12.もしも60%の優しさなら



「及川君。私に何か御用ですか?」


席替えでいんちょーちゃんの隣の席になってから数日が経ったある日、俺は自分のイスに座って彼女の机に項垂れていた。
本から目を離すことなく問いかけてきたいんちょーちゃんの声は相変わらず落ち着いていて。けれども話しは聞いてくれる姿勢だと感じた。


「いんちょーちゃん、」

「はい」

「俺は、落ち込んでいます」

「…そうですか」

「何故だと思いますか」


ペラリ。本が1ページ捲られた音がする。
額が机にくっついた状態から少し顔を横に向けていんちょーちゃんが視界に映るようにするが、彼女の視線は相変わらず本に向けられたままだ。


「…また岩君に怒られたんですか?」

「ブッブー。違いまーす」

「では、花君にからかわれましたか」

「それもハズレー」


ペラリ。また1ページ捲れた音がした。
本を読んでるけど、こうして応答してくれるからいんちょーちゃんが俺の方に神経を向けてくれているのが分かる。
いんちょーちゃんは読書が好きだから本を読む時間を大事にしてるけど、知り会ってから彼女が読書中に話しかけても咎められたことは今のところない。

表紙を覗きこんだら至ってシンプルな真っ白なものに、明朝体の書体で【我がバレーボール人生】とタイトルが書かれていた。
誰かのバレー人生が書かれた本だろうか。でも表紙を見る限り字がたくさん書かれてそうで読みたいとは思えない。


「及川君、」


パタンと本が閉じられた。いんちょーちゃんはついに読書を止めて俺に目を向けてくれた。


「話しを聞きましょう」

「あのね!!」


待ってました!とばかりに俺は身を起していんちょーちゃんに話すことにした。
俺の変わりっぷりにギョッとされたけど、いんちょーちゃんは至って冷静に「どうぞ」と勧めてくれる。

俺にとって志歩ちゃんはかなり貴重な存在。女の子で俺に恋愛感情やファンみたいなタイプじゃない珍しい子。
だからこそ、こうして愚痴とか相談とか出来る数少ない友達でもある。


「昨日、彼女に振られたんです」

「…そうですか。残念ですね」

「淡々だね!」

「及川君の恋愛事情に全く関与してないので、他にどう反応しろと」

「いや、うん、まあ、そうなんだけど…」


こうもあっさり返されると話す側としてはこれ以上話せない雰囲気になってしまう。
でも、いんちょーちゃんはそこで話を終わらせたいワケじゃないみたいで、「それで?」と続きを促してきた。


「えーと、」

「及川君は、付き合っていた人に振られてショックなんですよね?」

「何て言うか…何がいけなかったのかなぁって」


告白してきたのは彼女から。一年の頃から俺のことが好きだったみたいで、俺がフリーのところを狙って告白してきたんだ。
見た目は可愛いし、バレーボールしてる事も応援してくれてたから付き合ってみても良いかなと思って付き合ったんだけど…。


「月曜日しかオフじゃないから、ほとんど部活三昧になるでしょ?だからデートとかそういう、彼女と過ごす時間は多くないワケ」

「はい」

「告白された時は、それでも良いって言ってくれたから付き合ったんだけど、別れる時に言われたのは真逆のことでさ」

「…つまり、バレーにばかり時間を割いて自分には構ってくれないから別れる、と」

「そうそう。最初と言ってる事が違うじゃんーって」


俺も俺なりに部活が終わった後とか、休みの日は彼女に連絡入れるようにしてたけど、それだけじゃダメだった。
今まで付き合ってきた子は最終的に「部活と私、どっちが大切なの?」ってなる。
寂しい思いをさせるのは承知の上だし、それを分かっていて告白してくれたんじゃなかったのか。
結局最後に言われる言葉はみんな同じだから、俺は長いこと同じ相手と付き合えた試しがない。


「いんちょーちゃんだったらさ、俺みたいな彼氏とはどう付き合う?」

「そうですね…」


視線を斜め上に向けて考えるいんちょーちゃん、ホント様になる。見た目が知的だから尚更かも。


「私の場合は、及川君と同じようにバレーをやっていたし、バレーが好きです。そういう共通点があるから、及川君がバレーに集中したいという気持ちはよく分かります」

「うんうん」

「そういう点では、彼女達のようにバレーと自分を天秤にかける様なことはならない…とは思います」


唐突な俺の恋愛相談を真面目に聞いて受け答えしてくれるいんちょーちゃんに心の中で感動した。
岩ちゃんやマッキーに言ったところで痛いツッコミが来るのは分かり切ってるし。だからこそ、こうして話を聞いてくれる存在は俺にとって本当に貴重だ。
俺の女の子からの人気っぷりをしている人は「自慢かよ!」って言う人ばかりだから、いんちょーちゃんのこの対応には涙が出そうになる。


