おはなし倉庫

▼2018/09/02:倶利伽羅 --短文

『不完全燃焼の放火魔』





お兄ちゃんでしょ。

その言葉で俺は何度も我慢をした。欲しい人形があったときも、母さんや父さんに甘えたかったときも、風邪をひいて具合が悪いときにだって、俺は我慢をしなければならなかった。母さんが始祖であって、俺は次に箱庭の統治を任される存在であるんだと耳にタコができるくらいに聞かされた。はじめはそれでも、構ってくれる両親やちやほやする使徒達にいい気になれて、自分が幸せであるような気がしていたのだ。次第に分かることは、俺の意思など存在してはいけないと我慢を強いられて欲しいものは欲しいとは言えず、ただ『神』になって姫に仕えることを目的とした人形に過ぎないということだった。俺はどこにもいない。個性を出してはいけない。両親に逆らってはいけない。このうっとおしい髪の毛だって、力の源であるから決して切ることはできない。ない、しかない。望んですらいけない。双子の妹と弟はとても可愛くて俺は大好きなんだけど、お兄ちゃんでいる自分は大嫌いでいて笑える板挟み。慕って欲しいが慕ってくれないでくれと笑顔で騙る。語る。

「おはようございます」

夢見は毎回こんなものだ。私はそれまで閉じていた目を開けて、薬の臭いでむせ返る部屋に立つアシェリア様に気を向ける。相変わらず、慎ましやかな胸の方だ。腹のうちに黒い感情を隠しているのを知っているからか、まったくタイプではない。こんなことを言うと、アシェリア様は憤怒を飲み込まずに吐き出してしまうだろう。もしかしたら、飲み込んでしまうかもしれないけれど。使徒は計り知れないほどに子供の精神状態を保っているから、羨ましいほどに謎しか残らない。子供特有の、あの底知れぬ恐ろしさを纏っているのだ。私はずっとそう感じている。

「夢見は最悪、といった顔をしていますね」

「えぇ、まぁ」

夢に耽ることなど、ここ最近していない。寝る暇があるなら仕事をこなさなくてはいけない。私がミスをすれば、それは片割れである月光院に負担がいく。冷めた顔をしてクールを装っている彼でも、過度な負担がかかることは厳しい。箱庭と星とを私たちは管理していかなければならないのだ。お互い、死ねない。倒れられない。
ふぅ、と息を吐くのと同時に、アシェリア様はいつものように暖かいお茶とともに調合し煎じた薬を目の前に置いた。母さんが冒されていた病に私も冒されている。精神病のようなものだ。母さんは常に世界を視る瞳を持たなければいけなかったから、私よりは酷い病を患っていたのだろうと思う。アシェリア様の薬はそれを抑える作用があって、私を私として繋ぎとめてくれている。発作が起きたすぐに服用しないと大変なことになるのは何度か経験した。月光院で五分、使徒がようやく制御できる暴走はなかなかに自我が戻ると辛い現実だ。焼け野原になった世界やあと少しで処理が終わっていたはずの書類の燃えカスなんかは、心に容赦無く突き刺さる。無理をしてはいけないが無理をしなければいけない仕事、役目だ。

「アシェリア様のおかげで平穏無事に保っていられます」

「心にもないことを言わなくてもいいんですよ、倶利伽羅。アッシェはあなたを実験動物のように扱っているようなものでしょう」

「箱庭最高の薬師様が言いますか」

「それに…遥華もそうでしたけれどね、あなたたちのその精神に異常をきたすそれは、苦しみを分かち合う人がいれば安定するんです。薬も今よりずっと弱いのでいい」

「母さんの…あぁ、父さんのことですね。私に所帯を持てとあなたまで言い出すんですか」

結婚なんて、妻を持つだなんてごめんだ。性癖のせいもあるけれど、私は人を愛せない。生きた人間を、と補足すべきか。欲しいものは全て奪われて生きてきたせいか、誰にも奪われたくないと感情的になって愛したものは今まで全て灰で散り散り。あの人形も、確か燃やした。燃やした時の記憶が抜けてしまっているから、本当にソレを愛していたのかはもう思い出したくはない。

「あら、最近のあなたはそのつもりでいるのかとアッシェは思ってましたわ」

「……最近?」

何か特別にした覚えがない。そもそも、使徒の前で失態や恥を晒すような行動は取らないように気を付けている。彼らは鼻が効く犬でもあって、そして蛇と同じく狡猾で食い付いたら離さず、人を陥れておちょくって笑っている狂った神なのだ。晒してしまえば最後、ネタにされるのは目に見えている。かつての月光院と同じに。

