13.これはこれでアリだ
「いんちょーに避けられてる?」
「うん。そんな気がする」
昨日、いんちょーちゃんに恋愛話をした時、いんちょーちゃんの余裕のあり様が悔しくてちょっと距離を詰めてから何だか避けられてる気がする。
そう思って、丁度廊下で会った同じバレー部のまっつんに相談したら、まっつんは暫しの間の後「いんちょーって誰?」と聞いてきた。
「え。そこから?」
「いや、だって俺、たぶんその人と話したことない」
「あー、そっかー。まっつん図書室行かないもんね」
俺は大まかに彼女の事を説明した後、今回の悩みを話した。まっつんは黙って聞いた後一度頷き告げた。
「それはお前が悪いだろ」
「…やっぱり?」
「普通、好きでもない奴にいきなり近づかれたら引くだろ」
【引く】その言葉は俺の心にショックを与えるには鋭すぎる言葉だった。
「どうしよう…。このまま距離とられたら、もう俺…匿ってもらえない!」
「気にする所はそこなのか」
「いや、それだけじゃないけど!いんちょーちゃんてさ、俺の中では珍しいタイプの子なんだよ。自分をアピールしてくるワケでも、好意を寄せてくるワケでもなくてさ」
「…ほう」
「何て言うか、ほんと普通の友達なんだ。一緒にいて気が楽なんだよね。優しく包み込んでくれる雰囲気があってさ」
「…つまりお前のオカンか」
「いや違うから」
隣の席だから必然と近い距離になる。朝、挨拶したら返してくれたけどそれ以上の事はなくて。
彼女は相変わらず読書に没頭していて、でも、いつもはすんなり声をかけられるんだけど今日は彼女が纏う雰囲気が違ったんだ。拒絶されてる、そんな気がした。
「やっぱり避けられてるのかな…」
「謝るなら早い内に済ませとくべきだと思うよ。時間が経てば経つほど言い難くなるしな」
「…だよね」
授業の合間の休み時間が終わるチャイムが鳴った。俺はまっつんにお礼を言って教室に戻り、視界に映る自分の席の隣に目を向けた。
いんちょーちゃんは頬杖をついて窓の外を眺めていた。こっちを向いてないから戻りやすいけど……って、何で俺まで距離置いてる感じになってるんだ。
でもいんちょーちゃんの事が気になって、いつもみたいに戻れない自分が居る。おそるおそるとイスを引いて座ってみる。
いんちょーちゃんは先生が来るまで変わらず窓の外を眺めていた。
「…で、あるからして」
歴史の先生が教科書を読みながらポイントとなるべき個所を黒板に書いていく。
チラリと左隣を盗み見ると、いんちょーちゃんは顔を両手で覆う様にして机に両肘を着いて項垂れていた。こんないんちょーちゃん初めて見た。
具合が悪いんだろうか。先生は黒板と向き合っていてコチラを気にする様子もない。
「…いんちょーちゃん」
こっそり声をかけて見るが、彼女は同じ状態のまま無反応。
「いんちょーちゃん」
少しだけ声量を上げて呼んでみた。すると、のっそりとだが彼女は漸く伏せていた顔を上げた。
「…及川君?」
「大丈夫?さっきから俯いてるけど、具合悪いの?」
「いえ…そういうワケじゃ…」
歯切れの悪い言い方に自然と眉根に皺が寄る。ぱっと見、顔色が悪いわけでもない。
彼女らしくない。本当にどうしたんだろうか。続きを話してくれるのか気になり首を傾げて待つと、彼女は深く深く息を吐いた。
「すみません……気にしないでください」
「いや、そんな状態で言われても気になるから」
「本当に大丈夫です。具合悪いとか、そういうのじゃないので」
ありがとうございます。そう言って穏やかに微笑んだ彼女を見てしまえばそれ以上言えるワケもなく。
府に落ちないけど、それ以上のことを聞いてほしくなさそうだったから俺は「わかった。」と頷いて口を閉ざすしかなかった。
「では、これより美術の授業を始めます」
社会の次の授業は美術だった。
というよりは選択だったんだけど、美術を受ける人があまりにも少ないから何人かの生徒は第一希望のを止めて美術を選択することになったんだ。
