神さまがきみに優しかったころ

僕には大切な友人がいる。
親友、だなんて表現をすれば彼は鼻で笑って陳腐な表現だとでも言いそうだけれど、彼のことを一言で紹介するならばその言葉がきっと一番ふさわしいのだろう。
彼とはかれこれ十年来の付き合いになる。
名前を花菱幸人と言う。彼本人はこの名前があまり好きではないらしい。僕は彼のご両親がよく考えたことが伝わってくるいい名前だと思うのだが、昔それを伝えたら彼は小馬鹿にした声で僕のことを笑っていた記憶がある。失礼な男である。
少し話しただけでもわかるとおり、彼は随分と捻くれた性格をしている。

僕の話もしておこう。僕の名前は天秤憲と言う。職業は弁護士。身長も顔立ちもごく普通の、 …恋愛経験は人より少ないかもしれないが、とにかくこれといって目立つような特徴もない成人男性だ。
性格は、まあ真面目な方だと思う。昔誰かに真面目が服を着て歩いているような男だと言われたことがあるから、きっと他人から見てもそうなのだろう。

要するに、彼一幸人とは、対極にいるような性格なのだ。
そんな僕達だが、先ほど話した通り、付き合いの長さは友人の中でも群を抜いている。
お互い就職した後でも月に一回程度は会っているから、社会人としてはかなり頻繁に会っているし、仲のいい方だと思う。
まあそれは、幸人の仕事のお陰ともいえるかもしれないが。
彼は小説家を生業にしている。だから弁護士のように休みが少なく勤務時間がバラけている職業の僕とでも、ある程度であれば予定を合わせて会うことができるのだ。

僕は彼の書く話が好きだ。 内容が面白い、と言うのは大前提として、心理描写や登場人物のことを読み込むと、彼の内面がほんの少しだけわかるような気がするからだ。そんなことを言うとまた彼には嘲笑されてしまいそうだが。
僕は先ほど話した通り真面目で、ついでに他人からの評価を上げれば正直物、頑固、融通が聞かない、頭が固い…最後の方は悪口のような気がしないでもないが、とにかく物事を推し量ることは出来ても自分から何かを思いつく、ということが苦手だ。僕には逆立ちしたって幸人の書くような話は書けないだろう。
だから僕は彼のことを友人だと思っているが、小説家として尊敬もしている。まあそもそも人間同士の付き合いというのはお互いへの敬意があって成り立つものだと僕は考えているので、当然と言えば当然なのかもしれないが。
それは伝えておいた方がいいだろうと思い、以前一度作品の感想とともに尊敬していると伝えたら真っ赤な顔で殴られた。僕には何も思いつかなかったが何かが彼の気に障ってしまったらしい。本当に何を考えているのか分からない男である。

とにかく彼は普段ほとんど自分の話をすることが無く、また湾曲した表現をしがちな男なので、僕には何を考えているか分からない時が多々ある。そんな彼だが、根は素直でいい奴だと思う。これは僕のただの勘なのだが、そもそも僕は曲がった人間や間違った人間が大嫌いだ。だから彼が本当に救いようのない性根のねじ曲がった人間なら、僕はとっくに付き合いをやめているだろう。
恐らく。

それに彼は分かりにくいところもあるが、優しい人間なのだ。...本人はそんなこと、口が裂けても言わないだろうが。
僕が何故そう思うのかの話もしておこう。
僕は体力がない。それはもう恐ろしいほどにない。別に運動が嫌いだとか家から出ないだとかそんなことはないのだが、流行風邪は必ずと言っていい程罹るし朝の通勤電車で人の波に揉まれるだけで息切れしてしまう。恐らく原因は幼少期に患った大病のせいなのだろう。今は人並みの生活を送れるほどにはなっているが。
そんな僕だから、今でも法廷での弁論が白熱してくると息が続かず倒れてしまったり、どうしても行かなければならない裁判の日に風邪をひいてしまい、無理して向かってやはり気絶してしまうことがあった。
そんな時に目を覚ますと決まって両親か一幸人が居て、まあアイツは僕の弱っている姿を見て酷く笑っていたから性格が悪いことこの上ないとは思うのだが、連絡をくれた知人は居ても、わざわざ来てくれたのは友人の中でも彼だけだった。
彼のその気遣いが嬉しくて礼を言ったところ暴言とともに見舞いの品を顔面に投げられたが、あれはきっと彼の愛情の裏返しというやつだろう。...多分。あまり自信はないが。
だから僕は幸人のことが好きだ。とても大切な、かけがえのない、友人だと思っている。

