愛の酷薄

前提として言っておくけれど、 僕は自分のことを異常だと思ったことなんて、一度もない。
僕はただ綺麗なものを集めたいだけであって、 それが世間一般の基準から少し外れている、というだけで。
.…まあ、嫌がる相手から貰うことがあまり良くないことなのは分かっている。別にだからと言って、 僕が異常だという理由にはならない。
世間一般の言う常識なんて僕は信じていないし、それに合わせることは出来ても、本質を変えるのは難しいことだ。
強いて言うならば、 僕はほんの少しだけ、人より我儘なのだ。
だから君が抵抗しなければ、 僕も早く用を済ませられるし、君も苦しまずに済むんだけれど。

「…無理みたいだね?」

僕の目の前に座っている一というよりも、拘束されている、と言った方が正しいかもしれない一彼女は、僕に対する嫌悪感を隠そうともせずにこちらを睨み続けている。
数時間前まではあんなに熱を持った瞳で僕のことを見ていたというのに、今や視線だけで僕を殺しそうな勢いだ。こわいなあ、と僕が呟くと、彼女は今度は酷く大きな声で喚きはじめた。その甲高い声に耳が痛くなった僕は、思わず片手で頭を押さえる。
はあ、とひとつ溜息を吐く。 この子もそうだ。いつだって、 僕の趣味は誰にも理解してもらえない。
そのかわいらしい顔を歪ませている理由を作っているのは僕自身なのだけれど、その表情にその結麗な瞳はあまりにふさわしくない。
もういいや。君には飽きちゃった、そう呟くと、 彼女は叫んでいた声をふ、と止めた。
解放されると思っているのか、ほんの少しの期待と媚が含まれた視線を受けながら、僕は黙って傍にあった抽斗を引くと、すっかり使い慣れてしまった道具を取り出した。
彼女の瞳の色がさっと変わる。 怒りから、恐怖に染まって怯えきった瞳へと変わっていくのを見て、僕は少しだけ笑った。

「うん、その方がかわいいよ」

ーその言葉が彼女に届いていたかなんて、 大切なコレクションを手にした僕にとっては、 もうどうでもいいことだった。

*

幼いころから、ものを壊すのが好きだった。
作るよりも、完成されたものをバラバラにすることに、僕は愉しみを覚えていた。
それを両親に咎められるまでにそう時間はかからなかったのだけれど、そう言われて素直にやめる子供などそうそう居ないことだろう。
その日から、僕は両親の目を盗んでその「だいすきなこと」を続けることにした。
しかし、子供というのは飽きっぽい物だ。変化が無くなると、 楽しかったはずのことが、 酷くつまらなく覚えてくる。
僕はその日も公園で蝶の羽を毟りながらぼんやりと公園にいる子供たちを眺めていた。虫と言うのは簡単に捕まえられるのはいいけれど、 壊れてしまうのも簡単でつまらない。

その頃の僕はと言うと、 中学生ともなればすっかり壊す、ということに飽きてしまっていて一だからといってそれ以外に興味が向くことを見つけられず、ただ同じことを繰り返すような日々を送っていた。
遊ぶような同世代の友達も居ない僕は、休みの日になると、こうやって手持無沙汰に何か壊せるものがないかを探していた。
しかし残念ながら、今日も興味を引くものは見つけられそうになかった。帰って宿題でもして寝てしまおうかーと、そんなことを考えていた僕の目に、公園の端の人だかりが映る。

僕よりいくらか年下の子供たちの集まりのようだが、単に遊んでいるわけでもなさそうだ。
近寄って、輪の中心を覗き込む。頭一つ分抜きんでている僕の身長があれば、それは簡単なことだった。
しかし覗き込んだ僕の目に映ったのは、酷くつまらない光景だった。
ぐすぐすとしゃくりあげる声に、 涙でべたべたになった顔、 擦り傷や打ち身でできたであろう内出血。
よくある光景だ。 わざわざその言葉を使うまでもなく、 集団生活では起こりうること。

「何してるの?」

本当はとっくに理解していたのだけれど、 僕は声に出して問いかける。
振り返った子供たちは僕に何か言おうとしていたけれど、 僕が制服を着ていたせいか、 気まずそうにもごもごとロごもり、蜘蛛の子を散らすように去って行った。子供と言うのは、こういった単純な見た目の違いで優劣を決めるものだ。
けれど僕は立ち去って行った子供たちには興味はなかった。 そのまま地面にしゃがみ込むと、未だに泣き止まない彼へと声をかける。

「大丈夫?」

出来るだけ心底心配そうな声を出すように心がける。別に正義感や同情心でこうしたわけではなかった。
ただ、僕は壊れかけている彼を、もっとはっきりと、 鮮明に見たかっただけだった。 少なくともあのまま虫の羽を毟って遊ぶよりは、もっと有意義で楽しいことだろう、と思ったのだ。
ビクリと目の前の彼の肩が震える。長い前髪に覆い隠されてしまっていて、俯いていると殆どその表情は見えない。
もう誰も居ないよ。再びそう声をかけると、彼は恐る恐ると言った様子で顔を上げた。

