面白そうだから誘拐します
『不味くはないけど美味くもないじゃんこの紅茶!』
そう言ってぷんすこしながら村娘の家を出て行った大魔王の嵐のような出入りに、彼女は出てくる言葉もなかった。
生まれも育ちも小さな田舎のこの【アオバ】という村である娘。
彼女の名はナマエ。幼い頃に両親を亡くし、今は数少なくなった村人と支え合いながら生きていた。
だが、ここしばらくは大魔王が勢力を増したことで世界中に現れた魔物によって人間達は恐怖に怯えるように生きている。
だが、彼等の中には恐怖に屈せず、魔王軍と戦う意思の強い者達も存在する。それが勇者達だ。
そしてナマエの唯一残された家族である実弟もまた、その勇者一向と旅をしているのだ。
けれども、彼女はそれを知らない。彼女の弟は両親が亡くなってから突然村を飛び出してしまったから。
彼女に残されたのは、家族の思い出が詰まった家だけ。その傍にある広い庭は生前、彼女の父がたくさんの野菜を育てていた場所。
戦う術も、魔物に勝つ能力もない一般市民である彼女の選んだ道は、死ぬまでこの村で生きることだった。
「忙しない人でした…」
突然現れて、突然村を滅ぼすとか言って、突然ハプニングに見舞われる。
彼女が思っていた大魔王は、あんな風に猶予を与えず、予告もなしに一瞬で終わらせてしまう冷酷な生き物だった。
けれど、いざ出会った本人は愛橋があり、どこか子供っぽく、天真爛漫な印象。
お茶に誘ったのは気まぐれ。まさか本当に一緒に飲むことになるとは思わなかったけれど、彼は結局文句だけ残して出ていってしまった。
【不味くはないけど美味くもない】
彼はお茶を飲む前に、不味ければ速攻で村を滅ぼすと言っていた。でも、不味くはないと言っていたのだから滅ぼされる心配はないのだろう。
木製の使い古されたテーブルにポツンの残された白いマグカップを覗けば予想外に空っぽだった。
「お前は【美味いお茶】を知らないんだよ」
空っぽのマグカップを手に取った瞬間、真横から発せられた声に驚いてビクついた反動で落としそうになった。
それが彼女の手から浮いた直後に簡単にも掌で受け止めたのは、ついさっき出ていったはずの大魔王。
何の気配もなく再び現れた彼に驚きを隠せないナマエは目を丸くしたまま彼を凝視。その反応の良さはオイカワに素の笑顔を浮かばせた。
「イイね、その驚きっぷり。ビックリした?」
「………はい。とても」
「うんうん。怖がるカオも好きだけど、心からの素の表情はもっと好きだよ」
にっこり笑みを浮かべたオイカワは彼女の手持無沙汰になった両手にポスリと一つの袋を乗せた。
赤いツヤツヤした袋に入った茶葉だ。見るからに高級品であるそれに、ナマエは再び目を丸くする。
何故こんなものを私に?心底不思議でならない疑問をぶつけるべく再びオイカワを見上げれば、彼は彼女の横で腕を組んで告げた。
「何ボケっとしてんのさ。早く淹れてよ」
「……え?」
「え、じゃないよ。この俺がわざわざ持って来てあげたんだから、さっさと準備してよね」
さっきまで彼自身が座っていた古びた椅子に再び腰かけたオイカワに合わせてイスがギシっと鳴る。
続け様に「ほら、早く早く」と急かす様にテーブルをべしべし叩いて彼女に訴え始めた。
この人の意図が全く分からない。飲みたいなら自分の家で淹れて飲めば良いのに、何故ここに持って来て飲もうとしているのだろうか。
初対面の相手の事を一瞬で理解するなんて不可能なのは分かり切っているのに、彼の事が分からなさ過ぎて頭痛を覚えるナマエ。
しかし彼はこの紅茶を淹れて飲むまで満足しなさそうだ。静かに溜息をついたナマエは、言われるがまま紅茶の用意を行った。
「どうぞ」
コトリと静かに置かれたのは、先ほど彼女が落としそうになった白いマグカップだ。
何の変哲もない普通のマグカップに淹れられたのに、高級な茶葉を使った紅茶のためか品が良く見える。
その出来に満足そうに頷いたオイカワだが、何かが気に入らなかったのか眉根を寄せて彼女を見やる。
「…何ですか」
「ねえ、紅茶だけ?」
「…はい?」
「普通さ、お茶に合うお菓子がセットだよね。何もないの?」
ひくっ。彼女のこめかみが引きつった。
突然現れて、突然茶葉を取りに行って、紅茶を用意させるだけじゃなく、茶菓子を要求してくる大魔王。
私はあなたの召使じゃないんですけど。
言いたくても文句の一つでも言った瞬間、もしかしたら村を滅ぼすかもしれない。そんな危険を回避するべく、彼女はあくまでも笑顔を貼り付けて棚を漁る。
「あ。何これ初めて見るやつ」
「あ、ちょっと…!」
またしても気配無く、今度は背後に突然やってきていたオイカワによって先に取られてしまう。
彼が興味津津に手に取ったのは丸いアルミ缶に入ったクッキーの詰め合わせ。
貧しい村に住む人間には縁の無さそうな高級な茶菓子だ。何故こんなものをこの娘が持っているんだ?と疑問を感じたオイカワは無言で彼女を見下ろした。
「返して下さい。それはあげられません」
「何でこんなものをお前が持ってるワケ?到底手が届く品じゃないよね」
「それは、両親が亡くなる前に買ってくれたものなんです。返して下さい」
