おはなし倉庫

▼2018/09/02:姫翠 --短文

『戯言に興味もない』





『大好きでした、姫様』
(また一匹獣が死んだ)


花のように。
人を愛したことがあるか、なんて質問に私ならこう答える。『いいえまったくこれっぽっちも』と。短い、"人"としての人生の中で、恋愛にも似た感情を持ったことは一度だけあるのだけれど、今思うにそれはまったくの別物。幼く立場も弱い私を勇敢に、まるで王子様のように守ってくれた真珠に対して抱いた憧れは錯覚。だってそうでしょう。真珠の屋敷が潰れてしまって、あの子が目の前からいなくなった時の私の心中は、大事な盾が何処かへ行ってしまったことへの憎悪が多大にしてあったのだから。子供は何時だって残酷。人は何時だって自分の都合のいいものにしか期待しない。だから私は神に成り果てたその後々も、人々が誰かを愛し尊敬し敬う自己満足的な行為に溺れるモノが醜く見えた。人を演じていた時期に外の世界を知れば、この凝り固まった印象も少しは解れていたのかもしれない。けれど私は養子で、私の前にいた次期当主(義父の長子)は流行病で亡くなっていたものだから、家の領地外へ行くことを当たり前に一度たりとも許してはもらえなかった。終ぞ、認識は変わらずその機会も奪われた。神のように生きる今でも、当主となって幾ばくかの自由を得た時ですら、知識への探究心など燃え残ったカスに等しく。分厚い書籍を読み進めるのは好んでも、見聞きに出掛ける作業を無駄なモノと位置付ける。


<汚染クリアランスレベルを設定します>
<開始まで、5、4、3…>

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母さんは、私を愛してた?
(いいえ、決して)


<クリアランスレベル1設定完了>


初夏の訪れ。
虫の声は嫌い。耳鳴りがする。じわりじわりと肌に汗の滲み出る気がして、気持ち悪いと思う。殆ど全ての人間が死んだ屋敷を木々がひっそりと覆い隠していた。最期の一人が床に伏したのついこの間の出来事で、漸く長引かせていた神への転身も一年足らずで訪れてしまうのだろう。何十年経っても老いない当主はただの化物で、本家のくせに親戚間での発言権は既にない。発言する気もないし、そもそも集会にすら呼ばれないのだからもはや本家かもすら怪しい。奴等の間ではこの家が本家だったことは消去済…所謂、黒歴史なのだろうと私は呑気に笑う。親戚連中から見放された無様な私に同情して屋敷に残ってくれた微々たる人間達を看取りたくて、灯りの消えかけた屋敷に未だ私は残っている。私が当主としてやらなくてはいけない最後の仕事だと思っていた。義務だと信じていた。燦々と降る日光を避け、庭師がいなくなり荒れ果てた屋敷の庭、唯一私が掃除をするガーデンスペースに静寂の中腰掛けて、私は来る日について思考を巡らせる。

「いつまでこちらで暇を潰させる気だ、姫翠よ」

「その名前で呼ばないでちょうだい」

不満気な顔を隠そうともしない真白の麗人。この時分、私はまだ当主として人として望んだ『きみどり』をあえて名乗っていた。私のコンプレックスを理解してくれる屋敷の者達からは姫様と呼ばれていて、幼い頃はその愛称が好きで呼ばれる度にはしゃいでいたものだった。『きみどり』は私の名前じゃない。私を形成するための要素ではない。それを理解しているこの男は甘美な囁きをもってして、私が嫌悪を露わにした制止も聞かずに『きすい』と馴れ馴れしく呼んでくる。所謂嫌がらせ。どこまでもいけ好かない糞爺。男の呼んだ『きすい』は姫翠の本当の読み方で、そして母さんが私に与えてくれた唯一のモノ。けれど決して、私は名前に特別性を求めることはしない。無駄なことはやらない方がいいのだと、期待しない方がいいのだと幼い頃に嫌という程学んだのだから。私の有意義な思考は男の声掛けで全てが無駄になった。溜息を吐く。

