番外4.甘えて、甘やかして
「及川君が、風邪…?」
「おう。あいつでも風邪ひくんだな」
「幼馴染のお前が言う?」
月曜日の朝練の時間、岩君が「あのバカ今日風邪で休みだから」と開口一番に告げた。
いつも元気で笑ってる及川君という印象が強すぎて、彼が風邪をひくなんて思ってもいなかった。
いや、彼とて普通の人間なんだから風邪くらいひいてもおかしくない訳で。今日の部活は何だかいつもより静かに感じた。
「及川がいないと岩泉がスゲー大人しいな」
「基本、及川にちょっかい出されて言い合いになってるだけだからね」
「あいつが居ないだけでこんなに過ごしやすい環境になるなんて思わなかったぜ」
今日は放課後の部活はお休みの日。だからこれから皆でお見舞いに行ってやろうと花君が言いだしたので、それに同行する事になった。
静かに寝ていたいタイプではないのか気になったけれど、休み時間の合間に毎回トークルームに通知が来るくらい暇を持て余してるみたいです。
岩君は「放っとけあんな奴」と嫌そうにしていたけど、本当は少し心配しているんじゃないかと思う。いつもと違って調子が狂うって感じでしたから。
お見舞いの品を買ってから岩君達の後ろを付いて歩くこと数十分。及川君の自宅に到着した。
岩君の自宅もすぐ傍にあるみたい。幼馴染だから昔から近所付き合いがありますもんね。
「あ。そういやぁ、いんちょーも一緒って伝えてなかったな。まあいっか」
「え。それは迷惑になってしまうのでは…」
「平気平気。たぶん驚くだけだから」
松君がヒラヒラ手を振って軽く言う。そしてなんの躊躇もなくインターホンを押した岩君の行動に驚き、私は初訪問する及川君の自宅前で背筋が自然と伸びた。
少しして女性の声がインターホンから聞こえた。おそらく及川君のお母さん。岩君が代表で伝えたら簡単に自宅へと招き入れてもらえた。
「あら。女の子も一緒!いらっしゃい。わざわざお見舞いにきてくれてありがとう」
「初めまして。及川君と同じクラスの影山志歩です。及川君にはいつもお世話になっています」
「いや、実際はあいつが影山に世話かけてるんで」
「そうそう。あいつの面倒見てくれてる心の広いマネージャーなんスよ」
「ああ!あなたが!いつもうちの息子がごめんなさいね」
「いえっ、とんでもないです」
話しを聞く限り及川君のお母さんの耳に私の存在は少し伝わってるようです。きれいな方。及川君はお母さん似なんでしょうか。
挨拶もそこそこに2階にある及川君の部屋へ案内された私達。松君が控えめにコンコンとノックをすると、中から「はーい」と力の無い返事が聞こえた。
まだ本調子じゃないためにいつもの覇気が全く感じられない。お見舞いに来るのは遠慮した方が良かったかもしれません。
そんな心配をしていたらドアノブを捻った松君は、あろうことか私を引き寄せるとトン…と背中を押して私を彼の部屋へと押し込んだ。
「えっ…?」
不意打ちのことでつんのめりそうになったのを何とか堪えて足を止めた時には、目を丸くした及川君とバッチリこんにちは状態。
突然の私の登場は予想してなかったのでしょう。私も自分の身にこんな事が起こるなんて予想してなかったので、彼と同じように呆然と見つめ合う事しか出来なかった。
「え……えっ、志歩ちゃん?」
「…お、お邪魔してます…」
何とか絞り出せたのはそんな一言。恐る恐ると入口を振り返ったら、そこは丁寧にドアが閉められており、あの三人は私だけをこの部屋に残して行った。
いったい何を考えてるんですか松君は…。全く理解出来ない彼の行動に疑問ばかりが浮かぶ。
けれど、ベッドで寝ていた及川君が身を起こす音が聞こえたので私は慌てて彼の傍へ歩み寄った。
「及川君、無理して起きなくて大丈夫ですから」
「へーきへーき。朝に比べてもうほとんど熱はないから」
「でも、まだ顔は赤いですし、声に元気がありません。私の事は気にせず横になっててください」
促してはみたものの、及川君はふるふると首を横に振って「起きる」と主張する。辛くなったらすぐに休んでくださいと伝えたら「分かったよ」と微笑した。
「そういえば、志歩ちゃん一人?岩ちゃん達も来るって言ってたけど」
「…そ、その事なんですが…」
「何か訳あり?…あー、やっぱいいや。何となく分かったから」
「え?」
にっこり笑った及川君は「気にしない気にしない」といつものようにおちゃらける。彼の中ではもう解決した事になってしまったようなので、私は大人しく頷いた。
「ね、今日一日どうだった?及川さんがいなくて寂しかった?」
「唐突な質問ですね。…寂しかったですよ?」
「え、ほんと!?」
「及川君のファンの方達が嘆いてました」
「志歩ちゃんじゃないの?」
「私は嘆いてませんよ」
「えー。ちっとも寂しがらなかったの?俺は家に一人でずーっと居たっていうのにさ」
少し唇を尖らせて拗ねたような態度をするのは及川君の分かりやすい癖なのでしょうか。