誰かが嫌がる。誰かが泣く。誰かが絶望する。そんな負の感情が生まれる行いをするのが、彼の特技であり、役目でもある。
もしこれを彼女の目の前で灰にしたら、きっと彼女は悲しむ。怒り、自分を憎むかもしれない。たかがお菓子一つ程度で。
この娘は特殊だ。本来なら今の状態でも魔王が傍にいるのだから平気でいられるはずがないのに、普通に息をして、当たり前のように立っている。
―――それ自体が、おかしいのだ。
「そんなに返してほしい?」
「当たり前です」
なればこそ、この娘が悲しんだ時、絶望した時、どうなるか見てみたい。
魔王のプレッシャーを物ともしないイレギュラーな存在の真実を目にするために、オイカワは口角を上げて彼女を見据えた。
「なら、尚のこと消さないと」
「…え…」
刹那、ボッと音がした瞬間、彼女の目の前で彼の手が燃えた。
赤黒い血のような炎が、彼自身の手から放たれ、彼が持つ彼女の大切なそれごと燃やしたのだ。
本当に一瞬だった。制止をかける時間すら与えられず、彼女の目の前で両親が残してくれたそれが灰となって失われた。
「ねえ、今どんな気持ち?」
甘ったるい囁きが彼女の鼓膜をくすぐるように這う。
返してと訴えたものは失った。手に戻ってくることもなく、目の前で―――…。
瞳を揺らし、静かに俯く彼女はきっと絶望しただろう。今や亡き両親が最期に残した物を奪われたのだ。
さあ、ちゃんと見せてくれ。絶望に押し潰されそうになっているお前を。
オイカワは期待に胸を躍らせながら彼女の顎を指ですくい上げて覗きこんだ。
「満足しましたか?」
彼女は、笑顔だった。
涙を流す事もなく、怒りに震えるでもなく、絶望に嘆くこともなく。ただ、笑顔だった。
「…なんで、笑ってるんだよ」
信じられなかった。普通なら、大事なものを奪われたら、怒ったり泣いたりして訴えるだろ。それなのに何故、お前は笑っている…?
オイカワは理解出来なかった。予想していた事とは全く違う事が目の前で起きているから。
泣けよ。悲しめよ。怒りにまかせて怒鳴り散らせよ。なのに何でお前はそうしない!?
「怒りも、悲しみも…全部、使いきってしまったんです」
「…何?」
「両親が死んだあの日に。ぜんぶ、ぜんぶ、無くなってしまいました」
だから、私は泣きません。だから、私は怒りません。
残された感情なんて、ほんの僅か。
大事な物は守りたい。だけど、失ってしまったら、それ以上の事は何もない。何も出来ない。
「満足したのなら、どうぞお引き取りを。ここにはもう、あなたが望むものはないでしょうから」
彼女は笑顔のままオイカワを置いて家から出ていった。
一人残されたその場所は、嫌に寂しく感じさせる。彼女が居なければ、この家には誰も居なくなる。残されているのは、彼女だけだから。
「…なんだよ、それ…」
俺が見たかったのは、あんなものじゃない。
俺が本当に見たかったのは――――。
「おい!」
出て行った彼女をあっという間に見つけたオイカワは、再び彼女の背後を取り、その腕を強く引いた。
強引に振り向かされたナマエは、慌てたように顔を背ける。しかしオイカワはそれを許さなかった。
「ちゃんとこっち見ろよ」
「―――っ」
もう一度、しかし今度は力強く顎を掬いあげられてとうとう彼の目に顔を映すことになってしまったナマエは、僅かながら抵抗した。
だが、そんな彼女の顔を見た瞬間、オイカワは言葉を飲み、同時に小さく舌打ちをする。
「何が”ぜんぶ、無くなってしまいました”だ」
彼女の頬を濡らす一滴の涙。ゆっくりと伝ってオイカワの指を僅かに濡らす。
彼は顔を背けたがる彼女の反抗を許さず、彼女の顔を自分の方に引き寄せ、その涙を舌で掬い取った。
「……甘いんだな、人間の涙って」
それとも、お前のだからそう感じるのか…?
突然の行為に最初のように目を丸くして驚くナマエ。
何とも不思議なことか。あんなにも悲しむ彼女が見たかったのに、いざそれを目の当たりにしたら気に入らなかった自分が居た。
代わりに負の感情以外のものを見せられると、何故か興味が惹かれる。
「お前、面白いな」
オイカワは彼女の顎から手を離す代わりに、今度は細い腰に腕を回してグイッと自身に引き寄せた。
だが、すかさず彼女は抵抗し、彼の胸を押し返す様に両手を突っ張る。
「は、放して…っ」
「さっきのは返してあげる。だから大人しくしなよ」
ぽんっと軽快な音を立てて彼の右手に現れたのは、さきほど燃やしたはずのお菓子の箱。
信じられないものを見る彼女の眼差しは、困惑を浮かべて彼に移された。
「俺は【大魔王様】だよ?この程度のこと、造作もない」
呆然とする彼女の手に強引にそれを持たせたオイカワは、大人しいのを良い事に軽々と彼女を肩に担いだ。
「え…!?な、何を…!?」
「面白そうだからお前を連れ帰る事にした」
「はい!?」
「俺、退屈だったんだよね。けど、お前みたいなのが一緒だったら少しは楽しめそうだし」
何より、今まで知らなかった事を知れる気がするんだ。
その一言は敢えて口にせず、オイカワは「下ろしてください!」と訴える彼女の声に聞く耳も持たず、颯爽と村の出口へと歩き始めた。
ああ、これからが楽しみだ。