白が一面を、広場を、人間達を呑み込んでいって数秒後。
ファランクスを張ったというのに全身に凄まじい痺れが残る中、グラン達はやっと光の晴れた世界を見渡せた。

グラン達以外が皆地に伏している。
これだけの人数を一瞬で下した威力。だが驚く事に、『誰も死んでいない』。
恐らくは全体を麻痺させる魔法を銃を媒介して使用したのか。誰も抵抗できずに起き上がるどころか、指一本動かせず、呼吸する胸の動き、瞬きする目の筋肉すら痺れ果ててしまっている。
殺してはいない、だが放置すれば間違いなく全滅してしまうだろう。

「―――必要最低限の犠牲でいい。今ここにいる奴ら誰一人として俺は手に掛けねえ」
「リュ、ド、ミ、…」
「リューダチカ…!!」

突如割り込んだ声にリュドミールがほんの少しだけ表情を硬くした。
視線を遣れば、息を切らしたソフィヤが胸を押さえて、様々な感情を必死に堪えているような表情をしたままリュドミールを見ていた。
ばあさん、と吐息のような声で呟く。そして困ったような顔で笑った。
初めてグラン達と出会った時と同じ、穏やかで慈しむような優しい顔だ。その手に剣と銃を持ち、たった今数百の兵士を一瞬で沈めた人間とは思えないほど。
今の表情、戦っている時の表情、一瞬で戦力を消し飛ばす一撃を放った時の表情。極端なほど切り替わるそれに、まったくリュドミールという男の真意が見えない。
だが、ソフィヤはそれでも彼を信じると言った。

「リューダチカ、あんたは被害者なんだろう!?子供達を、あの子達を皆殺しだなんてあんたに出来るはずがない!」
「おいおいばあさん、反乱分子だと思われたくなけりゃ俺の肩を持つ発言はよした方がいい」
「構うもんかい!嵌められたんだろう!?子供達を心から愛してたあんたが、そんな惨い真似できっこないよ!頼むからもうこんな事はやめとくれ、もうこれ以上傷ついていくあんたを私は見ていられないよ…!」

勝気だった彼女が泣き崩れる。
リュドミールはその様子を、一瞬微かに何かを堪えるような顔をして見ていた。
そして。

「こんなこと、あの子達は望んじゃいないよ…!あの子達だってあんたに解放されて欲しいはずだ、あんたにあらぬ罪を被って欲しいはずが、」
「悪ぃな、ばあさん」

笑った。困ったように、けれど先程とは違う、明確な決別の意志を含んで。
悪戯がばれてしまった子供のような笑顔。

「俺が殺した」
「…………、ぁ、あ、」
「サーシャも、ボーレニカも、ドローニャもみんな、確かに俺がこの手で殺した。皆殺しにした。確かにアイツらはこんなこと望んじゃいねえだろうさ、だが死ぬ事だって望んでいなかった。そんなアイツらを俺は一人残らずこの手で殺した。死に際の顔だって鮮明に覚えてる」

その声が、ぞっとするほど冷たい。
震える息を介して、心臓まで届きそうなほどに凍てついた声音だった。

「だが俺は総てを切り棄ててでも完遂しければならない。何が立ちはだかろうと、例えこの国の奴らが、この国が、空が、神が阻もうと――――俺は成し遂げる。必ず。必ずだ」
「リュドミールさん、あなたは、……」
「―――――――邪魔をするなら、それが神でも撃ち墜とす」

ふざけているわけでも脅しで言っているわけでもない。何処までも彼は本気で言っている。
この世界総てを敵に回してでもこのクーデターを完遂するとはっきり明言した。
歴戦の騎士であるアルベールや、アビリティで敵に恐怖を与えるパーシヴァルまでも『それ』に呑まれた。最早殺気に近い気迫、脅迫めいた信念だ。
凄まじい執念がこの男を突き動かしている。
赤い目に灯るのは憎悪と殺意だ。グラン達には向けられていないそれは、遠くにあるものを睨みつけるような姿だった。

「……………裏切っちまって悪ぃな、ばあさん」
「リューダチカ…どうして、どうして…………」
「……あの時あんたのボルシトゥもっと食っときゃ良かったって思うぜ。…………恨んでくれよ」
「ッあの子達は、たとえあんたに殺されたって!あんたのその姿を望んじゃいなかったはずだよ…!!『優しいお兄ちゃん』だって自慢されて、あんなに嬉しそうにして、そんなあんたは偽物だったってのかい!?」
「偽物だったと思うならそう思えばいい。……俺はもうこんな国に嫌気が差しちまったのさ。……国王と宰相、何が何でも俺はそいつらをブッ殺さなきゃ気が済まねえ」
「確かに…っこの国は、あんたに対して何度も何度も許されない仕打ちをしたよ!それでもあんたは尽くしてくれた!こんな国を、誰もあんたに感謝しない国をたった一人で救った!……復讐なんて、らしくないよ…!」
「復讐……ああ…復讐、な。確かにそうだ」

諦めたように笑う。その笑みを見てソフィヤは更に涙を流した。

(あんたは、そんなふうに笑う子じゃなかった…何があんたをそうさせちまったんだい…)

「……あいつらは復讐を望んじゃいないだろうさ。……そうだ。これはあんたに望まれたわけでも、あいつらに望まれたわけでもない。俺にだけ望まれた、俺の為の復讐だ。望んでいない復讐を叱ってくれる奴らは、もう死んだ」
「そうですとも。貴方がその手で殺したのです」