私は彼のこの態度が可愛くて好きなので、この表情を見れると思わず頬が緩んでしまいそうになる。
普段なら隠さず笑ってしまうところですが、今の彼は風邪をひいていつもより元気が無いので、出来るだけ意地悪な態度はしないように努めましょう。
「でも、私も寂しかったですよ」
「え…」
「いつも私の隣の席には、明るい笑顔でみんなを元気にする及川君がいますから」
…でも、今日はそんな君が居なくて、気付けば当たり前になっていた及川君の存在が無い日は、いつもよりずっと静かで。
それが何だか物足りなくもあって、ついつい隣の席を見てしまうこともあった。
「君は所謂ムードメーカーですから、ちゃんと居てくれないと寂しがる人は他にもたくさんいますよ」
「志歩ちゃん…」
少し話し過ぎてしまったでしょうか。及川君の頬、さっきより赤くなっていることに気づいた。
そっと手を伸ばして触れてみる。及川君はちょっと驚いて私を見たけれど、すぐに力を抜いてその手に頬を寄せてきた。
「志歩ちゃんの手……少し冷えてて、気持ち良い」
「そう感じるってことは、及川君の熱が上がってきてしまったのかもしれませんね」
「へーきだよ。元気だもん」
そう言いながら私の手から滑るように首を傾け、ぽすりと首下に顔を埋めてくる。
彼は猫みたいに擦り寄っては、すーっと深く呼吸をした。
「志歩ちゃんの匂い……落ち着く…」
「…そ、そうですか…」
「うん…俺は、好きだよ…志歩ちゃんの匂い」
及川君がすりっと頭を動かす度に彼の毛先が当たってくすぐったい。けれど、それ以上にくすぐったい感情が体を巡って、私まで体温が上がってるような感覚さえする。
彼は本当に予想外なことを思いもよらない時に言うから、その度に驚かされる。現に今もそう。
熱に浮かされてるせいなのか、そうじゃないのかは分からないけれど、そんな恥ずかしいことを聞かされる身にもなってほしい。
「ねえ、志歩ちゃん…」
「…なんですか?」
「もう少し…傍に来てよ」
今でも十分近い距離に居るというのに、及川君は更にその距離を無くせと言う。
どう傍に行けばいいのか考えあぐねていた私に痺れを切らしたのか、彼の腕が腰に回りグイッと引き寄せられた。
驚く声も出ないまま、まるで及川君に寄りかかるように彼に身を寄せる体勢にされてしまった。
咄嗟に伸ばした片手をベッドに着いてバランスを保ったものの、私に甘える様に胸に顔を埋める及川君がいる。
恥ずかしい、なんて…自覚してしまったらもう負けな気がした。自然と顔に熱が上がっていくのを感じながらも、どうか及川君に気づかれないでと願うしかない。
そんな私を余所に彼は更に抱きついてくる腕に力を込めて僅かに肩を震わせた。
「志歩ちゃんの心臓の音…早いかも」
「っ、誰のせいだと…思ってるんですか」
くすくすと小さく笑う彼がこの時ばかりは憎らしいと思った。けれど、これが彼なりの甘えたい行動なのだと知ってる分、強く言えない時点で私が負けている。
この恥ずかしさに耐えながら彼が満足してくれるのを待つしかないのだと覚悟を決め、苦笑をひとつ、彼の髪をそっと撫でた。
「志歩ちゃん、」
「…なんですか?」
「このまま抱き枕になってくれない?」
さすがにそれはご遠慮願いたい。そう思った直後、突然背後から誰かの腕が伸びて及川君の頭をグワシッと掴んだ。
「随分と機嫌良さそうだな……クソ及川」
「え!い、岩ちゃん!?な、なんで…」
「お前が寂しいって言うから、わざわざ来てやったんだろうが。なあ、お前等」
「ああ、その通りだ」
「美味しいプリンも買って来たんだけどね…」
あくまで笑顔の花君と松君、そして真顔の岩君の背後から放たれるオーラは何故かとても禍々しい。
思わず背筋を伸ばす私に更にヒシッと抱きついてきた及川君は、小さな声で「志歩ちゃん助けて…っ」と呟く。
「まあ、もう十分癒されただろうから?」
「そろそろ回収しようね」
松君が及川君の腕をベリッと剥がし、その隙に花君が私を及川君から遠ざける。
これから何が起こるのか理解出来ないままされるがままでいると、私だけ二人に連れられて一階へ。
及川君の部屋に残った岩君は最後まで及川君を真顔で見ており、当の及川君は涙目で彼を見上げてはきれな土下座をベッドの上で決めるのだった。
「ほんっと、お前等イイトコで邪魔しすぎ!折角志歩ちゃんが甘やかしてくれてたのにさ」
「思春期真っ只中の顔してたクセによく言うぜ」
「鼻の下伸びてたよね…」
「お前、暫く影山に近づくの禁止な」
「何で!?」
「どうせいんちょーの胸に顔埋めてニヤニヤして過ごすんだろ。危ねぇ危ねぇ」
「最低だね。俺達でちゃんと守ってあげなきゃ」
「風邪で弱ってた時くらい大目に見てくれても良いじゃんか!!」
知らないところでそんな戦いが起こっているとは知る由もなく、私は復活した及川君の何かに耐えて過ごす様子に首を傾げるのだった。