おはなし倉庫

▼2018/09/02:実架月 --歌詞

『化け物と、蔑んで』





滅びればいい。
無くなればいい。
""からは逃げられないから。


星が透き通るような夜。僕は窓辺で、星が堕ち逝く様をじぃと眺めていた。この家の主…僕の主人は未だ帰ってきてはいない。それもこれも慣れた。一人でいる事は昔から当たり前で、その程度で泣き喚くような可愛い性格もしていない。僕は夜が好き。寂しいのはそんなに好きじゃないけれど、でも真っ暗で周りが見えなくて一人になってしまう夜は好き。一人になれることへの安心感は、ずっと前にリコリスを悲しませてしまったけれどそれでも。僕はこうして、灯りもつけないで星を見ている。今日の星はいつもよりも明るい気がした。僕の決心は揺るがない。揺るがないとは思っていても、ご主人様を目の前にしてその自信はなかったから、星を見て、目を閉じて、少しの間考えて、堂々巡りを繰り返しては心を落ち着かせる。ご主人様はお優しいから、僕の考えをきっと理解はできないだろう。僕がそれを、今の今まで、今日の今日まで考えてきたことすら気付いてはいない。ご主人様が鈍いわけではない。ご主人様むしろ聡い方だと思う。気持ちを表情にも言葉にも表せない僕を読み取って、よくしてくれている。僕は結局、あの人に何も返すことができなかった無能だということを今夜体現するのだろう。無能ではなく恩知らずなのかも知れないと、ぼんやり向こう側を眺めていたら、ご主人様らしき灯りが目に入った。僕は糸が切れたように慌てて、灯りのついた部屋の方へ移動をする。おかえりなさい、といつものように迎えるのだ。平常心、偽り、悲しみ、よくはわからないけどそんな気持ち。随分と遅い時間に帰ってきたご主人様は、予想した通りにどこか気分が浮ついていて、幸せそうで、転じて僕は気分が滅入る。僕は悪い子だ。

「何か…良いこと、でも……ありました、か?」

暖をとるご主人様。距離を置いた僕。この計画は決してご主人様に悟られてはいけない。僕の最初で最期の、ご主人様につく嘘。お芝居。上手くやるためにも、僕は聞かなければいけない。何も知らない子供を演じきらねばならない。暴露てしまえば、死だ。僕の問いかけにご主人様は心底嬉しそうな声色で答えてくれた。

「うん…まぁ、そうだね。今日を、記念日にしたいくらいには…良いこと、だったかも」

ほら、当たった。
おめでとうございます。
これは心から思ってること。

「………暁闇様が嬉しいなら、僕も…それだけで嬉しい、ですよ」

にこり、と自然に笑顔を返す。望ましいこと。ずっとご主人様が願っていたこと。それが叶って喜ばない奴隷がいるならそれは恥だ。奴隷ではなくヒトもどきだ。奴隷は奴隷らしく、主人が望む対応をしなければいけない。こんな話を、確か遠い昔に誰かに語った…気がした。まぁ、嘘を吐いて隠されるよりかは、何も話さないでくれた方が僕も嬉しい。取り乱さないで済む。醜態を晒さなくて安心する。容易く予想はできていたから、泣き叫ぶなんてことももちろんない。ただ、仮面を深く深く被るだけだ。涙は飲み干しすぎて干からびてしまった、と思う。僕の心はカラカラで、砂漠みたい。夕飯を二人でとって、団欒するなんてもう明日からは穏やかにできないだろうなと、急に胸が締め付けられて寂しくなった。

「暁闇様……いままで、言えなかったんです…けど、……その、暁闇様とお会いして…僕は初めて、生きること…幸せなんだなって思えました。だから…えっと、今日までのこと、……とても感謝して…います。何にもできない僕でしたけど…ありがとう、ございます」

