31.隣の心地良さ



じめじめとした梅雨が明け、陽射しの眩しい夏が到来した。体育館の中はその暑さに負けない熱気で溢れている。


「八月中旬に春高、宮城県代表決定戦の一次予選がある。それまでバシバシ鍛えていくから覚悟しとけ!」

「はい!!」


今年のインターハイ宮城県予選は五月の終わりに行われた二回戦目で、この県一強いといわれている白鳥沢高校に敗北した。
青葉城西は決して弱くない。しかし、彼等を上回る力を持つのが白鳥沢なのだ。彼等は白鳥沢に未だに一度も勝てたことが無いそうだ。
東京で行われる春高に出るには、この白鳥沢を越えなければならない。そのために必要なのは―――…。


「……夏合宿、ですか」

「うん。毎年夏休みの始めと終わりの二回やってるんだ。出来れば志歩ちゃんにも来てほしいんだよね」


力を入れてる部活はこういった合宿を行うのは分かっていた。だから、家族には予めこうなるだろうという話をしておいたけれど…。


『合宿!?ってことは、及川さん達と同じ宿に泊まるってことだろ。姉さん以外に女の人はいるのか!?』

『えっと…どうなんだろう。まだ先の話だから詳しい事は…』

『男しか居ない所に姉さん一人なんてダメだ!俺も行く!!』

『え!?』

『商店街の集まりで開催した試合で会ってから、及川さんの姉さんに対する行動は目に余る…!もう絶対に姉さんに近寄らせてたまるか…!!』


飛ちゃんの目は本気だった…。中学校で及川君と一緒にバレーしてたはずなのに、あまり仲は良くないみたいです。
あの時はお母さんが止めてくれたから落ち着いたけど、この合宿の事は飛ちゃんの前ではしないようにした方が良さそうだ。


「志歩ちゃん、夏休みの予定ってどうかな。一応、4泊5日合宿するつもりなんだけど」

「それくらいなら大丈夫ですよ、夏休みですし。それに、折角設けられた機会ですから皆さんと一緒に頑張りたいです」

「さっすがいんちょー。その意気や良し!」

「俺達みんな行くし、あんまり緊張しなくて良いからね」

「ありがとうございます。皆さんが練習に集中出来るように、私も精一杯フォローしますね」


そんな話をしたのも、つい先日の話だと思ってました……。


「フンフフーン、フヌンフーン」

「……お前。当たり前のようにそこに座るのな」

「え?ダメ?」


七月下旬。あっという間に合宿の日がやってきた。監督達が運転するバスにぞろぞろと乗り込み、私は前の方に一人窓側に座った。
元気な先輩後輩達は友達と揃って後ろの方に固まって座り、遅れて入ってきたレギュラー陣の先頭に居た及川君は、私に気づくと然も当然のように隣に座ってきた。
それを見た花君が苦笑しながら先程のことを言う。てっきり岩君達と集まって座るとばかり思っていたので、彼の行動には私も少なからず驚いた。


「志歩ちゃんの傍って落ち着くんだよね。だから俺はここに座る」

「いんちょーは静かに読書するつもりでいたんじゃねぇの?」

「えっ」

「花君さすがです」

「邪魔しなかったら別に良いでしょ?」

「お前が邪魔せずにいられるとは思えねぇけどな」

「あのね岩ちゃん、俺は今まで読書中の志歩ちゃんに話しかけて怒られた事一度もないんだからね!」

「「その時点で邪魔してるじゃねーか」」

「お、怒られてないんだから邪魔になってないんだよ!ねえ、志歩ちゃん?」

「(にっこり)」

「はい否定の笑顔ー」

「ほら、後ろに行けクソ及川」

「ちょっ、待っ!違うから!今のは俺をからかおうとしてるだけの笑顔だから!そうなんでしょ志歩ちゃん!?」

「……勘が鋭くなりましたね及川君」

「フフン!だてに志歩ちゃんの笑顔を見てきてないからね!」


そんなやり取りをしていたら呆れたらしい岩君が肩を竦めながら後ろの席へと移動した。
その後を追って花君も行くが、直前に「じゃあ、お守よろしく」と肩を叩かれた。…及川君は花君達にもそういう風に見られてしまっているんですね。


「何で残念そうな目を向けてくるの!?言っとくけど、皆に弄られなかったらしっかりしてますから!」

「…そうですか」

「その笑顔…信じてないね?」

「いえ、そんな事はありませんよ。部活中に及川君は次期主将として皆をまとめているじゃないですか」


そう。及川君は男子バレー部の次期主将と期待されている。前々から次期主将と言われているらしく、いざ彼がその座に着いても皆は相変わらずだろう。
後輩達は及川君が主将になるならと少し安心してる面もある。一つしか年が違わないのもあると思うが、彼の人柄は親しみやすさもあるからだと思う。


「…部活中だけデスか」

「?」

「志歩ちゃんからしたら、俺がしっかりしてると思えるのって部活中だけなの?」


なるほど、そうきますか。少し予想外な質問を返されたことで僅かに戸惑ったものの、落ち着いて今までの彼を思い返して見る。
しかしながら、普段の学校生活でしか私は及川君の事は知らない。…でも。


「以前、町内会で行われたバレーの試合で助っ人とで入ってくれた時、すごいなって思いました」

「…え、」

「だって、あの時の及川君は初対面の人ばかりの輪の中に堂々と入っていけて…」


驚くことに彼は簡単に解け込んでしまった。それだけじゃなく、試合中もしっかりフォローに回ってくれて、あの時は見事に優勝までしてくれた。
飛ちゃんは少し悔しそうではあったけれど、外から見ていた彼の試合中の姿も、勝った時の素直な反応も、飛ちゃんと言い合ってる時の顔も。
私が知ってる及川君は本当に僅かなものだけれど、私を心配してくれた事も、彼が持つ優しさなんだと知る事が出来た。