「……、」

その目を見て、僕は思わず息を呑んだ。
潤んだ榛色の、光を受けてキラキラと反射した瞳。 それを縁取る捷毛には、泣いていたせいで涙であろう水滴がついている。明るい色であるはずのその目は酷く怯えきっていて、不安と恐怖と戸惑いをぐちゃぐちゃに混ぜて塗りつぶしたような色を宿していた。
こんなにも衝撃を受けたのはきっと先にも後にもこれが最初で最後に違いない。
それほどまでに一僕は彼の瞳に、心を奪われたのだ。
例えるならば、それは恋の様だった。それもとびきり鮮烈なー目惚れだった。
頬に熱が集まるのを感じて、僕は気持ちの昂ぶりを抑えるかのように、ふ、と息を吐く。
目の前の彼はこの状況を上手く呑み込めていないようだった。只でさえ色んな感情が渦巻いているであろうその瞳に、 混乱が混ざる。
僕はと言うとすっかり彼の瞳を前に、思考も何もかもを失いそうになっていたけれど、 彼のその表情に気付いて、 慌てて取り繕うかのように笑みを作った。

「怪我、手当てしないとばい菌が入っちゃうかもしれないから、 洗った方がいいよ」

そう言うと、彼は未だに困惑したような表情を浮かべていたけれど、こくりと小さく領く。
よく見てみれば、ただの幼い少年だ。特別顔立ちが整っているわけでも、目立った容姿をしているわけではない。けれど髪の隙間から彼の瞳が覗くたびに、僕の心はどうしようもなく昂ぶっていた。
僕が立ち上がって手を差し出すと、 彼は再び怯えたようなーというよりも、 混乱しているのだろうか、 窺うように僕の手を見つめる。
そうやって暫く彼は迷っていたようだったが、きゅ、と薄い唇を噛みしめると、恐る恐るといった様子で僕の手を取った。
それから、もごもごと小さく何か咳く。 あまりに小さいその声は僕の耳には届かず、 僕は首を傾げて再び彼の前に屈んだ。

「どうしたの?」
「…、……」

目を覗き込もうとすると、つい、と視線を逸らされる。
僕はそれに酷く落胆したが、彼のような日常的に虐げられている子供ならば、 そんな態度になるのは仕方のないことだろう。
じっ、と彼の言葉を待つ。僕の視線を横顔に受け続けていた彼は、観念したかのように一度ぎゅっと目を瞑ると、先ほどまでと違う感情を湛えた瞳で、僕に言葉を返した。
ありがとう、と言ったその瞳は喜びと不安で揺れていて、 その美しさに僕が再び言葉を失ったのは、言うまでもないことだろう。

*

目を開く。懐かしい夢を見ていたと、寝起きのぼんやりとした頭で考える。
あの少年とあれから会うことは、二度となかった。理由は明白で、僕が家庭の事情でそれから間もなく引っ越しをしたからだ。
あれから十数年が経ち、今や僕もすっかり大人になった。 彼も恐らく、 もうすぐ成人するくらいの年齢なのだろう。 記憶の中の彼の声や表情はすっかり失われてしまっていて、それでもあの瞳のことだけを、僕はいつまでも忘れられずにいた。
連絡先の一つでも、いや、せめて名前だけでも聞いておけばよかった、と当時の僕は酷く後悔したものだ。
僕は別に彼に恋をしたわけではなかった。 実際、僕は彼の瞳以外に興味は持てなかったし、僕はその後数えるのも面倒なくらいの人数の恋人を作った。

それなのにどうして彼に執着したかと言うと一彼のお陰で、僕は新たな「だいすきなこと」を見つけることが出来たからだ。
視線を感じて、横へと視線を向ける。そこには先ほどまであのかわいらしい彼女のものであった二つの瞳がじっと僕を見つめていた。
それは美しく埋めく宝石の様で、僕は思わずうっとりとそれを見つめてしまうけれど、これは本物じゃない。
僕にとってただーつの本物の宝石は彼の目なのであって、それ以外は全て贋物だ。どれだけ似ていたとしても、彼の目には敵わない。

(そう、 ずっとそう思ってたんだ、でも)

けれど僕は、彼に代わる本物を見つけた。
今度は瞳だけではない。全てが愛おしくて、かけがえがなくて、大切な一僕だけのものだ。他の誰かに渡すなんて、有り得ない。
スマホを取り出して映し出された時刻を確認する。時刻は深夜だ。世の中の人間はとうに眠っているであろう時間だが、僕は身支度を整え外出の準備を始める。
手にしたイヤホンを耳に押し込むと、 そこからガサガサという物を漁るような音に混じって、ぼそぼそとした声が聞こえてきた。どうやら持ち物の確認をしているようだ。
その声を聞いて思わず笑みを零しながら、僕は自室の壁へと手を這わせた。
壁一面をびっしりと埋め尽くす写真に写っているのは全て同じ人物で、しかし彼は芸能人などの類ではない。彼は僕の恋人だ。 今は違っても、すぐにそれは事実になるのだから、そう大差無いことだ。
もう一度言っておこう。 僕は自分のことを異常だと思ったことなんて、一度もない。
だからこれが世間一般にどう思われるかだとか、常識だとか、 倫理だとかはどうだっていいことで。僕は彼を愛しているし、彼も僕を愛するようになる。それだけが、僕の中の真実であり、現実であり、愛の証だ。
最後にカメラを手にして、自室の扉を開く。今夜は彼とずっと一緒に居られる。こんなに嬉しいことはないだろう。
早く彼を僕のものにしてしまいたい。 そうやって誰にも見られないところに隠して、 僕のコレクションの中でも一番立派で綺麗な場所に彼を飾る
んだ。
そうすれば、僕のこのどうしようもなく空虚な胸の虚しさも、 きっと埋められるに違いないのだから。

「……その時が楽しみだね、 清慈」

自身の瞳が深く沈み、 昏い光を湛えていることには気付かないフリをして一僕はそっと、扉の鍵を閉めた。