秋も深まってきた10月、窓からの日差しが気持ちよくてソファで微睡んでいた時だった。
玄関の方でカチャリと鍵の開く音がして、誰かが部屋に入ってきた気配がした。
ここの部屋の鍵を持っているのは母親と、高校時代から付き合っている侑の2人。
侑は今日用事があると言っていたし、この間連絡をしておいた母親だろうかとぼんやりした頭で考えたけれど眠気には勝てなくてその思考を放棄して夢の中へと旅立った。
「名前、好きやで」
目の前にいるのは高校生の頃の侑で、まだ幼さの残るその顔立ちに懐かしさが込み上げた。
夢の中だとハッキリとわかってしまい、少しもったいない気もする。
「侑、私も好き」
「今日はどこへ行く?」
「侑部活やないん?」
「部活は今日なしや!やって俺の誕生日やろ?」
にこにこと嬉しそうに話す侑に(ああ、そうや。今日は侑の誕生日や)と思い出す。
そう、侑の誕生日なのだ。
一週間前からずっとこの日を楽しみにしていたのに、昨日になって「用事できたから出かけてくるわ」と一言私に告げた侑はどんな顔をしていたっけ。
侑はBJに入ってからやたらと忙しくて、練習とか遠征があるから仕方ないのはわかっていたけれど二人の時間を作る機会がめっきり減っていた。
だから少しでも一緒にいられるようにと私が大学を卒業してから一人暮らしをしたのに、この部屋に侑が帰ってくることはそう多くはなかった。
別に他に女がいるとかそういうのじゃないのはわかる。
疲れて治の店に行ってそのまま寝てしまい治の部屋に泊まったり、チームメイトとお酒を飲んで潰れたりしているのを周りの人間からLINEが送られてくるので疑いようはないのだ。
でも、その時間を少しくらい私に費やしてくれてもいいのに。
そんなちっちゃなワガママも言えないでいる私に、昨日の侑を引き止める勇気なんてなかった。
夢の中なのに涙がボロボロと目から溢れる。
「名前?泣いとるん?平気か?」
夢とはいえ高校生の侑はこんなに優しいのに。
「ううん、大丈夫やで。侑と遊べるの嬉しくて」
ぎゅっと優しく抱きしめてくれる侑に、もう夢でいいからずっとこのままがいいとすら思ってしまう。
「侑のためにケーキ作ったんやで」
抱きしめられた腕の中でそう呟けば、侑の声はもう聞こえなくて夢から醒める気配を感じる。
ああ、現実になんて戻りたくないのに。
頬を伝う涙の冷たさに目を開けると、先程までいた部屋の天井が見えた。
ご丁寧に私の身体にはブランケットがかけられていて、やはり寝る前に感じた気配は気のせいではなかったことがわかる。
重い身体を起こして音のする方へ目を向けると、母とは明らかに違う背格好に驚いた。
「侑…?」
私の声に振り返って笑う侑に、先程夢で見た高校生の侑の笑顔が重なる。
「起きたん?」
「今日用事があるって…」
「おん、指輪受け取ってきたんや」
「指輪?」
「ほれ」
私の目の前に出された箱を受け取って開けると、そこにはダイヤのついた指輪がひとつキラリと輝いていた。
「俺と結婚してください」
私の目をしっかりと見て、少し照れた風に言う侑に驚いた。
「どうして…」
「名前、俺に言ってへんことあるやろ?」
「なんの話?」
「ここ最近、ずっと体調悪そうやったの悪阻とちゃうの?」
ハッキリと口にされた言葉に天を仰いだ。
先月、いつも予定通りに来るはずの月の障りが来なくて婦人科へ行った時に、医師から「おめでとうございます」という言葉をかけられた。
籍も入れていないどころかプロポーズもされていない現状で、侑にこの事実を告げる勇気なんて全くなくて、引き出しにもらったエコー写真をしまいこれからどうしようかと悩んだ。
先週、2回目の診察を終えて母親には連絡したのだけれど、まさか侑が知ってるとは思わなかった。
「お母さんから聞いたん?」
「いや?なんとなくそうなんかなって」
「え、勘?」
「…サムに、名前が飯食わんようになったって相談したら悪阻なんちゃうかって」
なるほど、治か。
侑が気付くとは思えなかったが、治なら納得だ。
以前常連さんが悪阻で悩んでたって言うのも聞いたし、この間会った時になんとなく気づいたのだろう。
「で、どうなん?」
「…今3ヶ月」
「やっぱり!俺の子やんな?」
「うん、そう」
「俺父親になるんやな!?」
「だからそうやって」
何回も確認する侑の顔を見たら、見たことがないくらいに喜びを噛み締めていて、今までの悩みが杞憂だったことがすぐにわかる。
「なら早いとこ籍入れよか!今日役所行って婚姻届もらってきたんや。証人のとこにはサムと北さんに書いてもらったから後は名前が書くだけやで」
「えっ?待って、なんて?」
「俺今日誕生日やろ?誕生日プレゼント、名前のことくれへん?」
「ちょ、展開が早くてついていけない…」
「まあええやん。ほら、提出しに行かんとやし。あ、車出したるから心配せんでええで」
親への挨拶もしていないのに…。
いや、お互いの両親はもう顔見知りだしそれこそ形式的な顔合わせだけども。
「ん〜、人生で最っ高の誕生日やな!」
侑の嬉しそうな顔に何も考えていないのだけはよくわかったけれど、それでもいいかと婚姻届に記入していく私もまたこのアホに毒されているのだろう。
「お誕生日おめでと、侑。冷蔵庫にケーキ作ってあるから後で食べようね」
うたた寝
夢か現か「好きやで」って聞こえる
将来の話
渡される指輪