ご主人様が幸せそうだったから急に言いたくなりました、なんて建前を付け加えて僕は彼に最期の別れをする。さっきに飲んだスープの味なんてもう覚えてはいない。血の味か、鉄の味か、それと同類の僕の苦しみ。痛みに堪えながら食事を終えて、それから僕は今日は朝から体調が悪かったんですと取り繕うように言い訳をして、ご主人様に先に就寝することを謝った。眠たくはない。別に体調も悪くはない。でも此処にはもういられない。ごめんなさいで終わらせたくはなかったけれど、結局僕は最後までこの人には謝ってばっかり。……仕方ない。何も持たない僕ではご主人様に返すことなど不可能なのだから。無能で恩知らずだと言い聞かせたくせにまだ足りない。ご主人様との共有空間から早々と抜け出して、僕は足早に自室に戻った。未練に引き寄せられて振り返ってはいけないからと、トトト…と駆け足になりかける体を注意をして、部屋の中に飛び込む。

「今日初めて姉さんを尊敬したわ。泣き叫ばないのね。名残惜しいと思わないんだね。アルカナは姉さんへの認識を改めないといけない…かも?」

闇の中に目玉が二つ。
アルカナはクスクスと笑い、パチパチと手を叩く。アルカナは僕の…お母さんだった人らしい。リコリスが言っていた。今は僕を姉さんと呼ぶけれど、昔はなんて呼ばれていたのかを今でも思い出すことはできない。でも決して、とまり木を必要とせずふよふよと浮きながら笑うアルカナを母親であったとは、僕には信じることができなかった。僕のイメージの母親は、ご主人様みたいに暖かくて包んでくれる人。龍さんみたいに世話をいっぱいしてくれる人。僕が何もできなくたって怒らない人。そんなイメージ。アルカナは僕のイメージには程遠くて、爆弾みたいにすぐに爆発する危ない人に見えた。父さんは、と思い出すと体が震える。あの人から与えられたのは全部が憎悪だったから。怖くて、逃げ出してしまったあの日々。
僕は無意識に身震いする。

「あ、改めなくても…いい、です。クロニカが…あの人の憎悪の対象なら…」

「嘘!改めてなんかやらないよ!!あはは、それにしてもあいつは本当に目出度いのね。姉さんの笑顔がミクロン歪んでいたところで気付かないのでしょう…まぁそうだよね!なんたって今日はあいつの記念日!希望と!絶望の!素敵な記念日!!」

「………楽しそう、ね」

空中で転げまわりながら、お腹が痛いとお腹をさするアルカナは本当に楽しそうだった。僕が楽しくないことでもアルカナは楽しい。むしろ僕が悲しい方が嬉しいのだろう、アルカナがコロコロと転げまわっている様を僕は眺めるしかなかった。ご主人様が僕の変化に気付かないのは悲しいとは感じてしまうけれど、それでも今日という日を喜んでいらっしゃるのに一時でも水を差したくなかった僕の努力が報われたんだと思った。これから僕がやることを考えれば、笑顔で一緒に過ごせたことだけをご主人様には思い出にして欲しい。そんなことを言ったって、僕のことなんかご主人様はすぐに忘れてくださると思う。流れ星が地面に落ちていくみたいに一瞬で終わらせるから。ご主人様にさよならを言わないから。恩知らず、と罵ってくれたなら僕の覚悟が許される。

「うふふ、そうだね姉さん。アルカナなら姉さんの苦しみはよぉーく分かるよ。悟るよ。ね、ほらね。アルカナに助けを求めてきたのはもう限界だったってことだものね」

アルカナの指差す方。
微睡みに落ちて、二度と目覚めることのない友達だったもの。僕は後ろを、二人を押し込めてしまったクローゼットの方向を向くのが嫌で顔を俯けた。故意ではなかった。段々と僕のダークライではない能力が抑えられなくなって、クレセリアの羽を持っていた二人が犠牲になった。どうしようもなく立ち竦む僕の前にあの人が現れて『そろそろ暇潰しにも飽きた』と言った時、この人にとって僕は暇潰しにもならない玩具だったことを思い出す。幸い、ご主人様達はかみさまだったから、僕の能力に当てられることもなかったのだろう…変わらずに平気そうな顔をされていた。良かったと思う。二度と目覚めない友達をクローゼットに押し込めて、僕はとても悪い子だ。
腐臭はしない。

