19.ヒーローは遅れて登場する
熱気が溜まる体育館に高い笛の音が高らかに響いた。
「よーし、一旦休憩だ」
「「はい!!」」
いつも通りの放課後。今日も今日とてバレー漬け。コートの外に出ればきれいに畳まれたタオルと、それぞれの名前が書かれたスクイズが置かれている。
夏がじわじわと近づいてきている今日、志歩ちゃんの男子バレー部体験入部が終わる日。そして、正式にマネージャーになる日でもある。
「皆さん、まだ6月とは言えこの熱気です。水分補給はしっかり摂ってくださいね」
「「はーい」」
「影山先輩!いつもありがとうございます!」
「先輩の入れてくれたドリンク、マジ最高っす!!」
テキパキと仕事をこなし、回りにしっかり気を配れる彼女は今や後輩達から慕われまくっている。
この一週間で彼女の部活用のノートはぎっちり文字で埋まっていた。一人一人の部員の事や、クセ、行動パターンなど、気づいた事はメモされている。
日常生活の事までは書いてないよ。行動パターンとかクセはバレーをしている時のものだね。まあ、生活に反映してる人も中にはいるけど。
「矢巾君、顔が赤いです。もう少し冷やしましょう」
「は、はい!!ありがとうございます!!」
「渡君、休憩中なんですからもう少しリラックスしてください」
「あ、はい!リラックスします!!」
矢巾クンは志歩ちゃんが体験で入部した初日からうっとりした目で見つめてたから、今も声かけられただけでデレデレになってる。
渡クンは真面目な性格もあり、まだこの場の雰囲気に慣れてないのか緊張気味だ。志歩ちゃんはそれを解そうとしてるみたいだけど、ちょっと逆効果かも。
ほら、志歩ちゃんって、どっちかと言うときれい系の女の子だし、見た目真面目ないんちょーちゃんだからね。でも―――。
「まだ汗が拭えてませんね。タオル貸して下さい」
「あ…」
ふわり。彼女が穏やかに微笑めば緊張しい渡クンも肩の力が抜けてほわっとした顔になる。
つか、さり気なく志歩ちゃんに拭いてもらうとかオイシイとこ取りだね君!
「一年坊主その場所代われ…ッ!!」
「俺たちだって拭いてもらいたい…ッ!!」
「渡羨ましい…ッ!!」
そしてそんな彼を嫉妬の眼差しで見やる先輩達と矢巾クン…。あそこまで隠さないとか最早清々しいよね。
「志歩ちゃーん。ちょっと後輩ちゃん達に甘すぎじゃない?」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。少なくとも汗拭くくらい誰だって出来るじゃん」
丁度通りかかった志歩ちゃんを、スポドリを飲みながら呼びとめれば不思議そうに首を傾げられた。
まあ、志歩ちゃんには飛雄っていう世話のかかる弟がいるし?面倒見が良いのは分かるけど、最初からあんまり甘やかしすぎるのは彼等にとっても良くは…。
「でも、とお……及川君、」
志歩ちゃんは一度咳払いしてからコートの方を見やった。
「矢巾君も、渡君も、さっきより伸び伸びとプレーしてますよ」
促されるまま振り返れば、あの二人は確かにさっきより良い動きをするようになっていた。
甘やかす中にも意味がある。志歩ちゃんの甘さは彼等の緊張を少し解し、自分らしいプレーを出来るよう導いた。
流石だとは思う。けどごめん。それより一つ気になった事があるんだけど。
「今、徹君って言おうとした?言おうとした?」
「い、言ってません」
「えー。呼んでくれていいのにー。ね、徹君ってあの時みたいに呼んでよ志歩ちゃん」
「…呼びません…っ」
志歩ちゃんは恥ずかしそうに少し頬を染めて早足で俺の前から立ち去った。
実はあの放課後デートの後、志歩ちゃんてば羽目を外し過ぎたって恥ずかしがってたんだよね。
余程あそこのケーキが美味しかったらしく、普段食べない量を食べて、嬉しくなって解放的になっちゃって、俺しか見てなかったのに後悔してるんだってさ。
だから俺があの日の話題出すと”ああ”して照れちゃうんだよね。ああいう表情見ると可愛いなぁって思うのに、普段はきっちりしてるから、みんな想像出来ないだろうね。
「勿体ない勿体ない…」
「なに一人でブツブツ言ってんだ及川」
「フフン。岩ちゃんは一生知らなくていいコトだよ!」
「はあ?」
怪訝そうにする岩ちゃんは知らない志歩ちゃんの情報を俺だけが知ってるという優越感。
俺があまり知らない一年の頃の志歩ちゃんを知ってる岩ちゃんには絶対教えてあげないよ。
***
「はぁ…。午前練習だけだって言うのに、まさかお使いを頼まれるとは…」
日曜日の午後。午前練習を終えて帰宅したらお母ちゃんにお使いを頼まれた。今日の夕食に必要な食材だ。
まあ、まだ時間はたっぷりあるんだし、のんびり行こう。ゆったり歩調で住宅街の道のりを歩いていたら、離れたところから賑やかな声が聞こえてきた。
「…何だろう」
そういえば、志歩ちゃんがこの前言ってたバレーの試合って今日だったな。
後で聞いた話では、その会場がこの近くの学校の体育館を借りて行われることになってたはず。連絡が来てないし、人数は足りちゃってるのか。残念。
