おはなし倉庫

▼2018/09/02:朔耶と阿羅耶 --長文

『だから裏切ったの』






はじまりの唄

(オリトレ/アルセウス)





不可思議の夢。
少女は出会った。世界がまだ存在自体不安定だった頃の話。神様ですらまだ、奇妙な力を持たぬ頃の話。阿羅耶は神様の声を聞くことができた。または聴くことができた。生憎対話などできはしなかったけれど、神様が何を望んでいるかを瞬時に理解して、嬉々として口や手足を貸してやった。そうしているうちに、どういう流れかは阿羅耶すら知らないうちに、彼女は神様への生贄に選ばれたのだった。まだ十にもならぬ幼い阿羅耶は、執着のない世界の(安定とかいうもののために)犠牲となったのである。生きたまま腹を裂かれ、内臓を取り出され、血を捧げられ、呆気なく首を落とされた。体の痛みは不思議と感じなかったが、別のところが痛くて痛くてたまらず泣いた。結局その痛みの原因は、死んでも分からず終いなんてまったくのお笑い種。
今日に至るまで世界が平和であり続けるのは、阿羅耶という少女が人柱になった結果である。しかしこれが平和でなく混沌であろうとも、責任は全て人柱に被せられるのはなんとも酷い現実。残酷な話。阿羅耶が貰うはずの名誉も富も人生も、親が全て奪っていった。今頃どうしているかは知らないけれど、多分もう死んでいる。生きてはいない。

「………どうしてあんた、あたしの顔を見にくんのさ。あたし、あんたのそのにやけ面を見てるとむかつくんだけど」

死んだあとの阿羅耶は神様から腫れ物のように扱われ、窓のない部屋に閉じ込められた。人柱なんて神様も、それよりもずっと偉い偉い上の存在も望んではいなかった。目の上のたんこぶなら早くに無くしてしまえば良かったのに、彼らは彼女を飼い殺しにする。毎日、目の前に現れる真白い少女に悪態を吐く作業を、仕方なしに繰り返すしかない。真白い少女は笑ったまま。阿羅耶は隈の濃い目で睨みつけたまま。硬直状態ではなく、周りに流れる空気は些か穏やかそのものではあったけれど、二人が同じ空間で相容れることはなかった。海よりも深く、愛よりも脆く。薄い壁の向こうから呼ぶ鳥の声が、さらに昼夜、阿羅耶を追い詰める。
同じ会話の向こう。

「にいさまはだめだって、われにいったわ。だけど、われはそにきょうみがあるの」

「人柱なんかに労力を使うなんて当たり前ね。同情とかそんなんなら要らないしやめて。単なる好奇心ならいつか身を滅ぼすわね、首でも切られて」

親指を首の前でしゅっ、と空切りする。もちろんそれは首切りの比喩表現。お前の首も切ってやろうかとそんな、脅しの材料が無にも等しい阿羅耶の精一杯の脅しでもあった。少女はぱちくりと瞬きをして、数秒時間を置いてようやく理解をしたらしい。手を叩くとまた、にこやかに笑みを返した。

「あらやはすてきですね。われはそういうことばをそとにだすことはできないから、すごいとおもいます」

頭が湧いている。真白い少女の存在を阿羅耶はある程度知っていた。神様のさらに上の偉い者、一番上に立つ者の娘。世界を管理することを許された異質な化物で、そんな風に誰かが話しているのを聞いた。目の前で死人に対し拍手をする、そんな彼女に阿羅耶はただ虫酸が走る。気持ちが悪いと思う。予想の上をいく純真無垢ほど、気持ちが悪いものはない。何も知らないことが罪だと死に逝き悟った阿羅耶にとっては、昔の自分を見るようでさらに嫌になる。死後の世界は最悪で、つまらないことを誰も知らない。少女は真白い悪魔なのだ。
カラカラと。