「姉さんは、三日月から綺麗な満月になるの。人々の夢を花開かせて、憧れと畏怖と陶酔に堕ちる大量虐殺の楔。父さんの作った血塗られた女王様。残念なことはその姿をあいつには見せてやれないことだけど…まあいいのかな。姉さんも嫌でしょ?」

僕の行く末は教えられたから知っている。二人よりも沢山の人達を不幸にして、それからあの人に殺されるらしい。でもそれでいいんだ。僕はやっぱりいらない子だから生きているのは全部に良くない。ご主人様と一緒にいて沢山のことを教えてもらったけれど、その中の一つに僕というイレギュラーな存在は何一つとしていなかった。時を重ねるごとに一つずつご主人様や周りのことを知っていって、さらに時を重ねて僕という存在の不必要さを思い知らされて僕の存在する価値がわからなくなった。ご主人様は僕を大事にはしてくれたけど、でも僕がいなくたって世界は回る。僕じゃない誰かにいっぱい必要とされていた。一番大切な人にも必要とされた。ご主人様と比べても仕方ないけれど、僕は僕だけを必要としてくれる誰かがいないことには堪えられない。これからもっと堪えられなくなると思う。それならばまだ僕を必要だと、利用できると、眉間にシワを寄せて冷徹に告げるあの人に使ってもらうしかないのだろう。何もかもお終いになってしまう前に、僕はあの人にお願いした。縋った。

「……そう、ね。今更王子様を期待しない…どうせ、今日みたいに裏切るのだから…」

「お姫様にすらなれなかったくせに、王子様を欲するなんて何様なんだろうね姉さんは!!」

王子様に好かれなかったお姫様が、海の泡になって消えた話を覚えている。ご主人様が聞かせてくれたお話。海の泡になってしまったお姫様は、きっと誰にも邪魔をされないで王子様のことだけを考えられる。僕には幸せなことだと思えた。お姫様にすらなる資格がなかった僕でも、お姫様になれる気がして勇気をもらえたから。俯いたままの僕の頬を両手とって、アルカナが甘い声で囁く。

「出会いと別れは繰り返すもの。一過性のものでしかない。そこに泣いたり笑ったりなんて感情を付け足すから、姉さんはぼろぼろになっちゃった。ねぇ、まだあいつが好きなの」

「うん、好きよ」

「あっは、ザマアミロ」

冷ややかな暴言がキスを落とす。瞬間、アルカナの後ろに次元の穴が開いて、あの人が……僕の本当の主人がこの場所に訪れたことを悟らせた。アルカナが嬉しそうに穴の方に振り向く。
声がした。

『アルカナ、早くしろ。穴が開いたことを気付かれると面倒だ。戦闘に入って貴様らを守るなどということに労力を使うのは、』

「分かってます父さん。足音が聞こえましたから、姉さんだけでもあなたの元へ」

アルカナに手を取られて、無理矢理穴に手を入れさせられた。ひやり、と冷たい手が僕の手を掴む。僕と同じくらいの小さい手に少し驚いて戸惑った。水に浸るみたいで、本当に海に帰ってしまう気がする。錯覚する。アルカナの方を見やると早く入ってほしそうにこてんと首を傾げた。イラついているのは表情で分かった。僕は何かを言いたくて(すぐに忘れてしまった)口を開いたが、同時に耳に入ってくる足早そうな足音に身を固まらせた。空気が読めない奴だね、とアルカナが舌打ちをして僕の背中を押し始める。動かなくてはいけないのに僕の体は動かない。押される背中と掴まれている腕が段々と痛みを伝える。永遠に開かないでと願いながら、僕はその痛みに従うように瞳を閉じようと身体の力を抜いていった。

サウダージの夢
(さよなら、実架月)
(おかえりなさい、クロニカ)

私のくせに幸せになろうだなんて許さないから、と声がした。振り返ってしまった僕の目に飛び込んできたのは、慌てた表情で腕を伸ばしかけた暁闇様の顔。あぁ、今生は最期にいい夢が見れそうね。






「姉さんを幸せにはできないよ」
「愚かな人魚姫の王子だな」



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