2.図書室での密会



本が好きで通っている図書室に、ある日を境に今まで居なかった人がやってくるようになった。


「いんちょーちゃんヤッホー」

「…こんにちは」


その人というのは、この青葉城西で知らない人はいないと言われている及川君だ。
友達の岩君や咲ちゃんから聞いてた話によると、及川君は岩君と同じ男子バレー部に入部しているそう。
自負しているらしいルックスと持ち前の運動神経の良さも相まって、女の子から絶大な人気を誇っているようです。

…とは言っても、私が彼を認識したのはつい先日のことなのですが。


「いんちょーちゃん、いつも図書室に居るよね。お陰で俺としてはすごく助かってるんだけどさ!」

「図書室は本を読むべき場所であって、誰かさんを匿う場所ではないのですが…」

「いんちょーちゃんツレナイ!」

「それと、図書室ではお静かに」


あの日、及川君と初めて会った日から彼は図書室へやってくる事が多くなった。
一年目の冬に突然起きた告白ラッシュのせいで、及川君は毎日女の子に囲まれたり呼び出されていたそうで、いい加減に一人になって休みたかったそう。
そんな時、偶然にも逃げ込んだ場所が図書室で、その場に居合わせたのが私だった。

――たったそれだけの事だったけれど、彼にとっては私の様な【自分に好意を向けてない異性】は珍しい存在らしい。
そのせいで、彼はこうして図書室で休みを取る事が増えてしまったのだけれど。


「岩ちゃんに聞いたんだけど、いんちょーちゃんと岩ちゃんは同じクラスなんだね」

「はい」

「岩ちゃん、女の子の扱い慣れてないから困らせられたこと多いでしょ?」

「…そんなことはありませんけど」

「…えっ」

「寧ろ、よく気にかけてくれて、助けてくれますよ」

「ええ!?ああああああの岩ちゃんが!?」

「及川君、声が大きいです」


二度目の注意を受けた及川君は慌てて口を噤み、ソロソロと私が座るカウンター席の後ろに回ってくる。
カウンターに備え付けられた引き出しの一番下を開ければ、そこからオレンジ色の小さいラグマットが取り出された。
これは私が家から持参したもの。及川君は図書室へ来るとカウンターの裏に身を隠す様に座るから、制服が汚れてしまわない様に配慮しての事。
最初は「悪いよ」と断れましたが、ここに身を隠したいなら使用する事とルールを作ると彼は「はーい」と素直に頷いてくれた。


「今日はどんな本を読んでるの?」

「お弁当の本です」

「えっ。いんちょーちゃん、もしかして手作り弁当!?」

「はい」

「すごいねー。俺は毎日牛乳パンだよ」

「…何故その牛乳パンをここに持参してるんですか?」

「えへへ。昼休みになった途端囲まれちゃって。今回だけ許して!」

「今回どころか、これで八回目ですけど」

「笑顔で圧かけてる!?こ、零さないから!欠片一粒だって落としたりしないから!」

「……はぁ。これで九回も及川君の悪行を見て見ぬフリをしなくちゃいけないんですね。図書委員として辛い事です」

「だから何でそこで満面の笑み!?いんちょーちゃん最近イジワルになってるよね?絶対なってるよね!?」

「図書室ではお静かに」

「ぐぬぅ…!」


何か反論した気な及川君だったが、声には出すことはなく渋々とその口を牛乳パンを頬張るために開けた。


「人気過ぎるのも時に大変ですね」

「まあね。でも仕方無いよね!こんなに及川さんカッコイイから!」


足元に置いてある本を入れているカバンから280mlのカフェオレが入ったペットボトルを差しだしかけたが、無言でその手を引っ込めた。
「冗談!いんちょーちゃん冗談だから、それください!」そんな及川君の今更すぎるフォローに苦笑しつつ、私は持っていたそれを手渡した。


「いんちょーちゃんってホント優しいよね。岩ちゃんにも見習ってほしいよ」

「岩君はあのままで良いと思います」

「えっ」

「及川君限定に」

「いんちょーちゃんホント最近イジワルじゃない!?」


こんなやりとりが最近の図書室での日常になりつつあります。
今まで静かに本を読むという馴染んだ環境を、たった一回で見事に壊した及川君。
一度きりの出来事かと思っていたものが日に日に増えていく様子は、なんだか少し面白くて、私の日常に明るさが増した気がした。


「今日も君を探して廊下を走り回ってますね、女の子達」

「…なーに?もしかして、出てけって言ってるの?」

「牛乳パンを口いっぱいに詰め込んだ状態でですか?」


少しむうっと頬を膨らます及川君の顔を見たら自然と笑みがこぼれた。
カッコイイとか王子様とか色々言われているけど、そんな彼も自分と同じ高校一年生。まだ幼さが残る部分もあって、少し可愛らしいと思った。


「いんちょーちゃん、さっきから本で隠してるけど笑ってるのよーっく見えてるからね!」

「ふふ…ごめんなさい」


下から私を見上げていた及川君は何を思ったのか突然近づいてきて、私の口に何かを押し込んだ。


「はいっ。これでいんちょーちゃんも共犯でーす」


口の中にほんのり広がる牛乳パンの甘さ。「最後の一口を分けてあげたんだからね!」と、してやったりな顔は悪者顔にも思えた。


「君は予想外な行動をよくする人ですね」

「そう?初めて言われたよ、そんな事」


いんちょーちゃん限定かもね。そう言った彼の表情は、先ほど彼が言う「イジワル」いものだった。

そんな事をしている内に図書室にいた他の生徒達が少しずつ教室に戻る用意をし始めた。
時計を見るともう少しで昼休みが終わる時間。及川君が来ると本を読む暇がなくなる。いつの間にか彼のペースになっていしまっているから。


「ん?いんちょーちゃん、その本借りてくの?」

「はい。ほとんど目を通せなかったので」

「あれれ。珍しいね、本が大好きないんちょーちゃんなのに」

「……分かって言ってますね?それ」


歯を見せてニヒヒと笑う彼はやはり確信犯。いつからこうなってしまったのだろう。
最初の頃は少し身を隠せば去っていったのに、気づけば少しずつ図書室に滞在するようになっていて…。
しまいには本来ならダメな、図書室での飲食までしている始末。そしてそれを分かっていて見逃している私は図書委員失格ですね。


「さて。そろそろ俺も教室戻ろうっと。いんちょーちゃん、今日も匿ってくれてありがとねー」

「ここ以外の隠れ場所を見つけてくれることを願ってます」

「ええ!?いいじゃん!いんちょーちゃん俺のこと黙っててくれるし、一応大人しくしてるでしょ?」

「…これを」

「国語辞典?」

「そこから【大人しい】という意味を是非調べてください」

「笑顔で俺のことバカにしてるよね!?なに?もしかして煩いってこと?するする、静かにするから!これからも匿って!」


同級生というよりは、背の高い弟ができた気分になりますね、及川君といると。
実際の弟は及川君とは似ても似つきませんが、こうして少し比べると実弟の方が手がかからないかもしれません。


「ほんじゃまたね、いんちょーちゃん!」


笑顔を残して去って行った及川君を見送ると本来の静けさを取り戻す図書室。そして鳴り響く昼休み終了のチャイム。
図書室にこの静けさが戻ってくる事はこの先あるのだろうか、と少し頭を悩ませた。