32.解けない謎、はじめての君



「花巻カバー!」

「オーライ!」


合宿所に着いてすぐに始まった練習。一通り基礎練習を終えた皆は試合形式での練習にうつった。
レギュラー関係無く幾つかのチームに分かれて行われるそれは、初日だというのに最初から全力で挑んでいる。
目前に控えている春高に続く大会が、それだけ彼等にとって大事なものなのだ。特に3年生は引退も目前。今機を逃したらそこで終わってしまう。


「マネちゃん!少し手が空いたらトス上げてくれー!」

「はい!」


気合いの入った呼びかけに応えるために、私はベンチに皆のタオルとドリンクをセットして先輩の下へと向かった。

最初こそ監督の判断で私がトスを上げる人は限られていたけど、今や制限なく求められればトスを上げている。
それぞれ打ちやすい高さ、距離感、早さがある。その一つ一つを覚えてスパイカーに上げるのはやはり楽しい。
今はもう選手としてバレーに触れていないけど、こうしてサポートとして皆とまたバレーが出来る毎日がたまらなく眩しく見える。


「よーし!一度休憩だ!」


溝口コーチの声を合図に皆動きを止めてベンチやら床に腰をろしてドリンクを勢いよく飲み始める。
汗は拭っても拭っても次から次へと湧き出る。いくら東北と言えど、夏になったらそれは暑い。
熱中症になってないか、具合が悪そうな人はいないか皆の顔を見渡しながら歩いていると不意にポンと肩を叩かれた。


「お前もちゃんと休め影山。先にぶっ倒れるぞ」

「ありがとうございます、岩君。ですが、私は大丈夫ですよ。自己管理は出来てるつもりです」

「つもりかよ」


首にタオルをかけた状態で私のドリンクをわざわざ手渡してくれた岩君にお礼を言って受け取る。
カラカラと笑う岩君の笑顔は夏の太陽のように眩しい。海の男ってイメージもあるから尚更かもしれない。


「いやー、やっぱ去年と違うな。いんちょーが居てくれると」

「花君?」

「ほら、去年はマネージャー居なかったし。居ても一瞬だったし」

「及川のせいでな」

「あいつ贔屓なことばっかするから先輩達がマネージャーなんか要らねぇ!ってなって大変だったよな」

「結局、一番居てほしい時にはいなくなるしで、去年の合宿は一年だった俺達がお前がやってくれてる事やってたんだよ」

「あと、やっぱり存在がありがたいよね」


後ろからひょっこり現れた松君が私の顔を覗きこんで言う。


「えっと…それはどういう意味でしょう」

「やっぱいんちょーには分かんねぇかなぁ。ほら、男ばっかでむさ苦しい中に、いんちょーがこうして居てくれる」

「うん。ムサさが大分軽減されて、視覚的にありがたい」

「お前らな…」


呆れている岩君に思わず苦笑が浮かぶ。
確かに男の子は男の子ばかりの空間(特にこういった暑い状態)を好まないみたいですね。
私にはよく分からないけれど、彼等が精神的にも少しでも楽になってるのなら良かった。


「そんな紅一点である志歩ちゃんをお前等だけで囲んでるのって何なの?」


ごつっ。そんな音と共に私と松君の間を割って輪の中に入ってきた及川君が、私の頭に自分のを乗せるように寄せてきた。
これも最近できた疑問なのですが、及川君との距離感が一気に近くなったように思うのは気のせい…じゃない、ですよね?
何がきっかけになったのかはコレと断定できないけれど、及川君からのこういった行動が増えたような気がしてならない。
嫌ではないのだけれど、こういった事を異性の友人にするものなんでしょうか…。


「お前、なんか最近やたらと影山にベッタリじゃねーか?」

「え?」

「俺もそれは気になってたわ。つか、突然すぎじゃね?何かあったのか?」


3人の視線が真っ直ぐに及川君に突き刺さる。彼等の疑問は私と同じなので私も気になって視線を上へと向ける。
それぞれの視線を受け止めている及川君は何と答えるのだろうか。大人しく及川君の重さを感じながら待っていると、彼はフフンと笑った。


「なになに?もしかして3人して俺にヤキモチ?ぷぷーっ。可愛いねー」

「「「…は?」」」

「けど、ごめんね。俺、お前等の気持ちには応えられないよ。だってホラ、及川さんは皆の及川さんだから!」


ンバッ!と両手を広げて言い切った及川君に向けられた視線は全て残念な物を見るものだった。


「なに言ってんだコイツ」

「お花畑思考か?」

「引くわ」

「及川君。さすがに今のはイタイです」

「3人は分かるけど志歩ちゃんまで何て目を向けてるのさ!さすがに酷くない!?」

「「「酷くない」」」


危ねぇから離れとけ、いんちょー。と花君が私の背を押して及川君から遠ざける。
ちょっと!と慌てて追いかけてきた及川君は、さっきので少し不貞腐れてしまったのか頬をぷっくり膨らませていた。


