おはなし倉庫

▼2018/09/02:万里 --短文

『好きなものの話』





懺悔の刻。
希世希の期待は万里を精神的に殺して、万里の期待は希世希を物理的に殺す。血生臭い海の中で、お互いはお互いのために泣いた。決してそれは同情ではなく、裏切りと絶望と愛しさとぐちゃぐちゃとした感情が入り混じって吐き出す術を持たなかったからである。人に優しくなどない。自分に甘かったせいで、こうやって血の海を漂う間違いが起きたのである。その後の静寂で、希世希はようやく死ぬのだと喜んだ。万里はようやく殺されるのだと喜んだ。生を諦めた彼らを最早誰も、裁けはしない。法の外に出た動物だったものの懺悔の話。
過去の話。

「キスをしましょう」

子供の頃、大切なモノほど万里は隠したがった。自分だけの空間に全部を詰め込んで、ある日それが腐臭を放っていたところで命の存在を知った。魂がなくては腐ってしまうことを知った。だから、永愛を愛した時に万里は隠す衝動を抑えて逆に束縛するという選択をしたのである。温かみのある肉の味を何度も確かめる。不意に永愛が思い出したかのように桜色の唇から発した。

「今日、希世希さんがいらっしゃいました。万里に貸した本がまだ返ってきていないからと」

「本……あぁ、思い出しました。そうでしたね、まだ返していませんでした。それで、私がその辺に放置を決め込んでいないか確認しにきたわけですね」

「駄目ですよ、治さないと。あなたは興味がないもの、なくなったものは大事にしないから。希世希さんが心配になるのも当たり前です」

「分かってます。大丈夫ですよ。永愛ちゃんへの興味は永遠になくなりません」

そんなことを言っているわけじゃありません、と説教たがる永愛の口を無理矢理に塞ぐ。呼吸を上手く紡げず、肩で息をする彼の首筋に印を付けていけば、所有物にシールを貼った様な気になって万里は満足感を得た。万里が一方的に永愛を組み敷く。二人の交尾は獣の様だとお互いに自負していた。

「………ねぇ」

「なんです」

空を見る永愛に返す。
服を脱がす手が止まる。

「万里は私のこと、好きなんですよね。好きって…その、私は思い込んでいてもいいんですよね」

馬鹿なことを。
永愛の目に潜む猜疑心にどう罰を与えてやろうかと考えて、やめた。

「今度は誰に言われたんです」

【冥王の愛し子】が永愛の表向きの通称。【優秀な死神一族の長男を手玉に取る売女のような男】が永愛に対して裏の妬みと僻みが込められた裏の通称。苦労をかけていないと言えば嘘になった。永愛が番人として一生懸命頑張っていることを知っているのは、万里と最高神と使徒とその辺りの神しかいない。人当たりが良い分、神当たりは倍以上に悪いのだ。美しい容姿が負の要素に変わることの恐ろしさを何度も何度も、穏やかでない言動で味わうしかない。猜疑心を問われることは日常だった。思考を張り巡らせながら、厳しい目を向ける万里におどおどと迷いながらも永愛が告げる。

「…………希世希さん、が」

ぽつり。

「姉さんが?」

意外な名前を聞いた。

「万里は、心が壊れているからって…希世希さんのせいで壊れたから……その、私がいて良かったって。いつ、私は壊れるんでしょうかって…万里を愛しているのに私は壊れてしまうんでしょうか。万里に愛されていないって、分かってしまったならそれは壊れるしかないけれど」

「……意地が悪い」

「希世希さんなりの気遣いだったのだと思います。怒らないでください。私が悪く悪くとってしまうのがいけないんです」

「昔からあの人はそうです。他人の心配をするくらいなら自分の心配をすればいい。永愛に何かを言う権利はあっても、義務はない。本当に愚かな人だ」

「でも、愛してた」

頬を撫でる手に口付ける。万里の怒りを理解しているからか、永愛がそれ以上言葉を発することはない。そもそも、万里の生きる理由は永愛にある。生きることをやめられた筈のあの日に冥王は生きることを強いた。生きながらに死んだ万里に再び命を与えたのは他でもない、街外れの教会で神父をしていた永愛である。鬱血の花が永愛の肌に咲いていく。毛細血管から流れ出る血の赤さは綺麗だった。

「明日、お休みをとって久しぶりに二人で出かけましょうか」

きまぐれに。
そして唐突に。

「なら、こんなことしていないで仕事を終わらせないと。今日もサボっていたのでしょうから、そのまま明後日に持ち越しなんて死んでしまいます」

「私が?」

「あなたの部下が、です」

くすくすと殺さない笑い声をあげながら、永愛が上体を起こす。乗り上げていた万里の体をそのままにして、脱げかけていた正装を整えた。流れに乗るかのように万里も服を正す。

「何を残して来たんですか」

「扉の向こうへ行く仕事くらいですよ。あまりいい気分ではないので、いつもこうしてサボっていますけど」

「大概にしないと。陛下に怒られます。嫌なことを後回しにするのは構いませんが、扉の向こうなんて私かあなたしかいけないんです。それならぱぱっと終わらせて仕舞えば良いのに」

「それが出来たら苦労はしません。永愛ちゃんを置いて、あの空間に引きこもっていたいと、そんな風に思うのは男として夫としてどうなのか」

「心配しないでください。私はどこまでもあなたを追いかけていきます。万里は私が死んでもお世話しますって約束を破るつもりは微塵もないです。引きこもったなら、連れ戻すか一緒に引きこもるか致しましょう」

「……私も愛されたものです」

「おや、万里を愛している人間なんて沢山いますよ。私も、幽雛さんも、希世希さんも、みんなあなたを愛してる。愛しているから口を挟むんですよ」

「みんな揃って義務はないのにご苦労様ですよ。さてと…仕事に行きましょうか。晩御飯はカレーでお願いします」

「はいはい」

結局、ほだされている。万里はうん、と一つ背伸びをすると永愛の頬にキスをして、シーフードでお願いしますねと付け加えて外へと歩き出す。やりたくもない仕事に精を出すのは、守らなくてはいけない人がいるからで、万里はそれだけのために生きている。

朝が好きだった。
(そに光あれかし)

朝の来ない毎日に神は朝を与えた。万里の足が踏み入れた先は光のない未来のない、扉の向こうの闇の中。永愛の愛を待ちわびながら輪廻し続ける彼らの管理もなかなかに面白い。彼らの朝は未だ来ずに。



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