「…気持ち悪い」

感情が声になる。

「よくいわれます。われはまっしろすぎてきもちがわるいらしいです。でも、せかいがくろなのにわれまでくろにそまるのはおかしいとおもうから、いいの。それに、だからそのようにくろになりたがるにんげんにきょうみがわきます」

「ほんと、首を切ってやろうか。あたしはあんたが嫌いって言ってるのに何様」

「かみさまです」

「無様だわ」

「いかようにも」

無音無機質。
何刻経っただろう。それまで座り、格子を挟んで対面していた少女が、思い付いたような顔をして急に立ち上がった。長く綺麗な白髪が、無機質な素材でできた床をさらさらと撫ぜる。若干早足で部屋から出て行った彼女のことをやはり、阿羅耶は理解できない。何を考えているかわからない。予期せず、一人きりに戻ってしまった阿羅耶は、癪だが少し寂しくなった。真白い少女以外は阿羅耶を化物のように扱う。化物に化物と扱われる阿羅耶にとって、ヒトらしく存在できる時間はたったの数十分。そうして、ぐだぐだ考えるのも嫌になった阿羅耶は、自分の弱りきった体を横たえると景色を遮断した。ぐるぐると考えない化物に思いを馳せる。自分の未来の姿はなかなかに心地いい。冷たい床には涙すら染み込むことはない。夢のまた夢に足を運ぶ。扉が開いたと同時に広がった腹にくる臭いは、阿羅耶を余計に惨めにさせる。開かない瞼の阿羅耶がそれを放置していると頭に何かが触れた。小さな手が触れた。
耳元の声。

「……ひとりぼっちのあらや。われがいつかたすけてあげますからね。だからいまは、たくさんくるしんでください。いっぱいないてください。りかいしてあげられるのはわれだけです。われはそをあいしてあげられます。ははおやがこをあいするのはあたりまえだから、そはいつかわれをあたりまえににくんでください。だれもあらやというそんざいをひつようとはしません。だれかのいちばんにもあらやはなれません。われといっしょ。まっしろでいたくはないのにまっしろでいなくちゃいけない。とじこめられたまんま。とってもかわいそうね」

同情でなく同調。
撫でる手も悲しい。
これではいけないと、悪態を吐かなければと、慌てて阿羅耶は目を開けた。しかし目の前に在ったのは少女でなく、見慣れたいつもの開けた風景。どうやらうたた寝をしていたようだと今の状況を朧げながらも確認する。最悪の夢見に背伸びをして、阿羅耶は冷え切った飲み欠けの紅茶を啜ると、庭園の遥か下で行われている戦争とやらに目を向ける。自分がきっかけで始まった、愛しい人を取り戻すためだけの戦争。争い。首謀者が自分だと朔耶が知ればどうするだろうかと思案して、余計に可笑しくて可笑しくて笑みが自然と零れてしまう。答えは簡単。知っていても放置を決め込む。流れを変えることを好まない彼女らしい結論。この戦争の結末すらも彼女の掌の上で踊る。箱庭を維持するためなら、戦争ですら平和だと混沌でないと言い張る思考の持ち主は、阿羅耶と同じように狂っている。
狂わせている。

(…あぁ神様)

死んだら、誰でも良い無条件に愛される人に成りたい。母親面した神様からではなく、普通の人間から愛される人に成りたい。成りたかった。首に銀の鋏が突き刺さったまま白い服を真っ赤に染めて、あの日の朔耶は笑っていた。朔耶に出会ったせいで自分は歪み、朔耶以外の箱庭全てを歪めてしまった。罪悪感は一切なく、そうして歌うのは愛しい人へ贈る後悔の唄。


ラララ、ララバイ
(はじまりとおわりに眠る)


朔耶の昔話は大抵、阿羅耶が美化されていて面白くない。はじめてというやつは記憶改竄を齎すのだと幸尋は溜息を吐いた。

「そうして、ひろとあの人ができたのでしょう。本当自分が死ねたからって迷惑」

「幸尋は相変わらずですね」

「……神様だもの」

神様は気持ちが悪い。
学べばそれだけ。



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