「でも見に行くのはアリだよね」
足は自然と賑やかな声が聞こえてくる会場へ向かう。足取り軽く到着した小学校の門を潜り、早速体育館を覗いた。
ふむふむ。赤、黄色、青、緑の4つのグループに分かれてるんだね。お、ホワイトボードに勝利数を書く欄がある。
この4つのグループでそれぞれのチームと試合して、一番勝利数の多かったチームが優勝ってところかな。
ルールを把握した所で、コートの中央でレシーブの練習をしてる志歩ちゃんを見つけた。そしてその相手となってるのは、言わずもがな飛雄だ。
「姉さん、久し振りの試合だから鈍ってるんじゃないか?」
「大丈夫。飛ちゃんに内緒で練習してたから」
「内緒にする必要ないだろ。誘ってくれれば良かったのに」
「飛ちゃんは部活でそれどころじゃなかったでしょ」
和やかな姉弟の会話。たったそれだけの事なのに、目の前で続くそれは俺に鈍い衝撃を与えた。
だってそこに居るのは俺が知ってる志歩ちゃんじゃない。敬語を使ってないし、学校に居る時よりずっと伸び伸びしてる自然体だ。
家族である飛雄の前なんだから何も気を張る必要もない。それでも、俺が知ってる志歩ちゃんは、やっぱりそこには居なくて、それが何だか嫌だった。
「あれ?もしかして誰かの応援かい?」
「え?」
「こんな所に居ないで中に入りなよ。ああ、エントランスからでも見られるよ。そっちの奥に階段あるから好きな所で見ていいよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
背後からいきなり声かけられるからビックリした。今の人もこの試合に出る人だ。赤いビブス着てる。
そういえば、志歩ちゃんと飛雄はどのチームになるんだろう。
邪魔にならない様にさっきの人が教えてくれたエントランスに移動してコートを見下ろす。少しして志歩ちゃんと飛雄は揃って黄色いビブスを身に付けた。
「今日こそ影山姉弟に勝つぞお前等ー!!」
「やってやろうぜ!」
「俺達だって負けません!」
「今回も勝ちます」
最初の試合は影山姉弟が居る黄色チームと赤チームの試合だ。しかしこうして見ると年齢層が幅広いな。
一番若いと小学生かな…飛雄より小さい子が居る。逆におじさん、おばさんも割と居る。おじさんの中では結構筋肉付けてる人いるなぁ…。
あんな人のスパイクを志歩ちゃんが取ろうものなら見てるこっちがヒヤヒヤしそうだ。
「よろしくお願いします!」
大きな挨拶と共についに試合が始まった。サーブは赤チームだ。しかも結構大柄のおじさんのサーブだ。大丈夫かな。
ドッと勢いよく打たれたサーブはスピードもあり、真っ直ぐに志歩ちゃん達のコートに飛んでいく。
「取ります!」
「はいっ」
すかさず飛雄が動き、狙われたおばさんの前でボールを上げた。そのボールはきれいな弧を描き、既にスタンバイしていた志歩ちゃんが居るセッターへ。
一瞬のアイコンタクト。志歩ちゃんの無駄のないきれいなトスによってボールが浮き、それを飛雄がバックアタックで決めた。
「ナイス飛ちゃん!」
「いいぞ飛雄!」
「はい!ありがとうございます!」
さすが姉弟。言葉は必要とせず、一瞬のやりとりだけでお互いのやるべき事を実行して成立させる。
天才セッターと言われている飛雄ではなく、敢て志歩ちゃんがセッターをやってるのは何となく理由は分かるかな。
独裁の王様と言われている飛雄には、この幅広い年齢層の中であのトスを使えばどうなってしまうか。それを彼女は分かってる。
こういった機会の中で少しでも飛雄のやり方を変えたいのか、それとも気付いてほしいのか…。いや、後者か。
「ほんと、弟想いだね志歩ちゃんは」
だけど、君がどれだけヒントをあげても飛雄が分かろうとしない限り意味はない。
今の北河第一の男子バレー部がどうなっているかは噂では聞いてるけど、このまま変化なく飛雄が高校に上がったら…そのバレー部はどうなるのかな。
志歩ちゃんの安定したキレのいいトスが繰り出される中、チームメイトが次々と点を決めていく。
スキル面では圧倒的に志歩ちゃんのチームが勝ってるけど、残念ながらパワーは相手が勝っている。
だからブロックに入ってもパワーで押されて弾かれる。折角ワンタッチしても圧倒的パワーが上まってコート外にボールが飛ばされる。
「よしよし、もう少しで追いつくぞ!」
「相変わらず力押しだね、あっちは」
この光景に似ているものを、俺は何度も見たことがある。
あいつの…牛若のバレーを目の前にしてるようだ。圧倒的パワーで押し切ってくるやり方は、何度見ても悔しさを生んでやまない。
どれだけ技術が優れてても、圧倒的な力の前では捻じ伏せられる。そんな事はない、必ず勝てると信じても、結果は敗北を刻む。
「攻めろ…」
そう。あいつ等相手に護りに入ってはダメだ。攻めて、攻めて攻めて攻め続けないと。そうしないと、一瞬で潰される。
だからその相手に護りに入ってはダメだ。戦え志歩ちゃん…!
