『――――それは、随分と色んな事があったのね。旅行だっていうのに、やっぱり兄さんはお人好しが過ぎるわ』
「もう十分に理解しましたから、それ以上は薬にはなりませんよ」
『薬が効かないんだから毒にするしかないじゃない』

通話先の妹の声に、責める色は見当たらない。
何週間ぶりかの彼女の声は随分と懐かしく思えてしまう。いつも片時も離れず一緒にいたせいだろうか。
そう考えれば、随分と彼女を縛り付けてしまっていたのだと自覚する。

『……ガラルは楽しい?』
「?ええ、何だかんだで楽しいですよ。デンジさんやオーバさんにはとてもいい刺激になりそうな場所です」
『好い人はできた?』
「その話題に入るには些か期間が足りませんね。残念ながら相変わらずですよ』
『もう、兄さん本当に…』
「私は、皆が思う程愉快な男ではありません。心底つまらぬ朴念仁です。貴方が幸せであればそれでよいのですよ」

本当に。本気で、そう思っている。
自らに時間を割くのがもったいない。こんなつまらぬ男などに捧げる心がもったいない。
だから自分は、一人で良いのだ。ただ他者を導くために、ほんの少しだけ背中を押すだけの、節介焼きとして。

『……兄さん、私だって、私だってね、』
「はい」
『世界でたった一人の家族の兄さんに、世界で一番幸せになって欲しいのよ』




翌日、ユウリ達とエンジンシティの歯車リフトの前で待ち合わせをして落ち合った。
やはりユウリ達は有名なのかすれ違う人々が「お、チャンピオンだ」「ホップ選手とマリィ選手もいるぞ」と言っていたのでもう既にかなり帰りたい。
しかし彼女がマサキを視認した瞬間「マサキさ〜〜ん!!!!」と大層な大声と手を振る動作で一斉にこちらに民衆の視線が向いた。
凄く胃が痛い。

「おはようございますユウリさん、ホップさん。…と、そちらの方が件のご友人の?」
「ウン、あたしマリィ。キャンプに慣れてる人って聞いてたから、楽しみにしてた」
「では何とかご期待に沿えるよう頑張りましょう。私はマサキ、よろしくお願いしますね。マリィさん」
「……さん付け、何か慣れん…」
「敬語もだな」
「う、うーん…こればかりは癖でして」

マリィ、といった少女は確かにとても可愛らしい子だった。
髪をツインテールに束ね、左側の生え際に剃り込みの入った中々にパンチの利いた髪型をしているが、ピンクのワンピースが可愛らしさを損なわせていない。パンクな印象だが少女らしさもある。
確かに、ユウリの言っていた『かわいい子』だ。ファンもさぞ多かろう。そして兄が心配する訳だ。
自分が、この子達を守らないと…不安だ……と、真咲の中で何かの決意が固まった瞬間だった。

「今日はキャンプ用具を揃えましょう。準備は万全であればあるほどよろしい。行きましょうか」
「「「おー!」」」

遠足の気分になりそうだ。大人のお前がしっかりするんだぞ、と言わんばかりの影の中のゲンガーの『かげうち』が足に直撃してちょっとキレそうになった。
我慢である。



エンジンシティはワイルドエリアに直接つながっているだけあってキャンプ用品は豊富にそろっていた。
ある程度買い揃えた後は試しに比較的難易度の低いうららか草原でテントを張り、カレーを皆で作ってみるなどした。

「どの木の実がいいかな!?」
「どんな味にしたいかに寄りますね。中辛にしたいのでしたら…そうですね、辛い寄りであればマトマとモモン、甘い寄りであればマゴとクラボなどですかね。食材は何にします?」
「とくせんリンゴ!」
「あらびきヴルスト!」
「しっぽのくんせい!」
「統一なさい!」

全くまとまりのない意見により、公正に厳正なるじゃんけんで決めていただいた。
じゃんけんを提示するまで「よし!ポケモンバトルだ!」となっていたので軌道修正に慌てた。
恐ろしきポケモントレーナー。戦闘種族である。
結果、マリィの希望のしっぽのくんせいに決まった。そうと決まればカレー作り開始である。

「ではそのマトマを刻みましょう。辛いですからね、辛いものは刻んで入れた方が大味になりにくいです。手袋をつけて」
「む…こう?」
「はい、それで大丈夫ですよ。ホップさん、火はもう少し強めでも問題ないです。では木の実を入れてしまいましょう。ここからは時間との勝負ですよ」

四人分のカレーは相応の量があり、掻き混ぜるのはかなり力がいる。
なのでマリィとユウリが二人がかりで掻き混ぜ、ホップは一生懸命団扇を仰いで火を絶やさないようにした。