「私は、君を人として尊敬します」

「っ…!」

「普段のおちゃらけ具合はどうあれ、君は大事な時に決して揺るがず、芯を通す人。私はそう思っています」

「…志歩ちゃん…」


思ったままを正直に伝えて彼を見ると、及川君は薄っすらと頬を染めて視線を斜め下に向けた。


「ま…まさか、そんな風に言ってくれるとは…思ってなかったよ」

「意外でしたか?なら、覚えておいてください。私は見てる所は見てますから」


ほんの少し意地悪に言ってみる。私が微笑んでるのに気づいた及川君は「うっ」と言葉を詰まらせ、むむっと警戒した視線を向けてくる。
けれどその表情はすぐに変わる。再び私と目が合えば、彼はさっきよりも動揺しては俯いてしまった。


「…及川君?」

「っ…もおおお志歩ちゃんはぁ…!」

「?」


ごつっ。
何かに耐えきれなかった様子の及川君は俯いたまま私の左肩に額を押し付けてはグリグリしてきた。
そんな事をしては額が赤くなってしまいますよと言ってみるけど、彼はゆっくりと動きを緩めては今度は首下に顔を埋めてきた。

………近い。とても。
及川君の髪の毛が首に当たってくすぐったい。
耐えきれず少し距離をとろうとするも、彼はそれを許さないとばかりに私に寄りかかってくる。


「……あの。及川君?」

「…宿に着くまで…」

「え?」

「宿に着くまで、どいてあげないから」


一度顔をあげてそう言いきった及川君は悪戯っ子の様な顔をしてまた私の方に頭を預けてきた。


「え、ちょっと…?」


何度か名前を呼んでみたけど、及川君はもう完全に退く気がないらしい。
やだ。どかない。動きません。の一点張り。本当に子供みたいなことを時々する彼は可愛いと思うと同時に、ついつい仕方ないなと思ってしまう。


「…首、痛めても知りませんよ」

「志歩ちゃんが俺の肩に頭寄せてくれれば丁度良い高さの枕になるけど?」

「私は首を傾げた体勢で本を読みません」

「案外楽かもしれないよ?」

「…及川君の肩は低反発だったりするんですか?」

「低反発じゃないけど、その代わり、たくさんの女の子が預けたいと思う肩ではあるかな」

「そんな肩、聞いたことありませんよ」

「あ。信じてないでしょ。本当なんだからね?」


思わず笑みを零しながら本を開けば、及川君は唇を少し尖らせて本の中を覗きこんでくる。
文章がずらりと並ぶのを目にして「うわぁ…」と表情を歪めて目を瞑ってしまった。彼には挿絵が多い本じゃないと読む気になれないかもしれませんね。


「志歩ちゃん、邪魔しないから構ってよ」

「…それは邪魔とは言わない行動なんですか?」

「志歩ちゃんが邪魔と思わないなら邪魔じゃないんだよ」

「……」

「今の内に及川さんに構っておけば、合宿中すっごくイイコトがあるかもよ?」

「そのイイコトとはどんな事なんでしょうか。内容によっては考えますよ?」

「えー」

「それに、私が構わずとももう少しで寝てしまいそうな顔してますけど?」


朝早くの起床は誰だって眠くなる。バスが発車してからまだ数分しか経っていないけど、丁度良い揺れのお陰でほとんどの人は欠伸をしているくらいだ。
及川君も楽しげに話してはいるけど、だんだん瞼が重くなってきてる。あと数分もしない内に彼は夢の中に落ちてしまうだろう。


「合宿所に着いたらすぐに練習になるんですから、今の内に休んでおいた方が良いですよ」

「…俺が寝たら、志歩ちゃんはどうするの?」

「本を読んでます」

「えー」

「…何で”えー”なんですか」

「そこは志歩ちゃんも寝ればいいのに。ほら、及川さんの肩貸してあげるから」

「…動く気もないのにそう言うんですか?」


ころころ変わる表情。穏やかな微笑。隣から伝わってくる及川君の体温は不思議と心地良く感じた。


「志歩ちゃんが寝たら俺も寝るよ」

「……はぁ。仕方ありませんね」


こんなに粘られるとは思わなかったけれど、もしかしたら及川君なりに私の事を気遣ってくれてるのかもしれない。
合宿所についたら忙しくなるのは彼らだけじゃなく、私も例外ではないのだから。

パタンと本を閉じて膝の上に乗せれば及川君はくすくすと笑った。
思い通りに事が進んで面白いのか彼は待ってましたと言わんばかりの素早い行動で私の右手を掴み、自分の頭へと誘導した。


「少しだけ撫でてほしいな。そしたらすぐ眠れそう」

「…私が寝てから寝るのでは?」

「志歩ちゃん早くー」

「…はいはい」


ふわふわの彼の髪にそっと手を乗せゆっくりゆっくり撫でてあげる。
猫みたいに気持ち良さそうに目を細めてくすぐったそうに笑う表情は何だか甘え上手な子供にも見えて可愛らしかった。


「…影山。左肩回してどうした?」

「いえ…ちょっと、凝りました」

「?」


結局合宿所に着くまで及川君に肩を貸していたことで思いのほか肩に負荷がかかってしまったらしい。
ゆるゆると肩を回す私を見て不思議そうな顔をする岩君は、さり気なく私の手から荷物を持ってくれた。


「帰りのバスはあいつの隣以外に座っとけ」

「…そうしましょうか」


当の及川君は良い目覚めをしたようでご機嫌なまま誰よりも先に宿へと駆けて行った。