おはなし倉庫

▼2018/09/02:爾ヱと慧音 --長文

『願いはあるか』






いろは唄の空
(ジラーチ/ビクティニ)






千年の夢。
目の前の世界を全て白黒で褪せていると認識せざるおえないのと目の前の世界を全て白黒の褪せたものだとしか認識しないのでは、どちらが幸福だと言えるのだろうか。何も言えない口と何も言わない口なら、どちらが薄情なのだろうか。占うことで世界を呪うのと占わずに世界を呪うのとでは、どちらが正義なのだろうか。夢を見続けたまま死ぬのと夢を見ないまま生き続けるのとでは、どちらが苦しいのだろうか。どちらも愛というものを知り得ないのに他人に依存している。放つ言葉は他人を傷付ける。

(自問自答を繰り返した)

『七夕の日に帰った僕ら含む同胞達は、必ず七夕の日に帰ってくるのさ。たとえばそれが死んでたとしても、必ず元の場所に帰ってくる。帰ってきては変わってしまった世界に絶望するんだって……ね、僕たち獣はなんて可哀想な生物だろうね。僕だってジラーチだけど、それ以上でもそれ以下でもないし、仕方なく君をそばに置いてやってる。感謝するべきなんだよ。そして君は何故、長である黄泉を嫌うのかと僕に言った。嫌うことに意味を必要とするなら、人を好きになることにも誰もが納得するような意味がなくちゃいけない。嫌いだから嫌い。それでいいじゃない』

爾ヱは喋ることが出来ない。むしろ口を開けることが出来ない。昔々に黄泉に錦糸を無理矢理縫われてから、今の今までしっかりと縫われた糸がほどけることは、一瞬たりともありはしなかった。脳内に直接響いてくる説教と皮肉混じりの冷淡な声を聴きながら、慧音はそうだねと悲しい瞳で同意することしか出来ない。彼ら二人は、数在る神の中でも比較的若い部類に入る。否、神というよりかはむしろ、ジラーチのような占い裁く道を歩む者達のことは、観測者とした方が正しいかもしれない。ビクティニにはどうあれジラーチは貴重個体種であり、星には数匹しか存在しないという。確認なんてしたことはない。前述して爾ヱが述べているように、彼には死という概念が備わっていなかった。
死ねば生まれる。
生まれれば死ぬ。
それだけだと。

「……でも、それで良かったのならさとねだって何も言わないよ、爾ヱ。爾ヱの黄泉様に対する感情はあってはならないものでしょう…?さとねはみんなが幸せだったらいいなって思うから、爾ヱに聞いているのに」

『幸せだよ、あいつも僕も。昔から変わらない。昔から僕たちはお互いを理解しながら、まったく理解し合わないで生きている。僕は生憎、殺されてから数千年はユメの傍で眠っていたし、その期間は知らないけど……あいつはユメが死んでから変わったよ。前から嫌な奴だったけど、それがもっともっと限りなく黒に近い星空の中で平気な顔をしてるくらいに気持ち悪くなって、ほんとに嫌な奴になっちゃった』

「それでも黄泉様は、さとね達のために箱庭とソト、二つの世界を占ってくださっているんだ。君もさとねも、あの方のために尽くさなくちゃいけないのは分かっているでしょ」

間を開けずに言う。

『それはね』

それから二人とも何も言わないまま、ただ時間は流れていった。満天の星空は相変わらず、不要になった星を地へと落としていく。爾ヱの瞳にはそれがいったい誰の運命であるか、新しい生命がどう輝くのか、いくつの犠牲があるのか、全てが手にとるように見えていた。見えるだけで影響はまったく及ぼさない。及ぼしてはいけないルール。慧音は優しすぎるからきっと介入しないことができないのだろうに、何故星詠みなどを目指しているのかと平生爾ヱは思考する。悪趣味だと思う。爾ヱは星が嫌いだった。黄泉も嫌いだろうことを知っていた。ジラーチに星好きがいるのならば、会ってみたいものだとすら考えていた。生きることも死ぬことも出来ない命を呪わないではいられないのは必至。ビクティニであり、限りある命を持つ思考の慧音には理解し難い感情だろう。しかし爾ヱがそんな慧音を羨ましいと微塵も感じないのには、一種の要因として爾ヱが自分の運命を受け入れて諦めてしまっていたせいがあった。
突然の寒気に爾ヱはぶるりと身を震わせて、一方、慧音は我関せずの鼻歌まじりに、二人は秋夜の冷たい風を頬に感じつつ小高い丘の上、箱庭を望む場所でただ星を見る。いつからか習慣となってしまったこの非生産的な行為は、立場が違ってしまった幼なじみ達の絆をかたく繋いでいた。風は身体の体温をじわじわ奪っていくとしても、それでも二人は動かない。理由などやはり必要ではないのだ。

『……今日は冷えるや』

「だけど星がよく見えるからさとねは我慢できるよ。爾ヱはもう少し厚着した方が良かったと思うけど…あ、さとねのお洋服いる?……っ、くしゅん。えへへ、寒いからさ!」

『いらない』

馬鹿を見るような軽蔑した目で、爾ヱは慧音を見た。慧音はいつもながら厳しいねと慣れた笑い返して、空に浮かんだ一際輝く一等星を指差す。

「ほらあの星、綺麗!」

『僕には真っ黒な空にただ白い点があるだけにしか見えないけどね。色がない星はどれもただの点。運命を繋ぐためにあるだけの罪深い点だ。綺麗なわけないじゃない』

「そうやって、なんでも難しい方向に持っていかないでよ。さとねはただ爾ヱと星を見れたらいいなって思ってるだけなんだから。ひねくれてるのもいい加減にしないとさとねだって怒るんだからね」

『はいはいお好きにどうぞ。あーあ、鳳朱に早く会いたいなぁ…鍋したい。プリン食べたい。眠い。お腹減った。そうだ、鳳朱も神様とかになっちゃえばいいんだよ……ね、慧音もそう思うよねぇ』

「もう知らない!」

頭上を流れる命を見ないフリをして、変わらない夜空を二人は憂う。不意に聞こえた草を踏む足音に振り返ると、見慣れた風貌で相変わらず、無愛想に無作法に星を操る黄泉が無表情で立っていた。瞳に若干の悲しみを浮かべ無言のままの状態の黄泉に対して、爾ヱは不満げな表情で軽く頭を下げ、慧音は敬愛を込めた表情で恭しく頭を下げた。黄泉はさながら感情がないように誰の前でも振る舞うのには、彼が生きとし生けるものが全て無駄としか認識されていないのだということを爾ヱは知っている。爾ヱが黄泉を理由がなく嫌いでいるのも、そんな黄泉の黒く純粋な心に鳥肌が立つことが少なからず起因していたのだった。ミステリアスの一言で片付けてしまえるのなら、慧音のように白痴の馬鹿なのだととかく思う。
いつ死ぬのだろう。

(他問他答を繰り返す)

他人を傷付けてしまう言葉を発する口は削ぎ落としてしまえばいい。他人に依存しているからこそ、どちらも愛を知り得ぬままで存在している。結局はどちらも苦しくて、どちらも正義で、どちらも薄情で、千年という短い時間軸においてはどちらも幸福なのである。夢の中で夢を見て蝶々の夢だと錯覚するくらいなら、大切だったもの全てを捨ててしまって夢に依存出来なかった身体に罰を与えてしまえばきっと楽な生き地獄。
何が。
全てが。


無情の世界
(色は匂えど散りぬるを)


「自問他答はしない」
「他問自答もしない」
(何も見たくないのに)





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