その一人が俺で、あとはいんちょーちゃんと岩ちゃんもいる。けど、いんちょーちゃんはやっぱり元気がなく、やや俯き気味だ。
「今日の課題は似顔絵です。近くの席の人と二人一組になってお互いの似顔絵を描き合ってください」
定番の第一回目は似顔絵になった。ちょうど俺の傍には岩ちゃんもいんちょーちゃんも居る。
けど岩ちゃんは直に席を立ち、他の男友達のグループへと入って行った。まあ、俺と岩ちゃんがお互いに向き合って似顔絵描いたらエライ事になりそうだもんね。
さて、いんちょーちゃんが気がかりだけど大丈夫かな…。改めて彼女を見やると、テーブルに額を付けて撃沈していた。
「ちょ、いんちょーちゃん大丈夫!?本当に具合悪くないの!?」
「…及川君、私の事は気にしないでください」
「いや、だからそんな状態で言われても無理だから。本当にどうしたのさ。今日のいんちょーちゃんいつもと違い過ぎだよ」
彼女が纏う空気は朝とほとんど変わってない感じがする。ただ、拒絶はされてないのかも?と思った。
何故なら、彼女は俺と話をしたくないとか、そういう風には感じないから。もしかしたら別の理由があるんじゃないんだろうか。
いんちょーちゃんと同じ目線になるべく俺もテーブルに体を近づけて両腕を枕の代わりにしてアゴを乗せた。
暫くじーっとしていると、とうとう彼女は深い溜息をつきながら顔を上げた。
「…私、美術、苦手なんです」
「…えっ?」
美術が…苦手。確かにそう聞こえた。
「え、じゃあ、朝から元気なかったのって…今日、美術があるから?」
「……はい」
「俺を避けてるんじゃなくて、美術が苦手だから口数少なかったの?」
「…何故及川君を避ける必要が?」
心底不思議そうに言われれば、今まで気にしていた俺も何だか肩の力が抜けて自然と笑ってしまった。
「は、はは…っ。なーんだ。いんちょーちゃん美術苦手だっただけかー」
「だけ、じゃないです。本当にダメなんです、こればっかりは」
「全然そうは見えないけど」
「…私の画力を見たらそう言えなくなりますよ」
どこか遠くを見やるいんちょーちゃんは、ほぼ諦めた顔をしていた。
こんなにも無力さに絶望するいんちょーちゃんはレアだ。たぶん、この先も美術がある時しか見られないだろう。
今まで知らなかった彼女の新しい一面に俺は自然と嬉しくなった。
「じゃあさ、俺とペア組もうよ、いんちょーちゃん!」
「嫌ですよ」
「何で!?」
「さっきの話聞いてなかったんですか?私は、美術が苦手で、画力が壊滅的なんです」
「俺も上手くないから大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんですか。少なくとも私より酷い人なんているワケ…」
「じゃあ俺が先に書くから、いんちょーちゃんはじっとしててねー」
「え!?ちょ、ちょっと待って下さい及川君っ。私は一緒にやるなんて言ってな…」
「あ、ポーズは考えてあるんだ!いんちょーちゃん【考えてる人】のポーズして!俺それ描きたい!」
グイグイと流れを引き寄せれば、いんちょーちゃんは二度目の溜息をつき「分かりましたよ…」と半ば諦めた様子で俺の希望したポーズをとってくれた。
うんうん。やっぱり知的ないんちょーちゃんはそのポーズ様になるね。
三分やったら交代することを予め決め、俺は時間内に鉛筆を走らせた。…うーん、バレーと違ってなかなか難しい。いんちょーちゃんの知的さが上手く出せない。
「いんちょーちゃんは俺にどんなポーズしてほしいとかある?」
「え。……そうですね」
「何でも良いよ。なんだったら…脱ごうか?」
「ああ、確かに服の皺とか描くよりは楽そうですね」
「(え、マジで脱ぐ展開!?)」
「…いや、でも、体のラインとかバランスの繊細さが余計に問われる可能性が……服を着たままならまだ隠せるのでは…」
「(あ。そういう基準なのね)」
悩んでる間のいんちょーちゃんの表情は、あの飛雄を彷彿とさせた。眉間に皺が寄ってて、いつもより目が細められて難しい顔をしてる。