「すべてを見送ると言っても…そなた、自分の縁をどこまで守る気でいるのか。乳母や専属の執事にメイドなどは良いとしても…庭師などは放っておけば良いものを何故」

私の本当の父親は目の前にいるこの男だ。名前は覚えていたくもないし言いたくもない。腸が煮えくり返るくらいに大嫌いで、史上最低の神様。その形はとても美しくって剥製にして飾ってやりたいくらいとは思うのだけど、中身は神様とは思えないくらいに最悪で、醜穢すぎるアルセウス。私が書斎から持ってきた本の表紙をじぃと見つめている姿が、酷く不快に感じる。彼の束ねた白髪が光を受けてキラキラと輝いていて、私はぽい苛立ちを舌打ちによって態度にみせた。

「私の、モノだったからよ。無気力な私を支えてくれた。化物当主と呼ばれてもなお屋敷に残った。その子達に対して私ができることはただ最期を看取ることだけなの」

「自己満足か」

男が鼻で笑う。
男を睨み付け続けることも無駄だと悟り、庭の片隅に目を向ける。先月死んだ庭師が大切に育てていた薔薇が、茶色に変色し泣いているように錯覚する。綺麗な花を咲かせるのが上手な、恰幅の良い良い男。私の愚痴を嫌な顔一つせずに聞いてくれて、ただ姫様は悪くないですよと笑ってくれた。最期はベッドの上で、病気のせいか細く皺くちゃになってしまった彼の手を取りつつ、私は優しい死へと送るように穏やかに看取ってあげた。ついこの間のこと。冷たい手の感覚が残っている。そんな淡い思い出さえも腐ってしまうような気がして、口から思わず悲観の声が漏れてしまった。

「……もう、薔薇も枯れそう」

「憂うくせに世話は一切せぬのだな」

「私嫌いなの。自分が愛されてるくせに、愛してもらっていることすら理解せずに何もしないものって。だから世話はしない。勝手に腐っていけばいい。私は私が好きだというものに義理を返すけれど、無機質な無表情な無感情なソレに与えるものなど何もないわ」

私の言葉にその通りだなと男は嘲笑をした。この人が嫌いなりにそれでもまだ愛されているのかもなどと変な希望はあった。子供が理由なく無条件に親から愛されるわけがない。結局のところ、私は今の一度も父親から愛された実感など一欠片も味わったことがないままにシロップの入れすぎで酷く甘くなってしまったアイスティを啜る。男が次の言葉を紡いでいる最中に、私の意識はブラックアウトし場面が変わる。真っ黒になる。記憶はどんどんとロードされ深層へ落ちていくのに、私はポツンと一人置いてきぼり。横を通り過ぎる顔達に覚えはあったけれど、喉元までせり上がってきていた名前は全部無意識が飲み込んでしまった。父がいて、友人がいて、おじさまがいて、それで……激しい頭痛と共に私の中に存在していた初夏は檻の中。思い出を大事だとする人は、私のような苦労をしていない人なのでしょうね。幸せで無垢なる幸福なんてまったく反吐がでる。カラカラの喉はシロップを入れすぎたアイスティを飲んだせい?それとも夏の温度のせい?
私の、叫びは届かない。


<クリアランスレベル4設定完了>


眼前に広がる孤独。
真冬を越えた春の香り。冷たい真冬の海に放り出されてしまったように、冷水のシャワーを浴びせられるように、私は益々深みへと堕ちていく。どうせなら、先ほどまで飲んでいたアイスティにでも溺れてしまえたら良かったのに。鼻腔をくすぐるようにじわじわと香り始めたのは、いつものあの匂い。箱庭に咲く大樹の、甘く芳しい香りだった。なんていう花だったかしらと思案して、脳内に導かれ出された答えを宙に霧散させるため目を開く。対面して、女の子がお人形を大事そうに抱きかかえ座っている。何度も何度も繰り返し悪夢でだって現れる光景。この後母さんに問われることは決まって一つ。
唾を飲み込む。