「ただ、」

「?」

「及川君、女の子には基本的に優しいですよね」


……言われると思った。
モテる事が当たり前になってる日常の中で、男として女の子にモテるのが嫌と言う人はいないはず。
俺もその一人だ。たくさんの子に黄色い声を上げられ、プレゼント貰ったり告白されることは決して嫌じゃない。だからこそ、笑顔で対応できる。


「それがダメだったのかな」

「少なくとも、彼女からしたら自分の彼氏が他の女の子にチヤホヤされてるところを見てイイ気分になる人は少ないかと」

「むぅ…」

「他人に優しくできるのは決してダメなことじゃありません。寧ろ、人として素敵な事だと思います」

「…!」

「でも、だからこそ、配分を間違えてはいけないのでしょうね」

「…配分?」

「例えば、及川君が持ってる優しさが100%だとしたら、60%は彼女のために、残りは他の人のために」


そうやって彼女とそうじゃない人とで与える優しさを調節した方が、彼女からしても「ああ、私は彼にとって特別なんだ」って安心できると思います。

いつの間にか俺を見ていたいんちょーちゃんは柔らかに微笑し、ぽんぽんと俺の頭を撫でる。
子供扱いされてるのか、慰めてくれてるのか。こういうことされると、俺よりいんちょーちゃんが大人な感じがして少し悔しい。
ああ…だからマッキーが「先生と生徒」とか「主人とペット」とか言ってたのか。ちょっと例えに差がありすぎじゃない!?


「俺の頭撫でるの、いんちょーちゃんくらいだよ」

「嫌でしたか?」

「……」

「……」

「…もうちょっと」

「?」

「もうちょっとだけ、そうしてて」


言った後ですごく恥ずかしくなった。だってここ教室だし、他にもたくさん人いるのに。俺は彼女の優しさが、くすぐったくも嬉しかった。


『及川君が持ってる優しさが100%だとしたら、60%は彼女のために、残りは他の人のために』


ねえ、いんちょーちゃん。君が今俺に与えてくれている優しさは、いったい何%なの…?
もし今の優しさが、さっき言ってた60%なら、俺は君にとって少なからず他の人よりは特別な存在って事だよね…?


「…っ」

「及川君、大丈夫ですか?耳が赤くなってますが…」

「な、なってないよ!」

「ですが、逆上せたみたいに分かりやすいですよ」


いんちょーちゃんにきっと他意はない。でも、彼女の指先が俺の髪から覗く耳をチョイと触れた瞬間、自分の考えがいかに恥ずかしいものか自覚してしまった。
本人に知られたら俺は余計に穴に入りたくなるだろう。それくらい恋愛脳になっていた事に気付くのが遅かった。
慌てて両耳を手で隠してみるけど、いんちょーちゃんの手が触れていたから、片方に彼女の手を巻き込んで耳に押さえつけるようになってしまう。
この行動に少なからず驚いたのか、彼女の指がピクリと震えた。


「…照れてるんですか?」

「直球すぎでしょ!」

「いつも飄々としてるのに…珍しいですね」

「いんちょーちゃん、こういう時はそっとしておくもんだよ!?」

「ふふ…ごめんなさい」


また、いんちょーちゃんの方が大人な対応だ。
同い年なはずなのに、いんちょーちゃんの落ち着きが何だか悔しい。いんちょーちゃんも慌てたりしたらいいのに。


「いんちょーちゃん、」

「隠すのは終わりですか?」

「それはいいの!それより、」


まだ顔の熱はあまり冷めてないけど、やられっぱなしはやっぱり嫌だ。
この及川さんが女の子に押されたままなんてプライドが許さない。

俺は密かに浮かんだイタズラ心に内心ニヤリと笑い、隙だらけのいんちょーちゃんとの距離をぐっと縮めた。
少しでも動けば鼻先が触れ合いそうなギリギリの距離。さすがのいんちょーちゃんもこれには驚いたのか目を丸くした。


「ちょ、及川く…」

「あんまり余裕ぶってると、噛みついちゃうよ?」


一瞬息を呑んだ彼女はきゅっと口を紡ぐ。どこか緊張した雰囲気は俺の予想通りであれば、あまり異性とこういった距離感の経験がないんだと思う。
だけど少し気に入らないのは、それでも彼女の顔色が変わる事が無いから。
もしかして実は男慣れしてるとか?そんな考えが脳裏を過った瞬間、彼女はニコリと微笑んだ。


「本当に噛みつけるんですか?」

「えっ」

「やれるものならどうぞ」


その笑みは何度も見たことがある彼女が意地悪な考えを持った時に浮かべるもの。
ああ、彼女は俺が思ってる以上に何枚も上手なのかもしれない。