さすがは姉弟。普段似てないのに、こういうふとした瞬間似た表情するんだね。…なんか複雑。
「…では、そのままでお願いします」
結局ただ座ってるポーズになった。いんちょーちゃんは普段決してしない常に眉間に皺を寄せた状態で鉛筆を走らせている。
本当に美術が苦手なんだね…。苦笑せずにはいられない。
三分たったら交代というのを何度か繰り返し、そろそろ授業終了にさしかかった頃、とりあえず現段階の完成状態を見せ合うこととなった。
「いんちょーちゃん…」
「分かっています」
「じゃあ、言う通りにできるよね?」
ペアを組んだ者同士がお互いのを見せ合う。
今まさにお互いのスケッチブックを交換しようと、いんちょーちゃんのそれを受取ろうとするが……いんちょーちゃんの手はそれを放そうとはしない。
「いんちょーちゃん!その手を放してってば!」
「わ、分かっています。分かってはいるんですけど…っ」
「どれだけ壊滅的でも笑わないから!だからこっちに渡して!」
「笑うつもりなんですか!?…絶対に嫌です。死守します…!」
「笑わないって言ってるよね!?てか、そんな細い腕のどこにこんな力隠し持ってたの!?全然…っ、取れないんだけどぉ…!!」
「取らせて…たまる、もんですか…!」
このいんちょーちゃんとの引っ張り合いが暫く続いてる間、他の生徒は面白そうに俺達のやりとりを見ていて賑やかになっていた。
だけどこのままじゃ、いつまで経ってもいんちょーちゃんの絵が見れない!
そう思った時、ふといんちょーちゃんの背後に誰かが立った。
「!! こ、これは…!!」
「!? い、岩君…!?」
「ああっ、岩ちゃんだけズルイ!俺も見た…」
「お前っ、これ…!」
岩ちゃんはカッと目を見開き、いんちょーちゃんを器用にイスの上でクルリと向きを変えて向き合ってからその両肩をガッと掴んだ。
「すげー親近感を感じた」
「えっ?」
「…お前にだけ見せてやる。ついて来い」
岩ちゃんはいんちょーちゃんを連れて廊下へ連れだした。
だが幸いにも、いんちょーちゃんは取り合っていたスケッチブックが俺の手元にあることを忘れているらしい。
好奇心を抑えきれず、俺はコソッといんちょーちゃんが書いてくれたであろう自分の似顔絵を見た。
「………えっと…」
なんだろう。この絵柄、というか描き方というか…俺、どこかで見たことある気がする。
笑よりもその偶然見覚えのある絵柄が気になって至って冷静に思い出そうとしていると、岩ちゃんといんちょーちゃんが戻ってきた。
「ああ!!」
そして即気づくいんちょーちゃん流石だね。俺がスケッチブックを見ている事に気づき、目を丸くしてこっちを見てるかと思えば、その顔色はどんどん赤く染まっていく。
「み、見てはいけません…!」
慌てて走ってきた彼女はガバッと俺の手からスケッチブックを取り返し、足速に距離を取っては俺をジトリと見やった。
「み、見ましたか?」
「うん。バッチリ」
キュピンっとウィンクもセットで送れば、もう彼女は分かりやすいくらいにうろたえた。
恥ずかしそうに、絶望も一緒に添えて。けれども、その一面も普段の彼女からは見ることのできない本当に貴重な表情だった。
だからなのか。いんちょーちゃんのその頬を染めて羞恥に耐えてる表情が、仕草が、とても可愛いと思ったのは。
「…いんちょーちゃん、」
俺はビクつく彼女の正面に立つとスッと両手を広げた。
「ハグしていいですか」
「……っ!!」
その後おとずれたのは、恥ずかしさのあまり俺の胸に飛び込んでくる志歩ちゃん―――ではなく。
「及川君のボケェ…!!」
羞恥と涙目に染まったいんちょーちゃんの照れ隠しとなった、スケッチブックを使用した強烈なぶっ叩きだった。
因みに、岩ちゃんが親近感を感じたのは自分達の画力がほぼ同じで、そっくりな絵柄をしていたかららしい。
これを機に、いんちょーちゃんは美術の時間は絶対岩ちゃんの傍に座るようになりました。