「…何かありましたっけ」

「あらあら、とぼけるのですね。アッシェは少し驚きました」

「いやいやほんとに心当たりがありませんって」

にこやかに。
しかし目線が痛い。

「あなた最近爾ヱにかまってあげてるんだって…輪廻が言ってましたけど」

その話か。

「たまたまですよたまたま。別にあの子に変なことしようとか考えてませんし、私にそっちの趣味はありません。残念でした、アシェリア様」

「まぁ、残念。てっきりあの子を稚児にでもしてしまおうとしてるのかとうきうきしてましたのに。倶利伽羅が燃やしてしまわないのが珍しいとすら」

「……ゲスいですね」

「まぁ、たまには」

ああまったく。
爾ヱとは別になんでもない、ただの友人と偽って付き合っている。お忍び(という名のサボり)で奈落のところへ行こうとしていた道中で、あの子を助けてしまったことが始まりまたは最悪。使徒補佐の任を賜っているというのに男に組み敷かれて、襲われかけているところを助けたというなんのことのないきまぐれだった。あちらは私の倶利伽羅という名を知ってはいても姿を知らない。だから鳳朱と名乗って、ソトで働かなくてはならない末端仕事まで熟す補佐達の様子を耳に入れるため利用している。奈落には兄貴の趣味は分からないとぼやかれたが、意味はよくわからない。なんの趣味だ、なんの。

「そうですか…あ、いえね……アッシェは少し喜ばしかったのですよ。気分を害してしまったのならごめんなさい。あなたが遥華のように誰かと恋仲になって、そうして幸せに死んでいくならいいことかなって思ったんです。希望に満ちあふれているじゃありませんか」

「絶望に浸らせたがるあなたの発言とは思えませんね。差し詰め、その満ちあふれている希望とやらを爾ヱを殺すか私の正体を打ち明けるか何かで、全部壊してしまおう…とか」

「察しがいい人は嫌いですよ、アッシェ」

性格が悪い。
そして彼女は質が悪い。薬瓶を棚に仕舞うアシェリア様の顔は、奥底から湧き上がる感情を抑えきれずに若干口角が上がっていた。私の不幸を酒の肴にしてやろう…そんな憎たらしい顔だ。このままここに滞在しているのは体に毒だと理解したわけで、私は椅子から腰を上げた。

「お気を付けて」

「ここは甘い言葉で引き留めるところじゃありません?…なんて、あなたはそういうタマじゃありませんね」

手早く外套を羽織る。薬瓶を腕に抱えて、空いている手をひらひらと振るアシェリア様はやはり同じ顔。お気を付けて、とは何に気をつければいいんだか分からない。息が詰まってしまいそうで、足早に出口の扉に手をかけた。

「倶利伽羅」

瞬間に冷ややかな、そして穏やかな声。甘ったるく愛想を振りまくことをやめた声がした。振り返らずに聴く。

「……大切なものほどすぐには気付かないでしょうから、あなたにとって爾ヱがどういうものかは知らない。アッシェには興味もない。でも、もしも幸せになりたいと思うのなら、爾ヱを守ってあげなさい。あの子はアッシェたちが造りだしてしまったものだから、きっとアッシェたちは無碍に扱います。道具だと認識してしまいます。大切ならば手離さないでください。これは、使徒である華陀としてではなく、ただのアシェリアからの忠告です。失ってから気付いても遅いんですから」

「珍しいですね」

「えぇ、そうですね。普段のあなたの様子ならこんなことは言わなかったでしょう。気付かれてはいないようですけど、あなたに飲ませている薬は、爾ヱと関わるようになって軽くなってきているんです。遥華の時と同じように。今回は長続き、しているようだから少し気が狂って忠告したくなったのかもしれませんね、アシェリアという人間は。欲しいなら、貪欲に生きなさいな」

女の部分が出たか、と面白いことを久々に聴いて嘲笑した。箱庭は今日も晴天。快晴。心はこんなにも土砂降り。今の私に出来ることは、らしくないことは本当にするべきじゃあないなと自戒すべき点である。こうして私みたいなゲスな人間が、純粋な人間を見ては理不尽に笑い者にするのだから。貪欲に生きることができるならどれほど楽に違いない。私は、そうではないのだけれどね。あなた方がそうした、そうさせた癖に図々しいよまったく。


神様神様お母様
(俺は私は俺は、一体誰でしょう)


握った手は小さい。握り潰してしまいそうで、慌てて力を加減した。握っていない方の手はいつもの通り、鍋の具材を袋に詰めて持ち歩く。お兄ちゃんでも最高神でもない俺は、小さくて弱い彼の友人だ。人形ではない。人通りの少ない道を二人で歩くのもなかなか悪くはないだろう。今日の鍋の話題で盛り上がりながら、この子の肉が焼けた匂いはきっと良いのだろうなと唾を飲む。ひとしきり肉の焦げた匂いを堪能して、それから真っ黒な炭と化した肉体を犯す自分は想像するだけで気持ちがいい。気分が高揚する。……いけない。深入りは絶対いけない。ただの暇潰しで、彼をそんな風に壊して汚してはいけない。急に黙り込んだ俺を心配してか、爾ヱがくりくりの丸い瞳で心配そうに顔を覗き込んできた。全てを知ったら、君は俺を恨むのだろうね。
嫌うのだろうね。

『鳳朱、ねぇ』

(やめろ)

『好きだよ、鳳朱』

我慢できない。
君を殺したくないんだ。



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