響き渡る女の声。リュドミールがすぐさまその声の方角へ顔を向けた。
途端にその顔が憤怒と憎悪に染まる。
やっと痺れが少しマシになったグラン達もその声の方向へ顔を向ければ、王城のバルコニーに女性が佇んでいた。
妖艶な笑みを浮かべ、煽情的な衣装で豊満な肢体を包んだその女はリュドミールを真っ直ぐにねめつけている。

「……随分その厚化粧に時間をかけてやがったな、宰相閣下。相変わらずかくれんぼがお上手なこって」
「王とわたくしを始末しようと潜入したというのに残念なことです。リュドミール、美しき獣。その武器を収め、頭を垂れる機会を与えましょう」
「服従の次は隷属かい?てめえの倒錯趣味に付き合うつもりはねえ。今すぐこの場で俺に殺されるかとっとと失せな」
「冷たいものですね……あの日、捨て犬のようだった汚らしい貴方を保護し、暖かな食事とベッドを与えたのはこのわたくしだというのに」
『ぬけぬけと…!この母の庇護から無理矢理この子を引き剥がしヒトの檻に閉じ込めた事を保護と著すとは!』
「小蠅が抜かすな、煩わしい。元より彼は人の子。元の巣へ戻す事の何が間違っているというのです」
『元の巣へ、だと?それがあの仕打ちだと?笑わせるな』
「レト。構うな」

リュドミールの静かな制止にレトが押し黙る。
やがて一瞬の静寂の後、居心地の悪そうな顔でリュドミールは煙草に火をつけた。

「……長居しすぎたな、ったく…目的も果たした、レト、戻るぞ」
『…相分かった』
「みすみす逃がすとお思いですか。追いなさい!」

彼女の一声で無数の覆面の兵士達が一斉に王城から飛び出す。
一糸乱れぬ揃った動きに気味の悪さを感じながら、漸く身体が動くようになったグラン達も立ち上がった。
リュドミールに最早戦闘の意思はないようで、あの剣も銃も全てどこかへと消えてしまっている。マントを翻し彼が走り出した。

「クソッ、待て…!ツェアライセン!!」
「そうはいかないな」
「!?」

ローエングリンに炎を纏わせリュドミールに斬りかかったパーシヴァルにとってあまりに耳馴染みのある声がした途端、ギィン!と鋭い音を立ててローエングリンが止められた。
禍々しい真紅の刃と身の丈程の刀身、手練れの剣士と云えど持ち歩く事すら難しい傑物を、小枝のように振り回す男をパーシヴァルは一人しか知らない。
そしてその男がこの場に現れる事など、ある一人を除いて誰もが予想していなかった。
黒い鎧。漆黒と真紅の刀身。パーシヴァルの剣を難なく受け止められるほどの剛腕。
リュドミールも意外だったのか、後ろを振り向いて目を剥いていた。

「随分長話だったな、待ちくたびれたので迎えに来てしまった」
「貴様ッジークフリート!何故ここに、何故あの男と共にいる!?」
「何故と云われてもな」
「ジークフリートさん…!?」
「すまんなグラン、ルリア。今のお前達に手を貸す事は出来ん」

敵意はない。少なくとも、『敵ではない』――――そう言いたいのだろう。
ジークフリートはパーシヴァルの攻撃を受け止めた以外に、グラン達に向けて剣を動かす意思がなさそうに見えた。
だがローエングリンを弾いた瞬間に大剣を振り抜き、覆面の兵士達を次々と薙ぎ倒していく。
グラン達に敵対する事は無いが、パビヂチーリに対してはリュドミールと同じく敵対の意思を示した。
彼個人の意思だろう。グラン達のリュドミールへの懐疑心が突如揺らいだ。
『あの』ジークフリートが、自ら手を貸しているのだから。

「…やはり虫がいましたか。竜殺しジークフリート、リュドミールに手を貸す事の意味、聡い貴方であればよくわかる筈です。フェードラッヘがどうなってもよろしいと?」
「陛下は快く送り出してくださった。貴殿がフェードラッヘと戦争をするというのなら喜んで迎え撃たせて頂こう。それに、ウェールズの氷皇も事実上の容認の意を出したのでな」
「兄上が!?」
「…フェードラッヘにウェールズ、大国が次々と…」
「こいつはきな臭くなってきやがったな…」

ジークフリートから次々と述べられる衝撃の事実にカリオストロまでも顔を顰めた。
宰相は目を細め、煩わし気に吐き捨てた。

「成程。リュドミールの行方が掴めぬと思えば、貴方やフェードラッヘ、果てはウェールズまで関与していたのですね。だが…まだ鼠はいるでしょう?」
「何の事だろうな」

惚けたようなジークフリートの態度にも顔色一つ変えず、艶然と宰相は笑んだ。
その瞳に殺意の光が過ぎった事を見逃さない。

「その鼠を捕らえなさい」
「、ジークフリートさん…!」
「グラン、ルリア。お前達も直ぐにこの場を離れろ。事情はまた何れ話す」
「……逃げるなよ」
「疑り深いな、お前は。…グラン達を頼んだぞ、ユーステス」
「言われずとも」

粗方兵士を片付け、ジークフリートはグラン達の脇をすり抜けていく。
その拍子に一瞬、グランの耳に囁くように、ジークフリートは呟いた。

「グラン。ルリアやサラ、一応カリオストロの周囲に気をつけろ」
「、え?」

振り返る頃にはジークフリートの姿は遥か遠くだ。
覆面の兵士たちの波に身体が揺れ、流されそうになるルリアとビィ、サラを支えながら一度その場を離脱する。
その背中を、特にルリアを冴え冴えとした目で宰相は睨みつけていた。