「ふふっ。可愛いのは及川君の方ですね」

「はい!?」

「ま、そんな不貞腐れてたら仕方ないわな」

「一番ガキだもんなお前」

「ガキじゃねーし!つか、志歩ちゃん。最近俺のコト可愛いって言いすぎ!寧ろカッコイイだからね。ほら見てよ、クールビューティーでしょ?」

「お前の中のクールビューティーって何なの」

「浮いてる事にいい加減気づいた方が良いよ」

「よーし、練習再開だ」

「さっきから何なのお前等!?それからマッキー!さり気なく志歩ちゃんにトス上げてもらおうとしない!俺が先だよ!」

「先着順だアホ」

「なら花巻の後ろに居る俺は二番目だな」

「じゃあ岩泉の後ろに居る俺は三番目」

「い、岩泉先輩!俺達も並んで良いですか!?」

「おう、いいぞ。んじゃ、松川の後に渡、次に矢巾な」

「ありがとうございます!」

「ちょっと!?」

「ふふ。こんなにトスを上げる機会が出来るなんて嬉しいです。では皆さん、【横入り禁止】で始めますよ」

「「お願いしまーす!!」」

「志歩ちゃんに釘まで刺された…」


しょんぼりと肩を落とした及川君を密かに可愛い人だなと思いながらも、私は皆とバレーが出来る環境に胸を躍らせてボールを上げた。


***


合宿において食事の用意は基本的にマネージャーと監督で行われる。
結構な人数がいるので早目の時間から準備に取り掛からなければいけないが、この宿は朝食は用意してくれるので昼と夜の分を私達で作る。
予め用意されている材料をチェックして監督と相談。今日は昼に到着したのもあって、作るのは夕食分だけ。
豚肉がたくさんあるので、生姜焼きにするかと監督の指示で私は大量の玉ねぎと向き合う事となった。


「強烈でない事を願います…」


監督がずっと離れているワケにもいかないので下準備は出来るだけ私一人で済ませておかなければならない。
ひたすらに皮をむいて一個一個包丁で一刀両断にしていく。どうやら今回の玉ねぎは当たりの様です。沁みてきません。
黙々と幾つもの玉ねぎを切っていてどれくらいの時間が経ったのか…。だんだんと視界が潤み始めてきた。


「ずびっ……やはり、泣かないで済みませんか」


涙だけでなく鼻も影響を受けてしまった。涙のせいで視界がクリアにならない。
何度も拭いながら残り僅かに迫った玉ねぎを残し、私は一旦目を休憩させるために食堂のイスに座って落ち着くのを待った。


「ふう…」


先生が来るまでに、せめてもう少し進めておかないと。白米はタイマーセットしてあるから大丈夫。あとはお味噌汁とサラダと、それから―――…。


「…志歩ちゃん?」


振り返った先に食堂の出入り口のドアからこちら見ている及川君と目があった。
いつからそこに居たのか分からない。夕食の時間まではまだ時間がある。休憩になったのだろうか。それとも小腹が空いたのだろうか。
どうしたのか尋ねようと席を立とうとした瞬間、愛橋のる瞳が大きく見開かれ、気付いた時には彼の両手に顔を包まれていた。


「なんで、泣いてるの」

「えっ…」


問われた内容をすぐに理解出来なかった。及川君の骨ばった私より長い親指が目元をそっと撫でる。
涙を拭われたんだと理解したと同時に、自分は玉ねぎを切っていて泣いてしまっていたことを思い出した。


「あ、あの、これは…」

「……誰にされたの……」

「え…」

「誰に泣かされたの?何をされたの?」

「待っ…落ち着いてください及川君…!」


何か勘違いされていると察し、慌てて彼に制止をかけるが及川君は真剣な表情で、本気で私を心配してくれている。
だから尚更早く否定しないとと分かっているのに、及川君は何故かあまり余裕が無いのか私の話に耳を傾けてくれない。
けど、だからって自分まで焦ってはいけない。何とかして落ち着いてもらわないと。
そう思ったと同時に脳裏を過ったのは岩君の怒った顔。そしてスローモーションで流れる現実で、私は彼がよく及川君にしているアレを実行にうつしていた。


「お…落ち着いてくだ、さいっ」


ごちーん!