「あなたは、だぁれ?」

私はあの虚ろな瞳がトラウマで、衝動的に潰してしまいたくて腕を伸ばす。彼女の目先1センチでいつも静止する指先は、微弱に震え恐怖していた。長い睫毛が瞬きするたびに揺れる。お人形遊びの手を止めてじぃと無垢な瞳で私を見つめる母さんは、記憶にある彼女よりもか弱くてとても小さい。目線を合わせるために屈むと屈託ない笑顔が華を咲かせた。今にも折れてしまいそうな手を一つ握って、生きていることと彼女の肌の暖かさを私はしっかりと確かめる。世界中で探したって、この人ほど美しい神様はいないだろう。この人ほど儚い神様はいないだろう。この人しか私の母親はいないのだろう。
私が、霞む。

「妃翠様は……姫ちゃん、あなたを産んだことで静かに狂ってしまわれました。マナの口からは、これ以上を言えません。お許しください」

「………いいのよ」

いいわけがない。真珠が悪いわけではないの、と自分に言い聞かせて空っぽの心に水溜りを作った。この時ばかりは空っぽで良かったと自嘲する。母さんは私を恨んでいるんだろうか、憎んでいるんだろうか、特別なモノと認識して愛しているんだろうか。問うことも答えを聞くことも、生きている限りは二度と叶わない。面会する前に私と同じ名前の女の子からきつく言い渡されたことを思い出す。『私が何者であるかを母さんに教えてはいけない』なんて、そんな馬鹿げた約束を了承しなくちゃ会えないほどに今の母さんの精神は脆い。自分の母親が死んで、失意から狂った父親に犯され、近親相姦のすえ孕んだ息子。真実を知ってしまってもいいことなんてやっぱりなかったわと少しくらいの絶望を噛み締める。人生なんてロクなことがないのねとマナに愚痴ると、それでも私は姫ちゃんに会えましたからと必要以上に優しい言葉が返ってきた。何故、私を好きだという生き物ほど優しくって、反面、失望させる度合いも大きいんだろう。私はあなた達を愛していないから、虚飾に塗れた愛してるなんてくそったれな言葉は要らない。万が一、億が一、私に情が芽生えることでもあったらどう責任をとってくれるのかしらね。姫様には素晴らしいモノが沢山ありますと言う。姫様は美しいですからと言う。姫様は慈悲深いお方ですと言う。全て上辺だけの、おべっか。がむしゃらに欲しいモノが私には分からない。私は何も持ってはいないし、母さんより美しくもない。ましてや人の死に触れても何も感じない私が、慈悲深くなどあるものか。空虚な私が本当に必要なものってなんなのかしらと落としていた顔をあげた瞬間に、世界は再び無感の闇へと包まれた。もう何も香ってこない。母さんもマナもいない。終わりが、近い。
ゆっくりと目を閉じた。


<クリアランスレベル設定完了>
<記憶処理完了>

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<おはようございます>


機械音とともにブツリ、と思考アクセスが切れる。白い天井に忙しなく動き回る目玉達。無機質で機械的な声の主を探せば、頭上から水色の少女が目の前に降り立った。頭が冴えない。ぼんやりとした頭でカラカラと映し出された己を見やる。私の記憶なんて、振り返ったところで面白いわけがない。良い事も、ない。だけれどこれは健康診断と等しく、頻繁にソトと箱庭を行き来する私達のために必要不可欠な作業。もしもソトで精神を汚染されて箱庭を脅かしてしまうなら、それは外来神である私の死を意味した。ココに滞在して幾年月日が経ったが、箱庭神は例外なく外様に情は抱かないし冷徹を振り翳せる。強く母を愛しているからだよと命生が言っていたけれど、愛で強化された忠誠心ほど恐ろしいものはない。醜く、歪で、それでいて泣きたくなるほど儚く美麗。
私にはこれっぽっちもないモノ。

「なんだ、もう終わりかい」

モニターを眺める命生が、詰まらなさそうにボヤいた。私の処理より遥か前に記憶処理が完了していたのだろう。この子のひときわ記憶処理が短いのには訳があって、箱庭に誕生した神だというのに守秘義務のある記憶がほとんどないことに起因する。最悪、真っ先に殺される、または生贄にされる神といっても過言じゃない立場の低い神。可哀想だとは思わないし力のない神ならば当然のことだと理解している。ぶらぶらと地に着かない足を空で揺らしながら、私に向かって命生は大変だったねと嘲笑した。この子はいつ身に付けたかは知らないけれど、人を小馬鹿にするのがとことん上手い。そして煽る。共に生活している私でも堪えられない時はあるもので……癖、というのも厄介なものね。
まるで怒りを請いたいように。

