眺めている。
「気に入られちまったなあ」
「初めて視界に入れたのが貴方だったからじゃないかしら?」
「そんな雛と親鳥のようなものだろうか…」
ラカム、ロゼッタ、カタリナの好き勝手過ぎる物言いにユーステスは溜息を吐きたくなった。
すっかりアンドロメダを受け入れたグランサイファーの面々がまず取り組んだのは教育と食育だった。
赤子同然と称したロゼッタの推測は完璧に正しく、彼女はこの世界の事を何も知らなかったのだ。
そしてビィが良かれと思ってお見舞いに持って行った林檎をそもそも嚥下できないと知ったグランサイファーが誇る調理場メインメンバーであるローアインやバウタオーダが腕を振るった。
「こうやって食べるんですよ〜お口を開けてください!」
ビィの持って行った林檎はゼリーにしてもらって、それをルリアがアンドロメダに食べさせる。
ルリアが口を開ければ、アンドロメダもそれをまねるように口を開けた。
その口の中にローアイン特製林檎ゼリーを入れれば彼女は初めての感触に驚いたように身体を跳ねさせ、次の瞬間美しい色の瞳を輝かせた。
「……、…!」
「おいしい、それはね、おいしいっていうんですよ!」
美味しい。声を出す事はやはりなかったが、彼女が初めて見せた蕩けるような表情が、眩しい程にそれを伝えてくる。
まだまだたくさんありますよ、とルリアが言えば、また嬉しそうな顔をした。
喜んで、まるで姉のように振舞うルリアにカタリナとグランの頬も緩んだ。固形物や液体を嚥下出来るようになるまで暫くはゼリーやとろみのあるものが彼女の食事になるだろう。
食事が終われば勉強の時間だ。
基本は手の空いている者達が自主的に行ってくれている。主なメンバーはアルタイルやクラリス、時折カリオストロが混ざる。
そこに任務が無ければヴェインとランスロット、エルモート、時折パーシヴァルがヴェイン達に引っ張られてくる。
文字の練習や言葉の練習、本を読む事を彼らは勧めた。
ずらりと並ぶ文字に時折彼女は目を瞬かせつつも、真剣に勉学に取り組み知識はスポンジのように吸収されていく。
「よろしい。では、この赤い実の名前を書いてみましょうか。……ええ、綴りも問題ありませんね」
「一回で覚えてすごいじゃんアンディ〜!えら〜い!!」
「ふ・つ・う・は一回で覚えるもんなんだよ………」
何より、正解する事でもらえる褒め言葉がアンドロメダの頬を緩ませた。
掛けられる言葉の意味を理解できなければきょとんとするが、それも一度教えれば完璧に彼女は覚える事が出来た。
クラリスがつけた愛称である『アンディ』も最初は理解できないようだったが、やがてそれが自分の事だと分かると呼ばれた時手を上げて返事を示すようになった。
このように、与えられたものや教えられたものに対しては極めて優秀だったアンドロメダだが、唯一どうも進展がない分野があった。
「では発音してみましょう。『リンゴ』」
「……ぃ、ぅ、お」
「舌をもっと動かして、口を大袈裟なくらい開けて発音するのです。『リンゴ』」
「ぃ、ぅ、ぉ…」
「どうも発生や発音の分野は身体が追い付かねえのか…」
声が極めて小さく、か細く、そして呂律も回っていない。
濁音は特に苦手なのか過度に力んでしまっている。時折喉が痛むのかけほけほと咳込んでしまう。
液体は誤嚥する危険性がある為、ゼリーで喉を潤して発音の練習を再開する。
「でもせめて、名前くらいは言えるようになれたらね」
「う!」
「そっか、アンディもそう思うよね!」
「う」
クラリスの呼びかけに頷くアンドロメダに、クラリスは頭を撫でてやる。
幼い妹が出来たような感覚なのだろう、皆の表情も柔らかいものだった。
勉強が終わればアルタイルたちが出ていく代わりにルリアたちが部屋に遊びに来た。
ベッドから出られないアンドロメダの為に歌を歌ったり一緒に昼寝をしたりと気ままに過ごしている。
遊びに来るのはルリア、イオ、サラなどが主で勉強に続いてクラリスも残ってアンドロメダの遊び相手となった。
サラは外見的に歳が近く、アンドロメダの方がやや下に見える。その為かサラはアンドロメダを妹のように大切にした。サラの傍で常にサラを守っているグラフォスを見て怯えなかったのも嬉しかったのだろう。
「アンディも早くベッドから出られたらいいのにね〜」
「そうですね…ずっとベッドの上にいるのも、逆に疲れてしまいそうですし…」
ふとしたクラリスの呟きにルリアが同意する。
それを聞いたアンドロメダは少し考えた後、「ん!」と両手をクラリスに突き出した。
「え、え?何?」
「もしかして、ベッドから降りたいんじゃない?」
「大丈夫なの、かな…?怒られたりしないかな?」
「ウチが支えるし!大丈夫でしょ」
クラリスが快活に笑って、突き出された手を取った。
ゆっくりとベッドから降りる為に布団から足を出す。ひどくほっそりとした白い足は華奢なサラの足よりもずっと細く頼りない。
不安になったのかサラも後ろからアンドロメダを支えた。
「大丈夫だよ、ゆっくり…ゆっくり足をつけて…」
→