ああ…やり慣れないことをするものじゃありませんね…。
額に直接伝わる痛み。赤くなったであろうその箇所は、今まさに及川君にも同じ状態にさせた。


「痛った!?…ちょ、志歩ちゃん、いきなり何を…」

「す、すみません…!体が勝手に動いて…!」


岩君ほどの威力が無いとは言え、頭突きをしてしまった。及川君のおでこ、少し赤くなってしまいました。


「ごめんなさい。痛み…ますよね」


おでこを抑えている及川君を下から覗き込むようにしてその表情を窺う。そっと手に触れておでこから離したところでパチッと視線が重なった。

改めて見ると及川君って睫毛長いんですね。飛ちゃんはこんなに長くないから、何だか少し不思議な感じです。
もしかしたら私よりも長いのでは…。そんな新たな疑問が浮上したところで及川君を改めて見ると何故か頬がほんのりと赤くなっていた。


「もしやおでこではなく頬に当たってましたか…!?」

「え!何の話し!?」

「及川君、頬が赤いです。すみません、私のせいですよね…」


何をしているんだろうか私は。及川君は私を心配してくれていただけなのに、一人慌てて彼に要らない怪我をさせるなんて。

おそるおそると触れた頬は温かい。薄い赤とは言え痛みがあるなら申し訳ない。
そうだ、早く濡れタオルか氷袋を用意して冷やさないと――――。


「…何やってんだ、お前等」

「えっ…?」


その声に振り返った先に居たのはこちらをきょとんとした顔で見ている岩君と花君。そしてその後ろから「どうした?」と続く松君。
何やってんだって……私のせいで及川君のおでこと頬が赤くなってしまっているから今それを見ていて―――…。

そこまで思考が巡って漸く気付いた距離の近さに、私は慌てて及川君から手を離した。
本当に何をしてるんだ私は。怪我の具合を見るためとはいえ、あと少しでも近づけば鼻先が触れ合う距離にいたなんて。


「す、すみません…!今日の生姜焼きのお肉、私の全て及川君にお渡しして謝罪します…っ」

「「「はああああああ!?」」」


良かったのは昼間まで。玉ねぎを切ってからゴタゴタな自分にまた涙がでそうになります。
けれどそんな私の内心なんて知らない三人は私の発言に慌てて走り寄り、同時にガッと肩を掴まれた。


「早まるないんちょー!お前がそんなことする必要無ぇって!」

「え?で、ですが…」

「そうだぜ!クソ及川に謝罪なんてしなくていい。普段迷惑かけてんの100%あいつなんだからな」

「そうそう」

「いえ、でも、今のは…」

「それにこいつの顔が赤いのはいんちょーの顔が近距離にあったからであって、それ以外の理由なんか無いんだよ」

「ちょ、マッキー!?」

「こいつ性格悪いから、どうせ影山の涙見て内心笑ってたんだよ」


――――え。


「ちょっと岩ちゃん!志歩ちゃんに誤解されるじゃんか!俺全然笑ってないし!」

「じゃあ何て思ってたんだよ」

「っ、そ、それは…!」

「つか何でいんちょー泣いてたんだ」

「そ、そう!それ!それが俺も気になって…」

「で、ですから!誤解なんですっ」


再びあの繰り返しにさせないために慌てて及川君の前に立って彼のシャツをぎゅっと握った。


「な、泣いてたのは、玉ねぎが目に沁みたからであって…!」

「へ?」

「なので、誰かに何かをされたとか、そういう事じゃないんです…っ」


次は誤解を解けたはず!意気込んで及川君を見つめれば、彼はそんな私を見るや否、頬をぽりぽりと指先でかいてはボソリと言った。


「志歩ちゃん、それ、反則」

「? 何の事ですか?」

「…はぁ…。ほんと、鈍感だよね志歩ちゃんも」


私【も】とは、他に誰を含めての発言なのでしょうか。
それも分からず首を傾げることしか出来ない私を見下ろした及川君はもう一度小さく溜息を付いてから、シャツを握る私の手を上から握ってきた。


「ま、何事もなかったならイイよ」

「…は、はい」

「それより、夕飯の手伝いをしに来たんだけど、何をすればいい?」

「え。練習はどうしたんですか」

「順番で夕飯の手伝いすることになったんだよ、監督の指示でな。流石に二人だけじゃ大変だろうし」

「今日は同級生って事で俺達が指名されたんだ。出来る事はやるから遠慮なく言ってよ」


そう言ってさっさと調理場に入っていく岩君達を見送ってしまい、慌ててその後を追いかけようとした瞬間、後ろから手を掴まれて振り返る。


「待って志歩ちゃん。一つだけ言わせて」

「?」

「……さっきみたいなコト、他の奴にはしちゃダメだから」

「さっき…?」

「だから…上目遣いで、シャツをぎゅって握って見つめてくるやつ」


どこか照れた様子で教えてくれた及川君だけど、私には何故それをしてはいけないのか理由までは分からなかった。
彼が誰かに忠告するところは珍しいので、覚えておいた方がいいのかもしれない。


「分かりました。覚えておきます」

「うん。絶対だよ!」

「は、はい」


素直に受け入れる返事をしたら及川君は満足したようで、遅れて岩君達の下へと歩いていく。
これから夕飯を完成させなければいけないのに、反省点が山積みです。及川君の忠告も含めて自分の行動にはもっと気を付けないと。

けれども、頭に浮かぶのは私を心配してくれた及川君の真剣な眼差し。
普段決して見る事のないその表情に、思わず心臓が締め付けられたのは何故なのか。増えるばかりの疑問はなかなか解決されない―――…。