「……勝手に人の記憶を見ないでちょうだい」

働かない脳でも私はボヤく。
体を起こして前髪をかきあげた。

「姫くんが起きないのが悪いね、長すぎてつまらなかった」

記憶処理の長さは、前回更新からどれだけの時間が経っているかによって変わる。私は自分の記憶を顧みることを拒んでいたせいでとてもとても、憎らしいほど長い時間がかかってしまった。私の記憶はいつも愛についてばかりで、なんの面白味もない苦痛の記憶。システム処理をする人物曰く、それが私にとって一番に成り立ちを支えている部分なのだとのことで、まったくいけ好かない。愛の禅問答に意味があるなら、私はもう二度と記憶処理で脳内を晒してやるものかなんて悪態をつきたくなる。まぁ、無理なのだけれど。記憶処理は脳に多大なる負担をかけていて、大抵終わった後は脳内整理もつかないから立ち上がることもままならない。糖分補給目的で館の主人から必ず振舞われる、シロップを入れすぎた不味いミルクティを口へ運んで不快感を抑える。絶え間なく館内を動き回る水色の塊を目の端で追った。現実に帰ってきたことと記憶処理が終わった安堵感からホッとしてしまって、私らしくもないのだけれどこの時ばかりは気がかなり緩んでしまう。記憶をぐちゃぐちゃに暴かれた精神ダメージは大きいらしく、鼓動が少し速い心臓をなんとか落ち着かせようとして、深い息を吐き椅子の背もたれに体重を預けきった。

「あなたがそばにいるのなら、それで満足しておくべきなんだわ」

ぽつり、呟く。
命生に聞かせるつもりで吐いた言葉じゃない。自分に言い聞かせるための言葉。記憶処理で改めて私は空っぽの出来損ないであることを知ったから、その総括として。失って悲しむこともしないまま。出来ないまにまに。しかしあざとくも命生の耳には入ってしまったみたいで、彼女はクスクスと鈴みたいな心地よい高い声色で私に向かって笑顔を作った。

「……そうだね、僕も君も愛なんて邪に侵されるべきじゃあない。神聖で尊くて、不誠実の塊だ。親のエゴに生かされて放り出されて死ねもしない。似た者同士というだけの単純な縁だ。切り捨てるなら、真っ先にお互いを」

こういう関係で、良かった。
素っ気ない不安定な関係性が落ち着くの。愛とか絆の大切さだとかそういうヘドロについて考えるのは500年ほど後にして、つまりは記憶処理もあと500年はやらないことにして、ソトに新しく出来たカフェの感想を手帳に認める作業に気を向けてしまおう。寿命がないところが神様のいいところね、惰性を貪ることも諦めがついて不快だとは思わない。必要以上に私に深入りも感情移入も距離感を詰めることも命生はしなくて、君一人が可哀想ではないんだからと肯定も否定もせず嘲笑する姿が有難かった。簡単に切り捨てられて使い捨てられる神様の、傷を舐め合うこともなく化膿したまま放っておくだけのそんな集まり。私が世話をさせられる最初のお荷物があなたで良かったわ、と心底毒づいた。

「可哀想ね、私達」

「誰よりも?」

私は花開くように微笑む。
そうよ、と流す。怠さを引きずる体はまだ暫くは動かないでしょう…オレンジジュースを飲みきって氷を手で触る命生を注意することも今は面倒くさい。子供らしくていいじゃない、なんて言葉で肯定しておいて見ないふり。知らんぷり。ぼぅ…っと眺めていると何故か無性に母さんに会いたくなる。ぽわぽわと糞爺への愛を歌う彼女を抱きしめたくなってきて、ふぅとアンニュイな溜め息を吐いた。願わくば、神様として醜く堕ちることのないように。もうこれ以上情を芽生えさせようとする穢れが増えないように。私みたいな出来損ないが生まれないように。
戯言はこれでおしまい。
忘れてちょうだいな。


『What was I born for?』
(大嫌いなあなたへ)





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