34.君に与えるペナルティ



「志歩ちゃん」

「………」

「志歩ちゃん」

「………?」

「おはよう志歩ちゃん!」


目が覚めたら、目の前に及川君がいた。


「………おはよう、ございます…おいかわくん」

「うんうん。おはよう志歩ちゃん。ご丁寧に深々と頭下げながら挨拶してくれるのは嬉しいけど寝ぼけてるよね?」


元気な彼の声がぼーっとした状態の頭に「ちゃんと起きなさい」と指示してるように聞こえる。

昨夜は昼間の出来事のせいであまり眠れませんでした。及川君が意味深な発言をしたせいです。…否、そうさせるような質問をしたのは自分だ。自業自得なのでしょう。
そんな彼の発言の意味を考えていたら脳が覚醒してしまって眠いのに全く寝付けず、いったい何時頃寝れたのかは分からないけれど、まだ非常に眠い。


「志歩ちゃん、もう朝ご飯出来てるよ。一緒に行こう」

「…あさ、ごはん…」

「そうだよ志歩ちゃん。いつもなら一番先に起きて俺達を起こしに来てくれる君が、今日は驚く事にまだ寝てて一番最後なんだから」

「…さい…ご…?」

「そう。だからこの及川さんがわざわざ部屋まで起こしに来てあげたんだからね!さ、まずは立って立って」


両手を握られてグイッと力強く引かれたことで自然と立ち上がる事になった私の体は、今度は後ろから背中をグイグイ押されて洗面台へと誘導される。
すぐ隣から「朝の水って冷たいから、きっとすぐに目が覚めるよ」と声が聞こえる。
確かにそうかも…なんて、のんびりと思いながら、蛇口から流れる水に手を伸ばせばその冷たさに重たい瞼が僅かに上がった。


「ん…?どうしたの志歩ちゃん。水に手を付けたまま動いてないけど―――って、寝てる!?嘘でしょ志歩ちゃん、そんなに眠いの!?」


次に気がつくと何だか賑やかな声がして漸く目が覚めた。
いけない。あまり覚えてないけど、及川君がお越しに来てくれてから後の記憶が無い。私はあれからどうなって…?


「あ。起きた」

「いんちょー。はよーっす」

「……まつくん…はなくん…?」

「ちなみに隣には岩泉もいるぞ。どうよ、硬い枕の寝心地は」

「…?」


正面にいる二人は何やらニヤニヤしながらそう問うてくる。何か面白いことでもあるのだろうか。
呑気にそんなことを考えながらゆっくりと瞬く。どうやら自分の体は誰かが支えてくれているようなので、身を起こしながら隣を見やった。


「おう。おはよう、影山」

「………いわくん」

「お前がそんなに眠たそうにしてるのも珍しいな。さっきここまで及川が運んで来たんだぞ」


視線を辺りに向ければ、そこは自分の部屋ではなく、いつの間にか食堂になっていた。
そしてテーブルを挟んだ向かいに座る松君と花君。隣には岩君。さっきまで寄りかかっていた私を文句も言わずに支えてくれていたよう。


「…そう、ですか……及川君が…」


――――!!??

ぼけっとしていた頭を思い切り殴られたような衝撃的な事を言われて強制的に目が覚めた。
考え事をしていたせいであまり眠れなかった私は、朝起きられなくてわざわざ及川君が起こしに部屋まで来てくれた。
そしてここまでどのようにかして運んでくれた。…なんてことだ。私は及川君に多大なご迷惑をかけ、更には岩君達にまで…!!


