おはなし倉庫

▼2018/09/02:灯苗 --短文

『昔話をしよう』






目の前の惨状。

幾つもの機械に繋がれた目を醒まさぬ父親。見慣れた光景。しかし現状、半永久的に血液を抜かれ続けるままの父親を放置して、灯苗には話を進めることなど出来なかった。
あぁ痛々しい。

「父さ、ま…」

どこで間違えてしまったのか。父親が道を違えた時には諌めるのが息子の仕事であっただろうに。愛らしくいつも笑顔で、誰かを恨むなどという行為を知らない母親の最近は泣き顔しか見ていない。ただ空っぽの心で、『あの人にはもう私は見えてないの要らないの愛してないの』と呟く声は、灯苗には悲鳴にしか聴こえてはこなかった。兄弟姉妹の脳内に母親の入る隙間はとっくの昔に消え失せてしまっている。もう、灯苗しか母親を守ることが出来る子供がいない。第一子なのだから、涙を拭ってやらねばならない。
SOSのような。
悲鳴だった。

「創造神様に何かご用事?冥王陛下ったら、私を無視して何処に行かれるのかと思ったら」

「父様を起こせ」

「無理ね。半分死んでいらっしゃる。いつも致死量スレスレの血液を抜いてるのよ。私達、人間のために貢献してくださってるのにそれを、」

戯言は要らない。

「…母様を何処へやった」

父親を誘惑したこの妖艶な女が嫌いだった。狂女は笑顔を崩さない。灯苗は動かない父親を守るように父親と狂女の間に立っている。灯苗達の母親は狂女に隠された。無惨な姿を晒されてしまうことを恐れた灯苗は、物言わぬ父親に助けを求めたのだった。
狂女が言った。
これは事実。
確実に有言実行する。

「さっきね、外に連れてってもらったわ。それを伝えようとしたら貴方、私を無視しちゃうんですもの」

悟った。
窓に駆け寄る。
父親が加護するアースという星には、もう伝説と呼ばれる獣しか生きてはいなかった。それも、あと僅かで。人間に捕食され使役され死んでいった兄弟姉妹達を見送ったのは、冥王であった他ならぬ灯苗である。

「……か、さま…」

眼下に広がる景色。
無惨にも磔にさせられた、血塗れの母親に最早言葉は出ない。直ぐ様助けに行こうと身を乗り出せば、時と空間を司る弟と妹が道を体の自由を力を以てして奪う。首には赤い楔が憎たらしく輝いていて、狂女がやろうとしていることを、やらせようとしていることを、瞬時に灯苗に悟らせる。殺す気だ。恋敵を母親を腹を痛めて産んだ子供の手によって呆気なく。
暁の鳥が吠えた。

「聖女は火炙りが希望よねぇ…!」

響く笑い。
叫ぶしか出来ない。

「母様ぁっ!父様、起きてねぇ父様っ!母様が、母様が死んじゃう!起きて!お願いぃ…お願い、だから……も、皆…誰も僕に従わないっ…と、さまぁ……母さま、死んじゃうよぉ…」

一瞬だった。
当たり前に灯苗は無駄な足掻きすらさせてもらえず、母親が業火に呑まれて逝く様子を眺めるしかない。食べられていく。犯されていく。消えていく。何もかも全て踏みにじられて。灰かぶりの名を冠した母親は、灯苗に笑顔だけ与えて原型留めぬ灰となる。冥府にすら行くことを夫に許されないまま朽ちた。愛した人間に裏切られて消えた。
涙はもう、涙で。
涙でしかなく。

「あとは赤い楔の範囲外の貴方だけよ、美しく清廉な、憎たらしい聖女に良く似た死神様ぁ!」

愛とは何か。
母親が愛したのは誰か。何か。城内に響く狂女の足音が耳障りだった。鳴いた同胞にすらもう情など湧く暇もない。認めはしたくないけれど、憎しみに似た気持ち悪い何かしか残りはしない。串刺しにされた体は、引き裂かれた心に比べて不思議と痛くはなかった。
血を流す。

「……っ、愚かな…愚かな人間共、め……呪われろ、我ら神聖なる獣の血を、吸ったことに…後悔するが、いいっ…!」

「ディアルガ、ときのほうこう。パルキア、あくうせつだん。……また会いましょう、憎んだ人間よりも愚かで下劣なギラティナ、さん」

断末魔を吐く。

「……ライ、ラァ゛ァアァア゛ァ…!!!!!!」

薄れ逝く意識の中、虚ろな表情をしたままの父親に手を伸ばして、確かにあった筈の家族の絆を破壊したのは誰であったのかを考える。冥府を統括する神がいなくなった星は死へと導く人間がいなくなったと変わりなく、飽和して滅ぶというのにどうしたことだ。灯苗はそれを望んでいた。母親が愛した全てのものが母親の全てを奪っていく。誰一人として死という概念を悲しむことはない、そんな生きている人形達を最後には愛していた。慈しんでいた。憎んではいなかった。
幸せに死んでいく。


始まりでしかない
(探すのは面影)


暖かな光。
雛は目覚めた。





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