随分と前置きが長くなってしまった。
話が長いのは僕の悪い癖である。本題に入ろう。

僕はその一大切な友人である、幸人に、告白をされた。
罪の告白だとかそういったものではない。所謂恋愛感情、愛の告白というやつだ。
それを聞いた時の僕はと言えば、…そう、その時の僕は、少し前に職場で知り合った女性と一結婚の約束を、した後だった。
半分ほどはお見合いのような形だったかもしれないが、僕は自分の意志で、彼女に好意を持って、好きだと、結婚したいと思った。
だから、僕はそれこそ清水の舞台から飛び降りる気持ちで、プロポーズをしたのだ。
優しくてかわいらしいひとだ。いつも仏頂面の僕とは違い、よく笑う。少し控えめな性格で、おっとりとしているがとても教養のある、そんな女性だった。
僕はそれを先日彼にも報告したばかりで、だから僕は最初彼が何を言っているのか、言葉を脳で理解していてもその意味が全く頭に入ってこなかったのだ。

数秒、いや数十秒ほど動けずにいただろうか。僕は彼の言葉の真意を尋ねようと口を開こうとして、彼の顔を見て再び閉ロしてしまった。
彼が、幸人が、今まで付き合ってきた中で見たこともない、酷く沈痛な表情を、 それこそ、まるで大罪を犯しているかのような顔で、僕から必死に目をそらしていたからである。
流石の僕でも、彼が冗談や揶揄でその言葉を口にしたのでは無いことくらい、分かった。痛いほどに分かってしまった。
何故僕のような男にだとか、一体いつからだとか、どうしてこのタイミングでだとか、聞きたいことは山ほどあった。
ただ、幸人のその表情を見ていると、僕が今彼に返すべき言葉は、質問などではないのだろうということだけは理解できた。彼が欲しているものは、きっとそんなものではない。
…それに、僕は、こんなことを考えてしまった時の僕は、恐らくどうかしていて、酷く不謹慎だったと今でも思うが、少し、嬉しいと思ってしまったのだ。
彼の、幸人の、隠してきたであろうその気持ちを、僕に伝えてくれたことが、皮肉屋で分かりづらい彼の、なんの湾曲もない、真っ直ぐな思いが、僕に向けられていたことが。彼の、その想い自体が。僕は、嬉しかった。
だから僕は、彼に真っ直ぐ向き合って、彼のその告白に−嘘偽りない、返事を、返したのだ。

それを聞いた彼は、俯いて、…
…僕は、……その後、…幸人は、僕たちは、一体、…


*


体を揺さぶられる感覚を覚え、瞼を開く。
そこには不安げな表情の、…僕の大切な恋人である、幸人が居た。
僕の顔を覗き込んでいた幸人は、確かめるように僕の頬に触れると、心配そうな声色で僕に話しかけてくる。


「憲、……魘されてたけど、平気か」
「 …ああ、……?」

寝起きで頭が上手く働かない。何か酷く悲しい夢を見ていた気がするのに、思い出せない。
僕の頬にひやりとしたものが当たる。目をやるとそれは幸人が左手の薬指に嵌めている指輪の感触だった。僕の左手にも、揃いの同じ指輪がある。
それを見た瞬間に、僕の意志とは関係なく、頬を熱いものが伝った。

「……泣いてるのか?」

幸人が声をかけてくれるが、僕はそれに返事すらできずに俯く。
何故だか分からないが心が張り裂けそうなくらい悲しかった。自分でもどうしようもないくらいに胸が締め付けられて、このまま呼吸が止まってしまうのではないだろうかと思うくらい喉が苦しくて、僕は思わず歯を食いしばる。
涙は止まりそうになかった。幸人が側に居てくれて安心しているはずなのに、僕は心のどこかに大きな穴が開いてしまったような感覚を覚えたまま、途切れ途切れに言葉を零す。

「……、…大切な人が、居なくなる、夢、を見た、気がして…」

僕のその言葉に幸人は少し黙り込むと、そのまま僕の背中を優しくさする。まるで幼い子供を宥めるようなその手つきに少し羞恥を覚えるが、強張っていた僕の体の力が抜けていき、酷く安堵しているのが自分でも分かった。

自分でもどうしたのか分からなかった。僕が見たのは、ただの夢だ。夢なのだ。早く、早く全部忘れてしまいたい。
幸人の方に身体を預ける。彼の体温が温かい。安心する。大丈夫だ。彼は、僕の大切な恋人は、ここに居る。
僕は左手の薬指に嵌められた指輪に一度だけ目を落とすと、そっと目を閉じた。