「あ。志歩ちゃんやっと起きたー。もう、及川さんが一緒だったのにニ度寝するなんて悪い子…」

「も、申し訳ありません!皆さんをフォローするために来たのに、逆に皆さんにフォローだけではなく迷惑までかけてしまって…!」

「うぇぇ!?ちょ、志歩ちゃん?」

「な、何て事でしょう…!まだ食事に手もつけていないじゃないですか…!もしかして私が起きるのを待ってて…!?すみません、すぐに温め直して―――」

「ちょ、ちょっと落ち着けいんちょー!配膳はさっきされたばっかだから!全然冷めてねーから!」

「他にも寝坊して遅れてきたやついるから、そんな慌てなくても大丈夫だから!」


今にも岩君の食事が乗ったトレーを持って調理場へ突撃しようとした私を松君と花君が慌てて止めてくる。
岩君も苦笑しながら「ちっと落ち着けって」と私の肩を押して再びイスに座るよう促した。


「すみません、勝手に勘違いした挙句、取り乱して…」

「大丈夫だって。気にしてねぇから」

「志歩ちゃんがこんなに慌てるなんて、美術の授業以来じゃない?」

「何でお前はそう相手が嫌がる部分を例に出すんだよ。ホントお前はウン…」

「下品な言い方禁止!!」


なんだか情けない部分ばかりを見せてしまっています…。
思わずため息と共に肩を落としたら丁度私の前に及川君が出来たての朝食が乗ったトレーを置いてくれた。


「何から何まですみません、及川君」

「良いって良いって。色んな意味で役得だからさ」

「?」

「気を付けろよ影山。こいつのことだ、どうせ碌なこと考えてねーよ」

「いんちょーに借りを作っておいて、後で色々してくるぞコイツ」

「あ、そういう事ですか…(スンッ)」

「ちょっとお前等!何てこと言うのさ!!志歩ちゃんも、その【スンッ】て無表情になられると怖いからヤメテ!あと俺やましいこと考えてないから!!」

「成程…やましいことに使おうとしてたんですね」

「墓穴掘ったな」

「あーあー。これだから下心全開の奴は」

「ちょっとはフォローしてよ!!てかホント誤解だから!信じてよ志歩ちゃん!!」


隣から肩を掴まれてユサユサと揺さぶられながらハタと気づいた。
この流れはなかなかに良いです。これを利用して昨日のペナルティを無かった事にすれば、今日のような失態を犯さないで済むはず。
そうすれば夜遅くまで眠れなくなることも、睡眠不足になる事もなく、皆さんのフォローにしっかり集中出来る。そうだそうしましょう。


「…では、そういう事で受け入れましょう」

「志歩ちゃん…!!」

「その代り、」


昨日のペナルティ、無かった事にしてください。
出来る限り自分に出来る最高の笑顔で及川君に告げたら、今度は彼がスンッと表情を無くした。


「それは、嫌です」

「!?」

「絶対に、拒否!」


ハッキリそう言いきった及川君はそのままガツガツと朝食を食べ始めた。
そんなにも私にペナルティを執行したいと言うのですか…!?これでは安心出来ないじゃないですか。
及川君が今までに岩君にしてきた嫌がらせというか、からかい行為を見てきたから今なら分かる。きっと私の精神的によくない事をしてくるに違いありません。
…こうなったら、合宿が終わるまで彼と二人きりになるような状態を決して作らないよう、合宿に集中しなければ。


「…なんか及川といんちょー、燃えてないか?」

「睨みあってるの?」

「よく分かんねぇが、及川をぶん殴るんだったら俺を呼べよ影山。喜んで協力すっから」

「岩君、なんて頼もしい…!」

「暴力は許してませんよ!?」


この場はそんな感じで終わったのですが…。


「俺が思うに、志歩ちゃんは警戒心が足りてないと思うんだ」

「……」


あれから練習が始まり、皆集中して励んでいたので私も集中してマネージャーとしての仕事をこなせていたのですが。
新しいタオルを持ってこようと体育館を離れたのがよろしくなかったようです。現在、及川君が眩しい程の笑顔を浮かべて私を壁に追い詰めてきた。