「ええ、ええ。それくらいの早さで飛び散らない程度にさっと掻き混ぜましょう。ぐつぐつ煮込めたら完成です、その前に食器の準備ですよ」
「やる事が、多い…」
「料理とはそういうものです」
「美味しくできるかな」
「マリィさん達が一生懸命作ったのですから、美味しいはずですよ。皆で作り皆で食べるものは格別なものです」

にこ、と微笑むと、マリィはほんの少し頬を赤くしてうん、と頷いた。
幼い頃の妹との生活を思い出した。あの子も、鍋を一生懸命掻き混ぜて、褒めると嬉しそうに笑っていた。


カレーが出来上がり、皿に盛り付ける。
マリィが常に連れているモルペコにスプーンを近づけた。モルペコがカレーに被り付くのを固唾を飲んで見守っているのが面白い。

「ど、どうモルペコ。美味しい?」
《ン!ウラッ!!》
「満足いただけたようですね。私達も食べましょう」
「うん!」

カレーは中辛程の辛さだったが、香ばしいしっぽがいいアクセントになっていて噛めば噛むほど木の実のうまみがでてくる大変美味しいものになった。
ホップは男の子だからかよく食べた。マリィとユウリも負けず劣らずおかわりを要求した。
若いってすごいなあ、と真咲は自分の食事量と許容量に年齢をしみじみと感じる。三十越えると流石に胃が悲鳴を上げるのが早い。
大皿に盛りはしたが、もしかしたら残してしまうかもしれないと思った矢先、真咲のモンスターボールの一つが勝手に弾けた。

《がう》
「えっ!?何?マサキさんのポケモン?」
「おやアブソル。珍しい。カレーを片付けてくれるんですか?」
《がう、ぅう》

いいから早よ寄越せ、と言いたげなのでカレーの皿を置くと、アブソルはぺろりと平らげた。
アブソルはガラルにはいないポケモンだ。見た事のないポケモンに、ユウリ達は釘付けになる。

「アブソルって言うんですか!?タイプは!?」
「悪タイプですよ、主な生息地はホウエンですが少なからず他の地方にもいます。とても頭のいい子なんですよ」
「かっこいい!触ってみてもいいのか?」
「うーん、どうでしょう…この子は気難しいので何とも…」

アブソルは顔を上げ、ホップ達をじっと見つめる。
人間嫌いの彼は、子供達を見てどう判断するだろう。理由なしに傷つける子ではないから、その点においては心配はないのだが。
嫌なのならばそれでいい、モンスターボールをボールラックから出した時だった。

《がう》
「!……マサキさん、これは…」
「……ええ。『触ってもいい』という事ですね」

アブソルが頭を下げて身体を伏せた。あのアブソルが、マサキ以外に触れる事を許すとは。
彼らの何かが、この子の琴線に触れたのだろうか。
いや、だが。それ以上に、この子が自分以外の人間に触れる事を許したことが何よりも喜ばしかった。きっと彼は人間を許す事はないだろうけれど、少しずつ人間に歩み寄り始めている。
ホップ達に嬉しそうに毛並みを触られても、仕方がないな、と言いたげな顔をしているだけで嫌がるそぶりを見せていない。

「…アブソル、」
《がぅう》
「良かったですね」

アブソルを撫でると、掌に顔をすりつけた。「凄く懐いてるんだな!」と言われたが、それ以上に嬉しかった。
ああ、良かった。彼は立ち直りつつあるのだ。
この喜びはきっと己にしかわからないのだろうが、アブソルは感じ取ってくれたのか。
がう、と一鳴きした。ボールに戻るその直前まで、優しい眼をしていた。



後片付けを終えて沸かしたコーヒー(ユウリ達はモモンジュース)を飲んでいると、自然と話はポケモンや家族の話になる。
ユウリやホップの家はごく普通のもので、ホップはまだ自分が幼かったころに兄のダンデがチャンピオンになったという。
それもすごい話だが、マリィの兄はスパイクタウンという町のジムリーダーをしていたというのだからまたすごい。現在はマリィがジムを引き継いだのだそうだ。つまり彼女は今スパイクジムのジムリーダーという事になる。
呪いか何かか。