俺は無意識の内に手すりを力強く握っていた。俺も一緒に戦えたらこんな歯がゆい思いをしていなかったかもしれない。
だけど今からあのチームに入る事は出来ない。志歩ちゃんのトスは決して悪くない。だけど、今必要なのは速さと共に更に威力のある攻撃力。
「でも、足りてない」
そう。このチームメンバー、志歩ちゃんのチームには、そのパワーのある人が居ないんだ。
技術でカバーしてるけど、それも圧倒的な力の前では時間の問題。このままじゃ防戦一方になってしまう。
「チャンスボールだ!」
その時、相手チームにとってのチャンスボールが生まれた。テンポが速い。速攻が来る。
それを読んでいた志歩ちゃん含む前衛三人がブロックに跳んだ。しかし―――。
「オラア!!」
豪快なスパイク。威力の高いそれはブロックを突き破った。
同時に見えた。彼女の表情が歪んだところを。今のアタックに彼女の手も触れていたんだ。
ピピーッ!笛の音と共に相手に点数が入った。
でも、俺はその笛が鳴る前に駆けだしていた。あんな強烈なスパイクをあの手で触れたのなら、彼女の手が無事とは思えない。
「姉さん!!」
エントランスから下りると、ネット前で飛雄が志歩ちゃんの手を掴んで表情を歪めていた。
「志歩ちゃん、その手…!」
「すぐに手当てしよう。血が出ている」
「大丈夫です。ちょっと掠っただけですから」
「すまん志歩ちゃん!加減がなってなかった!」
「大丈夫ですよ。こんな怪我、中学時代にも何度もありますから」
努めて明るく振る舞う志歩ちゃんだけど、指先が震えてるのが分かる。痛みからと、あとは受けた時の感覚がまだ残ってるんだ。
俺は迷わず彼女の下へ向かった。その細い肩に手をかけたと同時に驚いた飛雄と目が合ったけど、それは一瞬の事。
「はいはーい。怪我人は大人しく交代しようね、志歩ちゃん」
「お、及川君…!?何で…」
「何でって、応援に来たからに決まってるでしょ」
俺の登場がそんなに予想外だったのか、志歩ちゃんは驚いたまま固まっている。
その隙にとばかりに俺は彼女の肩を抱いてをササッとコートの外に移動させ、救急箱を持って待っていてくれたおばさんの前へと連れて行った。
「これ以上続けたら志歩ちゃんの怪我が悪化するので、代わりに俺が入っても良いですか?」
「あらまあ。なら、お願いしちゃおうかしら」
快く承諾してくれたおばさんに笑顔でお礼を言い、俺は志歩ちゃんが来ていたビブスを代わりに身に付けた。
何か言いたげな志歩ちゃんと一瞬目が合うも、俺は大丈夫、任せてとウィンクを決めて彼女の頭をポンと撫でた。
「こんにちは。志歩ちゃんと大の仲良しの及川です!彼女に代わってセッターやりますね」
「おお!君ももしかしてバレーをやってるのか?よろしく頼むよ!」
「はい。よろしくお願いします」
すんなり受け入れてくれたおじさん達に感謝しつつ、俺は未だに驚いたままの飛雄に目を向けた。
「まあ、そういう事だからさ。この及川さんのトス、しっかり見ときなよ」
―――飛雄ちゃん。
最大級の笑顔を送り、俺は複雑そうな表情をする飛雄に背を向けてネット前の相手へと向き直った。
さあて、志歩ちゃんにカッコイイところ見せようか。