「ねえ、志歩ちゃん。今朝は岩ちゃん達がいたからあんまり攻めに出れなかったけど、こうなっちゃえば君一人じゃ太刀打ちするのは難しいよね」


まるで小悪魔のような笑顔。自分が有利である状況をとても楽しんでる顔です。
私は両手でタオルを持ってしまっているので自由に動かせず、それを良い事に及川君は私の顔の横に両手を着いて壁ドン体勢を維持している。
きっと彼のファンの方々なら顔を真っ赤にして喜ぶのでしょうが、自分の置かれている状況とこれから起り得る事を考えればとてもじゃないがそう思えない。


「れ、練習を放り出してまで私をからかいに来たのですか?もしそうなら、君の評価を考え直さないといけません」

「残念。俺は溝口くんから直々に志歩ちゃん一人じゃ大変だから手伝ってやれって使命を授かったんだよ」

「そんな…。何故わざわざ君なんですか。レギュラーなのに」

「マネージャーの手伝いはレギュラーだろうがそうじゃなかろうが関係無いって事だよ」


あまり納得いきませんが、嘘を言ってる様な感じはしませんからおそらく本当なんでしょう。
でも、もし本当ならなんて事をしてくれたんですかコーチ。彼は今私の中では一番の危険人物です。避けていた状況をいきなり作らなくてもいいじゃないですか…!


「そうして慌ててると、いつもと違って志歩ちゃんが何を考えてるのかすぐに分かっちゃうね。…今どうやって俺から逃げようか考えてるでしょ」

「…!」

「うんうん、素直だね。でもダメだよ。そう簡単に逃がしてあげないから」


ぐいっと距離を詰めてきた及川君は私の耳元にわざと顔を寄せる。


「折角のチャンスを無駄になんかさせないよ」


ああもう、やめてほしい。低音で耳元で囁かれるの苦手です。ゾクリと体が強張り、自然と腕に鳥肌が立った。
それを知ってか知らずか、及川君は少しだけまた距離を放して私の顔を下から覗きこんでくる。


「タオルが邪魔だなぁ」

「こ、これは、鉄壁ですから。退かしませんよ」

「鉄壁ねぇ…。まあ、あっても別に障害にもならないかな。だって…」


及川君の視線は私に向けられたままなのに、突然両手にズッシリと重みがかかった。
反射的に視線を下げたら及川君の片手がタオルを上から押さえつけており、あたかも障害なんてなかったかのような扱いだ。
確かにもともとあまり意味は成していなかったけれど、数少ない壁をあっさり潰されてしまえば私は今度こそピンチになる。


「さーて、志歩ちゃん」

「…!」

「及川さんからのペナルティ、第一段を受けてもらいましょうか」

「ま、まさか本当にやましい事なんですか」

「違うから!今朝も否定したでしょちゃんと!」


まったくもう。と少し頬を膨らませながらも及川君は次第にやれやれといったようすで肩を竦めては苦笑した。


「まあ、今までのは志歩ちゃんの色んな反応見たくてからかってただけなんだけど」

「…やっぱりからかってたんですね」

「そんな睨まないでよ。怖くないから」

「(にっこり)」

「ここで満面の笑みはやめて!怒ったの?今のちょっと癇に障ったの!?謝るから怒らないで!」


今度はさっきと打って変わって及川君が慌てだしたので、仕方なく笑顔はしまってあげることにしました。


「最近の志歩ちゃんは岩ちゃん達にばっかり優しいから、及川さんは悲しいです」

「…はあ、」

「なので、ペナルティその一。及川さんを甘やかしなさい」

「……それ、ペナルティなんですか?」

「ぶっちゃけ、ペナルティじゃなくていいんだけど、こういう機会ないと志歩ちゃんにお願い聞いてもらえないでしょ」


してやったりな笑みを浮かべた及川君は私の両手からヒョイとタオルを奪い「さて、戻ろうか」と言って先に踵を返して体育館へ歩き出した。
まさかこのペナルティが合宿中続く事になるとは、この時の私は思っていなかったので後々後悔するのでした。