「マサキさんはシンオウに住んでるんですよね?どんなところなんですか?」
「基本的にかなり寒いですよ。私の住んでいるソノオはまだ温暖です。ソノオは山の麓にある花の有名な小さな町で…冬以外の季節は色とりどりの花が咲きます。まあ冬の時期がかなり長いので、年の半分ほどしか見られませんが…」
「どんなポケモンがいるんだ?」
「氷・水タイプが比較的多い印象ですね。ガラルにいる子ですとユキカブリやニューラ、トリトドンやタマンタが。ソノオには近くに発電所がありましたから電気タイプも沢山いましたよ」
「ジムは?リーグはどんな感じ?」
「ジムは…数はガラルと変わりませんが、挑むジムの順番に決まりはありません。まあ必然的に最もリーグの近くにあるジムが最後に振り分けられがちですがね。リーグは各ジムリーダーとのトーナメントではなく、「四天王」と呼ばれる四人の精鋭が挑戦者への関門として立ちはだかり、それを乗り越えて初めてチャンピオンに挑めます」
「へえ、随分形式が違うんだな。ガラルみたいに公開はされるのか?」
「公開はされますが、ガラル程熱狂的かと言われれば…全国一人一人が注目しているかと言われれば難しいですね。こちらのようにエンターテインメント性を重視するのではなく、あくまで挑戦者と迎え撃つ者、といった感じですので。厳粛な雰囲気ですよ」
「マサキさんはジムチャレンジせんかったん?」
「私はしていませんでしたよ。ずっとソノオに引き籠っていて…仕事ばかりしていました。ジムリーダーの顔や名前すら知らなかったので」
「ガラルだと信じられない話なんだぞ」
「シンオウでも信じられないって言われました。私が特別世間知らずで引き籠りだっただけなのですよ」
「聞けば聞く程不思議な人やね」

ガラルの人から見れば真咲のような生活は信じられないらしい。
ジムリーダーやバトルから断たれた生活。仙人でもしていたのかと言われた時は思わず笑ってしまった。

「じゃあ、マサキさんはどうしてガラルに来たんですか?バトルにあんまり縁がなかったっていうなら、ガラルはやっぱり大変なんじゃ…」
「ガラルには旅行に来ているのです。他の地方には仕事で何度か行きましたが、ガラルにだけは一度も来た事がありませんでした。色々と仕事やゴタゴタが片付いたので、たまには私的な旅行にでも行こうかと思い立ちまして。…何となく、一度も言った事のない何も知らない土地に行ってみたくなったんですよ」
「なら旅だな!冒険の旅だ!」
「旅、ですか…そうですね、この歳で旅というのも無理がありますが」
「旅に出るのに、早い遅いとかないですよ!旅に出る理由なんて人それぞれですし」
「ふふ、先達に言われると心強いですね」

旅に出る理由なんて人それぞれ。真咲は自分自身どうしてシンオウを離れたいと思ったのかははっきりとはわからない。
ただ飛び出したくなった。全く知らない世界で、真っ新な自分になりたかったのかもしれない。

「ねえマサキさん、やっぱり私マサキさんとバトルしたいなあ」
「何です突然」
「マサキさん、きっとすごく強い。あのアブソルを見てわかりました。長い間一緒にいてずっと支え合って生きて来たんだって。私はたくさんのトレーナーとバトルをして、ポケモンとトレーナーの関係性を見てきましたけど、マサキさんはそのどの人とも違う感じがしました。私はそれが何なのかを知りたい」

彼女の目は痛い程に真っ直ぐで呑まれそうだった。
本当に、ポケモンが好きなのだ。彼女は、だからこそ数多のトレーナーとポケモンの関係を知り、吸収して、糧にしたいのだ。
真咲のポケモンと真咲の関係は、きっと世界の誰にも真似は出来ない。
時に傷つけあう事もあり、身体も張った。その時の傷は未だ真咲の全身に色濃く残っている。
己を、人間を憎む彼らと向き合い、彼らをこれほどまでに痛めつけた人間を憎みそうになる事もあった。決して穏やかで生易しい道ではなかった。だからこそ真咲は俗世からその身を絶った。
決してユウリに、彼らにそのような生き方はして欲しくはない。だからこそ。

「……わかりました。その申し込み、受けましょう」
「!!」
「ですが、私にも準備が必要です。生半可な気持ちで貴方と戦いたくはない」
「ならジムチャレンジしたらどうだ?ユウリとの戦いまで準備ができるし、ガラルのトレーナーの事も勉強になるぞ!」
「そこでその流れになります?いやっ流石にそこまでは」
「折角来た事ない場所へ旅に来たんだからした事のないことにチャレンジするのも大事なんだぞ!ジム巡りと同時にガラル全国観光も出来るぞ!」
「いやほら…ここのジムチャレンジって推薦状なるものがいるそうですし…」
「それやったらユウリが推薦状を出せばよか」
「マリィ…天才だね……」
「何なんですか………この流れは………」

強いポケモンと権力を持った子供達の連携にゾッとした。
トントン拍子で話が進んでしまい、何故か真咲はガラルジムチャレンジなるものに出る事になったのだった。